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僕は「でないといけない」「であるべき」の奴隷だった ②

前回は、大学時代までのこと書いた。

今回は、社会人編を書きたいと思う。

■■■ 僕の歴史 ~社会人編~ ■■■

まえがき

社会人になっても相変わらず「でないといけない」「であるべき」の奴隷だった。

仕事とは
「モーレツに働くもの」
「やりたくないことをやるもの」
「思い通りにいかないもの」
「我慢するもの」
「苦労するもの」
「矛盾を感じても不平・不満を言うものではない」
…そう思い込んでいた。

今思い返すと、根性論ですね(笑)  


僕が営業の世界に入った経緯

僕は10代のころ、自己肯定感が低かった。
子ども時代は球技コンプレックス。「球技は上手くないといけない」と思うようになった。
中学生以降は「強くないといけない」と思うようになった。
友人から「優しい優しい」と言われ、バカにされているような気になり「優しいのはよくない」と思うようになった

そんなコンプレックスがバネになり「見返してやろう」「自分を変えよう」と思い、大学生のときに教材販売(飛び込み営業)のアルバイトをした。
そのときに「プラス思考の話」「やればできる」「当たって砕けろ」…等、いろいろ教えてもらった。

そういう気持ちでやっていくと何とかなるもの。
それなりの成績を収めることができて自信がついた。


社会人へ。怒涛の日々が続く。

新卒でサラリーマンに。
学生時代のアルバイトの経験を生かして、システム系の会社に営業職として入社。
数年後、「自分で何かをしたい」と思い退社。自営業の道を歩むことに。

ここから怒涛の日々が続く。

強烈な「でないといけない」「であるべき」思考で超オーバーワーク。そして病気へ。

ここからは、どれだけの仕事をしてどんな病気になったか。細かく記していく。
※ カッコ内の年齢は、その年になる年齢を記した。

〇 1993年~(29才~)
ある企業の商品を販売する代理店を目指して再出発。
代理店として食べていくには最初の数年間はノルマをクリアしなくてはならない。
数字に追われる日々。とにかく「なにがなんでも一人前になる」という強い意志で頑張った。

当然無理もする。その結果、知らず知らずにストレスが溜まる。そのはけ口が酒とタバコ。

営業成績は良かった。しかし自分へのご褒美として毎晩自宅で酒とタバコをした。
20日以上連続で契約が取れた時があった。その時のことはよく覚えてる。仕事から帰ってきて、酒とタバコはやりながら日報を書く。酔いが回り気分も良くなり、自分に「良くやった」と言葉をかける。そしてさらに酒とタバコが進む。

毎晩、べろんべろんになるまで酒を飲んで寝た。それでも次の日は大丈夫。若かったからなのか。

タバコは1日40~60本。昼、営業で外回りの時も吸いまくった。
主に車での営業。運転中はジュースを飲みながらタバコをスパスパ。
「相当のストレスだったんだな」と思う。


〇 1997年~(33才~)
苦労の甲斐があって仕事は安定期に。時間に余裕もでてきて趣味をやることも。
酒とタバコは以前ほどの量ではないが相変わらず続いていた。


〇 2003年~(39才~)
この頃から、業界の問題、自分の努力不足…様々な理由で業績が徐々に悪化。

数年前から食事の量も増えてきて体重オーバーに。
酒とタバコは相変わらず。


〇 2004年4月(40才)
タバコの吸い過ぎで体調不良。禁煙を開始。無事成功。
酒は相変わらず。
食事の量は多く、さらに体重オーバー。

仕事のほうは、業績を改善するために多忙になっていった。


働き過ぎ→ストレス→過食→病気

〇 2005年~(41才~)
業績がイマイチ。アルバイトを始める。
本業のほうも業績改善のために走りまくる。多忙に。
ストレスで食事の量は相変わらず多く、10キロ近くの体重オーバーになる。


〇 2007年9月(43才)
「精巣がん」と初期の「糖尿病」になった。ともに食べ過ぎが原因。
「精巣がん」は手術して完治。その後の検査も異常なし。
「糖尿病」はダイエットして体重を落とし改善。


〇 2012年4月~(48才~)
業績悪化。生活のためにダブルワーク。
スケジュールは(月)(土)(日)がバイト。(祝日)があればその日もバイト。たまに(木)もバイト。それ以外が本業。なので、月の半分近くがバイトだった。
「ダブルワークをしないといけない」というストレスが凄く、甘いものをよく食べた。特にバイトの日はそれが終わると必ず食べていた。体に良いわけがない。

この年の12月、かなりの腹痛に見舞われる。診断してお腹の風邪だと。


〇 2013年6月~(49才~)
本業の先輩から業務の引き継ぎでさらに多忙。ダブルワークはやめた。

怒涛の忙しさとなる。
毎日ヘビー残業。9時~17時はお客様に振り舞わされ走り回ることが多く、17時以降からやっと自分の仕事ができる感じ。

昨年の腹痛以降、度々腹痛があったが少し休めば治った。


〇 2013年8月下旬(49才)
かなりの腹痛で救急車を呼ぶ。
最寄りの病院に緊急搬送され「胆石」が原因の「重症の急性すい炎」と診断。2週間入院。
原因は飲食。特に昨年からのダブルワークによるストレスで甘いものを食べ過ぎたのが原因だと思う。
退院後、10月に胆のうの除去手術。10日くらいの入院。


〇 2014年3月(50才)
あまりの忙しさで業務が回らず。
「寝てる時によく歯ぎしりをしている」と奥さんに言われた。「洪水に溺れる夢」をよく見た。これらはストレスからくるものだ。
左手甲と左足側面の付け根辺りが腫れあがってひりひりした。これは1ヶ月後に少し仕事が落ち着いたことで治った。やはりストレスだったのだろう。

その後も超多忙の日々。
23時、24時までのヘビー残業も多い。
夜、家に帰って次の日朝早くから仕事になるのも面倒くさいので、事務所近くのビジネスホテルを探したこともあった。結局なかった。
でもラブホが1件あったのでそこに泊まってもいいかな(笑)と思ったが、結局それはしなかった(笑)
それだけ忙しかった。土日も仕事があたりまえ。家に帰ってただ寝るだけ。


〇 2014年12月(50才)
蕁麻疹を発症。
先輩から引き継いだ契約が、いろいろ問題があった。
秋からクレーム処理がいくつか重なり、毎日緊張でドキドキしていた。
「こんなことでは負けない」と強がっていた。

しかし、心はごまかせても体は正直。蕁麻疹になってしまった。
医師に診てもらい、原因はストレスとのこと。
薬を処方してもらい、気持ちの面でも「どうにでもなれ」と開き直ることができて治った。


「膠原病」→入院→自宅療養

〇 2015年1月~(51才)
相変わらず仕事に追われる日々…。
超多忙…。ヘビー残業多し…。

「仕事をこなさないといけない」「間に合わせないといけない」「今日中にやらないといけない」…。
やり終えることができて気持ちがホッとした。
やり終えたとき、達成感や喜びはなく、心には安堵感だけが残る。そんな毎日。

「でないといけない」。ただそれだけに支配されていた感じだ。

数年続いた…。


〇 2017年2月(53才)
よく分からない不安と緊張が一時期出始めた。


〇 2017年3月(53才)
区の検診で血圧が180以上に。因みに昨年までは正常だった。


〇 2018年4月~
メンタルがヤバくなってきた。

不眠症の一種である「早朝覚醒」になった。予定より1~2時間早く目が覚める。緊張でその後寝ることができず寝不足に。
起きてからも心臓がドキドキする。営業の前も心臓がドキドキする。営業が終わるとホッとして甘いものを食べる。仕事が終わるとドキドキがなくなる。

自分なりに、いろいろな本を読んでメンタルを改善しようと試みた。
仕事の量も少しずつ減らしていき、心に負担をかけないようにした。

それなりに改善できた感じではあったが…。


〇 2020年4月(56才)
「膠原病」を発症。
5月に3週間入院。退院後は自宅療養。現在も治療中。仕事量を減らして在宅ワークにした。
原因は様々だが、根底にストレスがあるのは間違いない。

長年のストレスの蓄積なのか…。


〇 2021年1月(57才)
「膠原病」で思う様に仕事ができない焦りもあるのか? 心臓のドキドキが以前より増した。
そしてメンタルクリニックに行き「不安障害」と診断された。


健康第一。皆さんには僕のようになって欲しくないんです。

「でないといけない」が根底にあり、「なにがなんでも一人前になる」の気持が強く頑張り過ぎた。

その結果、病気に…。

頑張るのは良いことだけど、頑張る方向を間違えるとね…。

僕がやっていた仕事は「決してやりたいこと」ではなかった。それを「でないといけない」思考からやり過ぎた。

だからストレスで…。

ストレスの蓄積は怖い。
だから「ストレスを感じているな」と思ったら、それは「決してやりたいこと」をやっているのではないので、その辺を見極めるのが大事だと思う。

見極め方は「酒やタバコに走る」「飲食に走る(過食)」「嗜好品に走る」「買い物に走る」「欲しくもないものを買う」…。こういうのが続いた時にふと立ち止まって「自分は本当にこれがしたいのか?」と考えるのが良い。
「本当にしたいわけではない…ただ、心がモヤモヤして」…。そんな風に思ったら危険信号。すでにストレスを感じている。
たまに「ストレス発散」でやるのならまだしも、継続してそれが続くのは良くないよね。注意!注意!

   * * *

最後まで読んでくれて、ありがとうございます。

これが僕の「でないといけない」「であるべき」の歴史です。

人間は本来「自由」です。
「でないといけない」「であるべき」に縛られているということは、それはまるで心が牢屋に閉じ込められているようなもの。

そんなのおかしい。

心を自由に。思考を自由に。

僕は奴隷から解放されます!!



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