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ある医師への手紙

 特に君の姿を想像した時、こんな未曾有の事態の中においても一際の輝きを放ち、世の為、土地の為、未だ尽きそうもない患者達の為に、そのあまり強そうにも見えない身体を投げうっているを、ひしひしと感じるのは我が弱さか。

 小学校、同じ校舎にて学びを共にした仲ではあったものの、果たして我々が当時身に付けた作法、感じ取った空気というのは、今もなお、身体を駆け巡る血として存在しているものなのだろうか。そんな疑問を解決してくれたのは、ネットで見る機会のあった、一つの中小病院のレビューである。
 医師と患者が列を成し、弱き精神から生み出される罵詈雑言。所狭しと院内を走り回り、陣頭指揮を取る一人の若医者の姿が、そのレビューには書き残されていた。
白衣を身に纏いし、細く小さな若医師。
君の事だと気が付かない私ではなかった。


 当時、君は自らの父より継ぎし宿命の血筋を深く呪っていたように思える。母は過保護で、毎日車で小学校まで迎えに来ては、君は嫌な表情を浮かべ、一歩一歩と時間をおおいにかけながらも、その澱んだ色の鉄塊に身を入れた。
 反抗とも言えぬ、従順とも言えぬ、そんな複雑な態度を見せるのは、何かのタイミングを計っていた為だろう。頭の良い君の事だから、我の道を行く準備をしていたのだろう。自然と周囲に集まって来た友人(私も含むが)は、そんな君の周到さを感じとっていたし、十代前後の子供にしてみれば、何かを深く考えている、という行為そのものが、はからずとも君のリーダーシップの強さを思わせた。

 君とは一度も喧嘩をした事がなかった。というよりも、その落ち着いた口ぶりから放たれる言葉は何故だか優位性を増して、こちらを悟すように、なだめるような格好でこちらを蹂躙して、私は何に腹を立てていたのか、又 その感情は間違えではないのか、というところまで、思考を引きずり込む。さながら詐欺師の手口で語りかける君は、幼い平和主義者であったのかもしれない。

 中学受験の影が、我々の足元まで伸びてきた頃、その危機感の差こそあれど、同様の心持ちを仕舞い込んで日々塾へと通った。人の事など考えている暇もなく、ただ目の前に置かれたテキストに歪な文字を加えていく毎日。
辛かった。苦しかった。
しかし、難関学校に見事合格した君と、普通の進学校にすら拾われなかった私の差は、おそらくその危機感というものにあったのだろう。十代前半の時分、地頭の優劣に大きなものは無かっただろうし、結局私は頑張ったと自己満足する怠け者に過ぎなかった。

 卒業式の日、六甲山より賜る強い颪が君の卒業証書を飛ばし、我々は一丸となって付近の道路や草むらの中を探し回った。
 数時間の後、学校の汚れたプールの中に一枚の紙切れが落ちているのを発見したのは、我々が散々馬鹿にしていた管理人の爺さんだった。
人は、頭が禿げ上がっていようが、背中が猫のように曲がっていようが、聞き取り難い声で喋ろうが、それでも他人の為にと動く者もいるのだ。管理人の爺さんも、ただの嫌味っぽい奴ではなかったらしい。
 再び背後の山々に向かい直した君は、何かを高らかに宣言したのだった。遥か空を目指して掲げた右手も虚しく、颪の吹き荒れる風音により、叫んだ声などなにも聞こえなかった私であるが、それを感じた君が一言。
「ただ、前を向くのみ」
はぁ、そういうものかと妙に納得してしまった私を置いて、車にて帰路を行く君の姿。新たなる世界への旅立ち、時の旅人だった。

 
 このような状況の中で、私が君に出来る事など、何一つないのかもしれない。君の心一つ理解する事さえも難しいのかもしれない。
だから、私はただひたすらに待つよ。
 全てが終わった時、君に何か気の利いた言葉を投げる事は出来るだろうか。
強く、柔らかく、他人の為に汗を流し、自らの身体を休める暇はない君の姿に、無力の私はただ敬意を表さずにはいられない。

 確かに、最後に頼れるのは自分一人である。
だから、その手前に私を置いて欲しい。その優れた危機感は、果たして私を頼りにしろと指示を飛ばすだろうか。
 君の家族の健康、世の平安をいつまでも祈って止まない。そして、私はそんな綺麗事さえ言えない世の風潮が大嫌いなのだ。君と同じで。

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