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一期一会の人生なのさ

 SNS界隈でのやり取りや、職場での人間関係、友人との他愛もない会話などを思い返せば、自分はこれまでの人生において、上手くやってこれたのだろうか、胸を張って「僕の人生だ」と言えるのだろうか、というのを稀に考える事がある。
考え過ぎだという捉え方がある。実績も自信もないのではないか、という考え方もある。でも、人は生きている以上、何かを考えないといけないし、普段の下らない思考からするに、その考えというのは、崇高な部類に属している。あくまで僕の中では。

 でも、そんな余計な事を考える必要なんて本来はないのだと思う。簡単に生きようぜ。
『人生はまさに旅の途中のようなモノである』と、沢木耕太郎も書いていた様な気がするし、例えその旅の途中でどんなトラブルがあったとしても、我々は常に何かを信じて乗り越えてきたではないか。
それは、根拠のない自信であったかもしれない。小さな誇りであったかもしれない。しかし、確かに僕らはこうして令和の時代、アスファルトの上に足を降ろして立っている。

 誰かを尊敬した、好きになった、嫌いになった、合わないと思った。
僕は人の頭の中を覗き見る事が出来るほど、人生に慣れている訳でもないし、それは幸か不幸か、知る事のない幸せにも、汲み取った勘違いによる苦痛にも成り得る。そんな何を考えているかも皆目分からない他人に振り回されながら、この生を与えられている自分が好きだ。

 例え一期一会だとしても、誰かと関わった記憶、誰かと交わした会話というのは、記憶の奥深いところにぐっすりと眠っていて、自分がピンチになった時に助けてくれる場合がある。

 決して多いとは言えない人間関係、決して深いとは言えない貴方との関係、こんなに脆く薄い媒体で繋がっている仲間だとしても、それも含めて、自らの人生なのだと、僕は胸を張って言える男になりたい。
何故かハンフリーボガードを見てそう思った。

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