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アラ還おじさんのMid Point(8)25年振りのバンド活動【バンドから離れる①】

93年11月、スーパーる〜ずのボーカルのAさんが結婚式を挙げることになりました。
披露宴では僕らメンバーと新郎自ら歌を披露することになり、その準備のためドラムのKさんの住む富山を訪問することになりました。
何故富山まで赴くのか?ということですが、挙式を行うホテルの披露宴会場では生のドラムを持ち込むことができなかったため、Kさんが富山で所有していたエレドラを車で埼玉まで運搬することが目的だったためです。
挙式の2週間前の土曜日、Aさんと僕の車で早朝6時に埼玉のAさん宅を出発し、関越道→北陸道を経由して富山に着いたのは夕方5時頃、休憩を挟み、運転を交代しながらの運転でしたので、約11時間程かかったと思います。
その日の夜は富山のKさん宅に泊まり、富山の美味しい魚と酒を堪能して、翌朝同じようにまた埼玉にエレドラを運搬し、ひとつ目の任務を終えました。

結婚式の前日も僕らは川口のスタジオで本番前最後の練習を行なっておりました。
当時、駐車場は近辺にはなく、路上のチケット制の駐車ゾーンに停めておりました。建前上、チケットでの駐車は1時間と定められており、通常は2時間のスタジオ練習中でも違反を取られることはありませんでした。ところが当日は七五三のシーズンと重なっており、監視員のおじさんがいつも以上にチェックをしていたため、Aさんと僕の車両ともに駐車違反のステッカーが運転席側の窓にベッタリと貼られておりました。
練習を終えたその足で、川口警察署へ向かい、各種手続き。違反金は後日期限内に振り込むよう指示をされて解放。めでたい式の前日にあっさりと罰金まで献上することになりました。

翌日の披露宴では、高砂の座から入り口は遥か彼方に見えるくらい広かったです。当日に聞いた話によると、奥さんの出身は福島であり、親戚一同がほぼ全て来ているとのこと。
恐らく披露宴に出席されていた人数は200人は優に越えており、もしかしたら250人くらいはいたのではないかと思いました。
ということで、会場での楽器等の設営時にすっかりビビってしまい、自分たちの出番までは酒を飲まないことにしました。新郎のAさんは流石に飲まない訳にはゆかず、お酒を一口飲んでは足元のバケツにジャーを繰り返し、なんとか誤魔化しながら控えていたようでした。演奏そのものはそれなりに上手くゆき、会場からもやんややんやの拍手。

この披露宴での演奏で自信をつけた僕らは、その後もAさんの友人の結婚式での演奏を数回経験し、バンド活動へのモチベーションも高めてゆきました。

その後は駒込の貸切のハコでのワンマンライブ、埼玉県職員に転職したAさんのツテで埼玉県教育局主催の各種イベントへの参加など、活動の場を広げてゆくことができました。

ただ、Kさん不在でドラムなしでの参加(ドラムは打ち込みの音を使い、アコースティックバージョンでも耐え得るナンバーのみ)も増えていったことから、流石に活動も行き詰まり始めました。

明けた94年の活動は全員が揃った際の数回のワンマンライブのみで殆ど活動がありませんでした。

そんな94年の秋頃、この日の出来事がバンドを止めてしまうきっかけとなりました。

Kさんがせっかく戻ってきてスタジオ練習が出来る貴重な時間を共有するはずだったこの日、キーボードのHさんの様子がおかしいことに気づきました。

Hさんは前年まで千葉に住んでおり、車を所有していなかった彼を僕が市原から川口に向かう途中でピックアップしておりました。94年頃から千葉県内の職場に近い千葉市から足立区の実家の側のアパートに引っ越しており、長距離通勤となったと聞いておりました。ここ数回の練習ではお兄さんの車を借り、ご自身の運転で足立区の自宅から川口に来ており、当日も同様に車で来ておりました。

その日のHさんは練習中、いつもの笑顔もなくムスっとしており、一言も話すことがありませんでした。練習後は食事をしながらわいわいとミーティングを行うのが日課でしたが、「俺今日は帰る」と一言残して、車で去ってしまいました。
Hさんがバンドに顔を出したのはこの日が最後となりました。

その後、Hさんは僕らとの連絡を完全に断ちました。

彼は何が不満だったんだろう、不満があれば何でも話してくれれば良いのに…
残念ながらこの時何がきっかけで彼がこのような態度を取ったのか、30年経った今でも全くわかっておりません。

Hさんに引きづられるように他のメンバーもお互い連絡を取らなくなり、とうとう95年明けてからは僕もバンドから離れてゆきました。

もし今のテクノロジー<例えば、携帯電話やスマホ、LINEやSNSなど>が当時存在していたら、こういった誤解などはすぐに解消されて、バンド活動が続いていたかもしれない。
Kさんとの距離もテクノロジーで埋めることが出来たかもしれない。
悔やんでも悔やみ切れない出来事でした。実に勿体無い、勿体無いエピソードでした。

次に僕がバンドのメンバーと再会するのは2年後の96年11月頃となります。

<(9)に続く>

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