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アラ還おじさんのMid Point(2)25年振りのバンド活動【そもそも楽器を始めたきっかけ〜ギターを持つまで】

そもそも僕が楽器に触れた記憶から紹介したいと思います。
僕が生まれた昭和40年代初頭はこれまでの30年代から音楽の世界も国内外ともに大きく変化する時期でありました。両親のうち特に父はレコードを数百枚も持っており、その殆どが歌謡曲とリわけ演歌、民謡などばかり。ロックやポップスなどは極々一部、加山雄三やスパイダース、ベンチャーズなどがどう言う訳か混ざっておりました。これらが混ざるだけでも日本の音楽界でも変化が起こっていたものと推測できます。

幼少期の2歳位の頃、ちゃぶ台の上に乗ってお箸をマイクにして、当時流行っていた奥村チヨの「恋泥棒」を歌っていたそうです。全く記憶にないですが……。
歌詞が大人のポップスの世界、マセておりました笑
この辺りが音楽を意識した頃なのだと思います。

その後、幼稚園の年少に上がる頃にどういうきっかけだったのかこれまた全く覚えていないのですが、カワイのオルガン教室に幼稚園の年次2年間レッスンに行きました。
どんな曲をやったのかこれまた全く記憶になく、2年間の集大成は千葉県文化会館の大ホールでの発表会。これもどんな演奏したのか覚えてませんが集団での合奏だったと思います。確か「トロイカ」ともう一曲何かをやりました。
狭い狭い3DKの公団住宅(団地)なのに、母はどこからか中古で手に入れてきたオルガンを畳の部屋に置き、ひたすら練習した記憶だけはあります。ヘッドフォンなんかも当時はなかったから昼間だけ練習していたと思います。
特に母は練習には厳しく、譜面の上に1〜20まで数字を書き込まれて、一回練習する毎に丸をつけてゆくという幼児にとっては過酷なレッスンを強いられました。しくじったり上手く弾けないとこっぴどく叱られました。そのため小学校に上がる際にはもう鍵盤楽器自体が大嫌いとなり、あっさりと辞め、我が家に鎮座していたオルガンもいつの間にかどこかに処分されました。幼稚園の同級生のほぼ半数以上はピアノやエレクトーンを継続して習うようでしたが、僕はもう勘弁してして欲しいということで、小学生時代は楽器とは疎遠と相成りました。

小学生の時は花の中3トリオのうちで山口百恵が大好きでした。母と引退までの全ての映画を錦糸町の楽天地まで観に行く程でした。またピンクレディも大好きでこれまたどういう訳か全盛期の後楽園球場コンサートにも観に行け、大衆音楽に関しては大変恵まれた家庭環境でありました。男性では沢田研二が一番のアイドルであり、紅白歌のベストテン、ザ・ベストテン、夜のヒットスタジオなどの音楽番組を夢中で見ておりました。そのため音楽への興味は湧きまくっておりましたが、楽器に関しては70年代後期になってニューミュージックブームの歌手やバンドの持つギターに興味を持ちました。
歌番組に出演するグループが中心ではありますが、アリス、さだまさし、ツイスト、原田真二、ゴダイゴ、長渕剛、そして時々何かの間違いでテレビに出演した甲斐バンドのワルっぽい佇まいにも魅力を感じました。
小学5年か6年の時、親にギターが欲しいとねだりましたが、中学生になってからと言われ、早く中学にあがりたい、そしたらギターを弾くとそれだけを励みに日々を過ごしておりました。

中学に入学し、母が申し込んできたのは団地近くにあったヤマハのギター教室。これであのミュージシャンみたいにジャガジャカ弾きながら歌えるんだ!と思っていたら、なんと教室はクラシックギターの講座。そのため買い与えられたギターはヤマハのクラシックギター、確か2〜3万円のモデルでした。
テレビで見ていたギタリストの弾くギターとは何か違うなあと思いました。色も形も地味だし、ネックはやたら太いし、違和感だらけでしたが親に逆らうこともできず、高校受験期までの約3年弱クラシックギターを習いました。実質2年ちょっとですので、初級レベルで終わってしまいましたが、あのガットギター独特のネックや弦の太さに慣れたおかげでその後エレキギターやアコースティックギター、ベースに転向しても違和感なく演奏できました。最後は幼稚園の時のオルガン同様、小さな文化ホールでの発表会で終えました。

僕はそれまで何にも取り柄のない子供でした。勉強も苦手でスポーツも得意ではなく、得意でないくせに中学校では軟式テニス部でプレイしておりました。3年間レギュラーにはなれず、部内でも色々とトラブルや揉め事も多く、体育会系の部活には飽き飽きしておりました。そのため、高校に入学すると入学式当日に軽音学部に勧誘され、二つどころか一つ即返事で入部しました。

高校入学時に手に入れたのは今では希少なジャパンビンテージのヤマハレスポールモデルSL-800でした。親に高校入学祝いとしてプレゼントされたのですが、楽器屋さんではストラトかレスポールか迷っておりました。レスポールは確かジミー・ペイジがトレードマークで弾いていたことはとっくに知っておりました。太い音が出るというただその理由だけで超重量のエレキギターを手にしました。とても嬉しかったけど、これを持って電車通学するのは結構大変でした。
このレスポールを手にしたことでその後40年にも及ぶことになるバンド人生が始まったのです。

※いまだに人気の高いジャパンビンテージ
 僕の持っていた同型は現在中古市場で5万円台後半〜7万円台後半
 ちなみに当時は8万円前半で購入しました


<(3)に続きます>

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