小説 虹(2004年)

 ああ、わたしたちの意識の奥底には、黒い無意識の宇宙が広がっています。そしてその宇宙の片隅にある銀河の何処かには、地球の青くて美しい飴玉が転がっているのです。この蒼と白の鮮やかなまだら模様のついている球体の表面を、上空からよく見ると、ところどころで微小な虹たちが、まるで鮮やかな玉虫色をした蛇のようになって、縦横無尽に這い回っています。

 その下界では、まるで新種の地衣類みたいな白い街が、大地を覆って広がっています。そこでは砂粒みたいな、大人や子供が、若者たちや婦人たちが、ビジネスマンたちや政治家たちが、犯罪者たちや農民たちや貧乏人たちが、感心したり、昔を思って涙を浮かべたり、やってる仕事を途中でやめたり、やってる喧嘩を途中でやめたり、あるいはまったく意にも関せず、あるいは一瞬われを忘れて、雲間にかかった綺麗なアーチを仰ぎみているのです。そうしてみんな、思い思いのひとりごとを、その脳内で、泡沫(あぶく)みたいにつぶやいているのでしょう。

 そうしてその泡のひとつひとつには、無数の名もない無意識が宿り、無数の名もない宇宙が宿り、無数の名もない銀河が宿り、無数の名もない地球が宿って、飴玉みたいに、可愛い姿で、きらきらしています。

 人の数だけ存在しているその天体、大気と水とに、包まれた惑星。その惑星に寄生する有機生命体たちのエネルギーを帯びた魂、その魂を、空気と水とで潤している、この宿主の、透明なキャンディー。そのキャンディーの、雲と大地と海の広がる表面では、空気中の水滴によって、太陽からの光がところどころで屈折させられて、ところどころで虹が立っています。

 中国の伝説によれば虹というのは龍の一種なのだといいます。七色の皮膚をした、とても微小な龍たちが、かくも巨大な球面上を、自由気ままに動き回って、息をしている。そういうヴィジョンが、わたしの脳裏に浮かびます。

 下界に暮らす、無数の名もない人々の独りにすぎない、わたしの魂のスクリーンには、秋空に広がる、荘厳な眺めが、神さまの造った空のアーチが、七色に輝く、光のスペクトルでできた龍の身体が、映しだされています。

(ちなみに地球の虹というのはその性質上、宇宙からは見えません。虹は大気中の水滴が光を屈折させてできるものなので、大気の無い宇宙空間からは見ることができないのだそうです。とはいえ、飛行機から見た虹の写真が、たまにネットに上がっているのを見ればわかる通り、上空から見ることは可能なようです。)

(2004年から書き始めて2018年完成)

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