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令和二年の『夏』宣言 再び

 気怠い暑さの空気がまとわりつく本日、ついに2020年の梅雨が明けたとTVから聴こえた。
昼間からより強くなった日差しの頑張る姿に感化され、4連休で果たせなかった短パンでの散歩を大いに満喫した私は、クーラーなどの人工物に頼らずともカーテンレールに掛けた風鈴の音色を肴に、ビールを一杯飲む事にしました。

付けっ放しのTVから、白と赤のユニフォームを着た選手たちが、汗を流しながら野球をしている姿が見えました。よく点の入る試合だなぁ、と何気なしに眺めるその光景は、ドームでなければこの晴天の空とセットで、皆のプレーを拝む事が出来るのに。そうすれば、私はさらに強く夏の訪れを実感出来るのに。そんな若干の身勝手さをもって、自らの勝手を肯定しました。

時に水溜りを蹴り飛ばし、時に耳を塞ぎながら私は夏を待っていました。呼んでいました。
こちらから動かずとも、いずれはあちらから顔を見せる事は分かっていました。しかし、行動をしない事による後悔は、ほかのどんな後悔よりも跡を残しそうな気がしました。どんな苦痛よりも救いようのないモノだと思いました。

自宅の周囲からは、夏より雇われた蝉たちの叫ぶ声がしました。彼らはやはり、今年もよく働き、よく寝て、そして子供に蝉としての在り方をその身を以て伝えた後、果てるのでした。
そんなサイクルがもう何回続いているのだ。考えると、喉が乾いて仕方がありませんでした。

近くのスーパーでラムネを買いました。もう何年も瓶のラムネを見ていない気がしました。蝉の鳴き声が何世代を経ても変わらない様に、ラムネも瓶から変わらなければ良いのに。そんな思考の中でペコペコの半透明のプラスチックを握りながら歩く私は、歳を取ってしまった事を実感しました。しかし、そこに後悔はありませんでした。今までの人生に、後悔はありませんでした。ラムネは冷蔵庫に入れて、風呂上がりに飲む事にしました。いつものように、どうせ飲み忘れるんだろ、そんな声がよぎりましたがそれならそれで良し。明日の朝方にでも飲めば全ては丸く収まるのでした。

こんな風にして、各々梅雨が明けた日を楽しんでいるのだと思うと、日々画面越しに見える誰かの怒り、憎しみ、蔑み、そしてささいな自尊心は、一体どこから来てどこへ還っていくのだろう。それが分からなくなってしまいました。


今年の夏は、より楽しくなりそうだ。
そんな思考の周りをぐるぐると旋回した後、「そういや、毎年こんな事を言ってるな」と感じた私は、しあわせ者に違いない。
そんな都合良く生きる身勝手さをもって、私はまた自らの勝手を肯定する。宣言する。
恐らくは来年も、再来年も。

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