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昭和の受験戦争:勉強が全てだった時代

1979年から1980年にかけて、僕は中学3年生でした。当時、僕たちは「受験戦争」の最中にいました。この時代は、偏差値教育、落ちこぼれ、校内暴力という言葉で象徴されます。多くの人が「高校受験でその子の人生が全て決まる」と思っており、教師、親、僕たち生徒も、その風潮に飲み込まれていました。


「落ちこぼれ」というレッテル

このような環境の中で、勉強が得意な子は「いい子」と見なされるようになりました。一方で、勉強が苦手な子どもたちもいます。これらの子どもたちは「落ちこぼれ」と呼ばれるようになりました。彼らはわざと成績を下げているわけではありません。実際、彼らは成績を上げたいと思っていますが、勉強の方法が分からず、結果として授業についていけなくなってしまうのです。

また、家庭環境も大きな問題となります。親が時間を見つけて子どもに勉強を教えることができれば、子どもは学校での学びを家庭でも補強できます。しかし、経済的な理由や忙しい仕事のために、親が勉強を教える時間を確保できない場合が多くあります。その結果、子どもたちは分からないことを親に聞くことができず、理解できないまま授業に置いていかれるようになります。この問題は子どもたちにあるのではなく、より広い社会的な問題に根差しています。

このような状況にも関わらず、当時の大人たちは勉強が苦手な子どもたちを「落ちこぼれ」と呼んでいました。このレッテルが原因で、性格がおとなしい子は自信をなくし、気が強い子は反抗的になることがあり、この反抗がエスカレートし、素行不良につながるケースもありました。


「校内暴力」へ発展することも

勉強が苦手な子どもたちは、何も悪いことをしていないのに、先生たちが作り出す「お前たちが悪い」という空気のため、気が強い子はさらに反発し、「ふざけるな!」と立ち向かいました。この反発が「校内暴力」へと発展することもありました。

これはある意味、必然的なことだと思います。考えてみてください。もし僕たちが街を歩いていて、誰かから繰り返し「お前が悪い、お前はバカだ」と侮辱されたら、どう感じるでしょうか? 初めは耐えるかもしれませんが、侮辱が続けば、いずれは耐えきれなくなり、怒りが爆発する可能性があります。それと同じことです。もし、その状況から逃げ出すことができれば、怒りを抑えることができるかもしれません。しかし、逃げることが不可能なら、いつかは耐えられなくなるでしょう。

このように考えると、当時の「受験戦争」では、子どもたちはその状況から逃れることができません。その結果、性格がおとなしい子は自信を失い、自己閉鎖に陥ることがありました。一方で、気が強い子は怒りを露にし、反抗的になり、これが「校内暴力」を発生させる原因になることもありました。もちろん、どちらのパターンにも当てはまらないように工夫していた子もいましたが。


固定観念に囚われていた大人たち

当時、多くの大人は固定観念に囚われていました。「勉強ができないとダメだ」と叱責する教師も少なくありませんでした。

中学3年生のときのことです。数学の授業で、K先生がおとなしい性格の男子生徒Sに、特定の問題を解かせようとしました。Sはすぐに答えられず、数秒間うつむいていると、K先生は「遅いっ!!」と大声で怒鳴りつけました。その結果、Sはしくしくと泣き始めました。この出来事を目の当たりにした僕は、K先生がまるで弱い者をいじめているかのように感じました。今思い出しても、このようなやり方は、決して教育とは言えないと僕は感じています。


『3年B組金八先生』の思い出

1979年の秋から1980年の春にかけて、テレビドラマ『3年B組金八先生』が放送され、そのドラマは僕たちの世代に大きな影響を与えました。うろ覚えですが、今でも心に残っているシーンが2つほどあります。

① 受験に疑問を投げかける金八先生の言葉
正月の放送です。金八先生が餅つきをしながら「なんで受験なんてしないといけないんだ。餅つきのほうが楽しいのに」みたいなことを言っていました。先生自身も当時の「受験戦争」に対して疑問を持っていたのです。

② 生徒の未来を心から思いやるシーン
高校受験シーズンが本格化した2月下旬の放送です。金八先生のクラスに喧嘩っ早い生徒がいて、高校受験の会場で他校の生徒との喧嘩で学生服が破れてしまいました。その翌日、彼にはもう一つの重要な高校受験が控えていました。おそらく彼にとっての第一志望校である重要な受験でしたが、破れた学生服をそのままにしておくわけにはいきませんでした。面接があるため、服装も評価の対象になり得るからです。「なんとかしてでも直さないと」と金八先生は夜遅くに近くの仕立て屋を訪れ、ドアを激しく叩きながら「この子の未来がかかってるんです。お願いです。直してください」と懇願しました。

このシーンは、当時の「受験戦争」が先生たちにも大きなプレッシャーを与えていたことを示しています。実際、受験がすべてを決定するわけではありませんが、その時代の人々は受験に翻弄されていました。


当時は受験に苦しめられていたな・・

当時の受験は、僕たちにとって大きなプレッシャーでした。よく塾の帰りに友だちと「うん、がんばろう」と励まし合っていたものです。そのおかげで熱い友情に発展したのですが。

今回は、「受験戦争」の経験を振り返りました。この「受験戦争」がきっかけで、幸せな人生を歩んだ人もいれば、歪んだ人生を歩んだ人もいます。一見幸せに見える人生でも、心に深い傷を負っている人がいることも事実です。この「受験戦争」は、僕たちに言葉では言い表せないくらいの激しい重圧を与えてくれたのです。


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