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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#幻想文学

小説 採血管と泡の幻覚(2003年)

 採血管は、血小板や白血球や赤血球を抜き取っていった。意識も知覚も抜き取っていった。するとどこかの中庭で、仲良く並んで咲いている百合の花やアネモネの花、スミレ色をしているアヤメの花々の光景が、自分と他人の境界も、遠近法もまとまりの良さも、なくしてしまった格好で、陽炎みたいに、もやっもやっと淡くなったり、そうかと思えばさあっさあっと、鮮明になったり、ゼリーみたいにぶよぶよしていた。両手はたちまち針の跡で一杯になり、ある種の病人にしばしば見られる不健康な快活さのように、紫色のほの

小説 フランシスベーコン(2006年)

トライアングルの音を永久に引き伸ばしたような、ぴーんという微音が、さっきから鳴っていた。――すぐ脇の肩先を見下ろすと、だいたい九十センチメートル四方の薄い油紙が、塗り立てたばかりのペンキみたいにとても生生しい色使いのネイビーブルーの壁にぴったりとくっついている。その左の角が少し剥がれかけて、折からの風に弄ばれて機械のように手を振っている。と思うや、黒っぽい生き物がすうーとスライドしてこちらに近づいてくる。それは正面から間近にみると、全体的に暴力的な風貌だった。具体的に言えば、

小説 クラムチャウダー(2007年)

 新発見のアメーバみたいにひらべったい油の膜が浮き上がって、ぶよぶよに固まってしまった表面を震わせている、クラムチャウダーの水面に、焦げ茶色の枯葉が浮いている幻覚をみた途端、彼女の朝の食事は台無しになった。不愉快になった彼女の内面はタールのように真っ黒に変色して液状化してしまうのだった。そして何分経っても、何十分経っても、何時間経っても、液状化の勢いは止まなかったので、彼女はすっかりタールのような液体になって部屋を浸食してしまった。それは拡大し部屋中を自分で浸した。そればかり

散文詩 雨をめぐる断片(2007年)

真鍮でできた蝶番を回して、ドアを開けた。途端にどっと大量の水が流れ込んできて足元が冷たくなった。ちょうど膝下のあたりまで水に浸かった。目の前に広がっていたのは、ちぎれた綿のようにやわらかい、雲の帯で装飾された青空と、尽きることのない海だった。彼方には黒くて細長い塊が、白い煙をなびかせて静止していた。驚愕したわたしは、部屋の片隅に置かれたリンネルのベッドに勢い良く横倒れした。ベッドの足もすっかり水浸しになって、小さな波飛沫にさっきからずっと執拗に撫でられている。 * * *

小説 虹(2004年)

 ああ、わたしたちの意識の奥底には、黒い無意識の宇宙が広がっています。そしてその宇宙の片隅にある銀河の何処かには、地球の青くて美しい飴玉が転がっているのです。この蒼と白の鮮やかなまだら模様のついている球体の表面を、上空からよく見ると、ところどころで微小な虹たちが、まるで鮮やかな玉虫色をした蛇のようになって、縦横無尽に這い回っています。  その下界では、まるで新種の地衣類みたいな白い街が、大地を覆って広がっています。そこでは砂粒みたいな、大人や子供が、若者たちや婦人たちが、ビ

小説 球体関節の幻視(2007年)

力もなしに、ぐったりとした様子で、コンクリートの壁にもたれかかって、鋼鉄のようにひきしまっている、皮膚の表面に、紫朝顔の蔓草を、びっしりと纏わりはびこらせている、まだうら若い、黒い肌をした女の剥き出しの裸体は、強引無残に、その中心部を切り開かれて、サフラン色や桃色の腸を朝のひなたに肌理鮮やかに見せびらかしていた。――蔓草の繊毛のところどころから、色のない粘液が、てらてらと流れて、光沢していた。――女は生きてはいないようだったが、それにしたって、血は一条も、見当たりはしなかった

小説 ステーション(2007年)

 真昼だった。風は道行く人たちの全身に思い切り体を衝突させて、そのシャツやワンピースやスカートやらの襞という襞を、ぱたぱたと急かしていた。湿気を知らない空の波たちが次から次に寄せては返して、おもむろにめぐってくる初夏のおとずれを、自由気ままに告げていた。その鉄道駅はアール・デコ調のデザインで建築されていた。花崗岩のブロックで敷き詰められた広場の中心には、大きな欅の木が植えられていた。風に吹かれて、ぐらぐらと揺れだしたわむ様子は、まるで着飾った若い女が――その虚無的でがらんどう

小説 調布市の野川のスケッチ(2006年)

 昼下がりは、真鍮のような静寂を、空の青みと水音のせせらぎにそえあわせながら、自分ではどんどん希薄になって、遠のいていくようだった。気持ちだけ少し伸び過ぎた、目の前の前髪は、陽光のせいで軽やかに化学変化して、きらきらきらきら、光耀していた。まるでのどやかな温度がやわらかいうすものに変化して、あたりをつつみこんでくれているようだった。そうして、仕事の疲労に困憊しきっている、ほこりまみれのわたしの体は、ひとりでにうるおいを取り戻していき、しなやかな湿り気を、そこらじゅうから摂取し

小説 窓の向こうにある部屋(2007年)

 向こうの家の窓の中には誰がいるのだろう。小さな影が、どよどよと動いたり、波のように揺らめいたり、両手を変な風に広げて痙攣したり、しているのはなんなのだろう、たぶんあの窓の向こうには舞踏家が住んでいるのかもしれないと考えた、けれどももしかしたら動いているのは影ではなくて、窓なのかもしれない。そうでなければ、時々あの窓が、二つになったり四つになったり、増えたり減ったりしたりしている理由が分からない。思い返してみると、何度も何度も、電気がついたり消えたりするので、停電が起きている

散文詩 エストンピィ(2011年)

 天国の縁には、緑色と灰色とうすい桃色の雲が無数の渦巻きを形作って、たなびいていた。その下には、黒づんだ大きな蒼い山麓が広がり、左下の方、山の裾野では、矢車菊のように蒼い色ガラスで組成された街が、林檎のように酸っぱい香りのする美しい苔のようにこびりついて、広がっていた。  街の中央には、白亜の大理石を紅や黄色や橙色で彩色した神殿がそびえ、毎晩毎晩、神官たちや、巫女たち、奴隷たちの楽しい祝祭の歌声が、まるで淡いいちご色をしている生きたうろこ雲のように鳴り響いていた。  神殿

小説 猫に助けられる(2012年)

 夕暮れの時刻だった。燃えているように赤い、まるでオレンジ色をした、液状化したトパーズみたいな黄昏だった。――この国の東の方にある東京の、渋谷の街に僕は立っている。スクランブル交差点の向こう側、街の大通りに面した、大きなビルには巨大なホログラム装置が置かれ、そこから中空に、ホログラフィーになった美少女アイドルグループが、カメラアングルを次々と変えながら歌って踊っていた。どうもこのアイドルたちは、人間ではなくて、CGか何かで合成されているらしく、観測する角度によって、色使いと硬

小説 レストランの悪夢(2003年)

レストランで、青ざめていく山脈と、海を見渡せる席について、わたしはテーブルに出された、カップグラスに入っているソーダ水の炭酸の泡たちをぼんやりと見つめていた。つぶらつぶらとした音たちが、ぱちぱちはじけて連続していた。透き通っている無数の球体たちは、周囲の風景をその球面に反射しながら、はじけては消え、それからまた生まれていった。この一瞬の生死を繰り返していく柔らかくてまるっこいものたちの集団を見ていると、まるで線香花火の真似事のようだとわたしは思った。 ――向こうから、黒い鉄

小説 20歳(2003年)

 秋爾(しゅうじ)は自分の棲んでいるアパートの廻りを、うつむき加減で歩いていた。――今彼の目には、敷き詰められているコンクリートが映っていた。けれどもそのコンクリートの表面は、血走った瞳をつけた、巨大な肉食の紫陽花みたいに隆起していた。まざまざと、目の前に縋り付いてくるみたいに。やんわりと自分の周囲でうごめいているものたちの気配を感じながら、秋爾はそのまま、ひたむきに歩いた。 近所の月極駐車場の一角に来てみた。するとそこでは白灰色のつぶらな砂利たちが、満面にばらまかれていた

小説 相模原で 1(2003年)

 散らばる事をやめない太陽の光の自然さを感じていた。けれどもそれは普段のようではなかった。おぞましいくらいに、やさしくて明るく、冷たい輝きだった。――僕は自分自身の心理的なリアリティーの中にあまりにも沈みこんでしまった、そう彼は感じた。――風景はそのせいで、匿名的な様相を帯びている――京王線の、橋本駅の駅前通りを、その瞳の水面に無言を湛えながらも、夥しくたち騒いでいる街中に、彼はひとりで立っていた。京王線の、片方のちょうど終点にあたるこの駅には、まだ新しい駅ビルが立っていて、