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僕を救った大切な友達「ケロケロベー」は「ヒポポ」だった。

「おおつ、新しいケロベー見せて!」

おおつとは僕のニックネームだ。ケロベーとは、僕のオリジナルキャラクター「ケロケロベー」のニックネームだ。

いや、ウソが混じった。本当はケロケロベーはオリジナルじゃない。完全なパクリキャラクター。僕の友達はケロケロベーを僕のオリジナルキャラクターだと思っているけれど、実は違う。

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僕は自宅にある、このぬいぐるみのデザインをパクッてマンガを描いていたのだ。「パクってやろう」と思っているわけではない。このキャラクターを愛するがあまり、だ。

このキャラクターの名前も分からない。だから仕方なく「ケロケロベー」と名前を付けたのだ。理由は茶色い模様がなんだかカエルっぽいのと、舌を出しているから。6歳児のネーミングだから許してほしい。

友達はケロケロベーがオリジナルキャラクターだと信じていたので、うちに遊びに来た時に、自宅にケロケロベーのぬいぐるみがあることにメチャクチャ驚いていた。

「なんでケロベーのぬいぐるみがあるん!すげえ!欲しい!」

僕はそのたびに、種明かしをする。

自分で言うのもなんだが、友達の間でケロケロベーはなかなかの人気だった。他の学年にもケロケロベーのうわさは知れ渡り、上級生が「ケロケロベーを見せてほしい」とマンガを見に来ることもあった。上級生が自分の描いたマンガを読んで笑ってくれると、すごくすごくうれしかった。


ケロケロベーを描き続けて、2年が過ぎた。僕は小学校3年生になったのだが、転校することが決まった。僕は転校するのがとてもとても嫌だった。

これまで当たり前のように遊んでいた友達と会えなくなる。

僕がとくに怖かったのは皆が僕のことを忘れてしまうこと。僕は他に引っ越して行った人のことを知っている。「お別れ会」ではみんな「絶対忘れないよ」なんて言っているのに、数カ月もすればみんな忘れているし、引っ越して行った人の話なんて誰もしない。まるで最初からいなかったように。僕はそれが怖かった。

僕が転校すると知った友達はみんな僕に手紙を書いてくれた。たくさんの手紙に描きなれていないケロケロベーを一生懸命描いた跡があった。何度も消しゴムで消して、僕のためにケロケロベーを描いてくれていた。

「むこうの学校に行ってもケロケロベーをかきつづけてね」

「おおつとケロケロベーをわすれないよ」

僕は8歳で生まれて始めて、感動して涙を流した。ものすごく嬉しかった。

そうか、僕はケロケロベーと一緒に引っ越すのか。僕はケロケロベーと一緒にいれば大丈夫なんだ。そう思って、引っ越した先でもケロケロベーを描き続けた。

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僕はケロケロベーを描くノートには番号をつけていた。小学校1年生の頃の「1かん」から、既にノートは「Vol.30」を越えていた。

引っ越した先でもケロケロベーは受け入れられた。ケロケロベーのマンガが友達から友達に渡り、新しい友達と話すきっかけになっていく。おかげで僕は転校の寂しさを乗り越えることができた。ケロケロベーのおかげだ。

小学校6年生になり、卒業が近くなってきたころ、また僕は引っ越しが決まった。卒業と同時に引っ越すので、みんなと同じ中学校には行けなくなってしまったのだ。また寂しいことになってしまった。

その寂しさもケロケロベーが慰めてくれた。

卒業間近になったころ、担任の先生が学校内の今年でもう必要なくなる備品をみんなでジャンケンして持って帰ろうという企画をした。実は僕のケロケロベーの漫画は最新の5冊は学級文庫に置くようになっていて、休み時間は本棚から自由に僕のマンガノートをとって読めるようになっていたのだ。6年生にもなると、ケロケロベーの地位はそこまで確立していた。

先生はその企画の中「おーちゃんのマンガも争奪戦やる?」と冗談を言った。すると、クラスがめちゃめちゃ盛り上がった。みんなが「欲しい!」と騒いだのだ。先生はすぐに「いや、冗談冗談!これはクラスのものじゃなくて、おーちゃんのだから!」と言った。

「先生、僕いいですよ。欲しい人にあげますよ」

そのジャンケンはものすごく盛り上がり、ジャンケンに勝った5人が嬉しそうにマンガを持って帰ってくれた。

でも、僕は気になっている子がいた。ジャンケンに負けたF君だ。彼は誰よりもケロケロベーを愛していた。いつも僕の新しいマンガを心待ちにしていたのだ。

「おーちゃん、ジャンケン負けてしまった…。悔しい」

「F君、そんなに欲しいの?」

「うん、欲しい。」

「いいよ、あげるよ。」

「え!?いいの!?タダ!?」

「タダなわけないじゃん。1冊5円ね。」

もちろん1冊5円なんて冗談だ。しかし、彼は翌日5円玉を握りしめて学校にやってきた。僕は爆笑した。彼のまっすぐな気持ちが本当にうれしかった。僕は彼に渡すマンガノートを5冊持ってきていた。

「おーちゃんがマンガ家になったら、自慢するんだ」

彼は僕が5円玉を受け取らないのを拒み、強引に5円玉を渡してくれた。僕の初めての原稿料だ。ただ、僕に漫画家になりたい気持ちなんてさらさらなかったのだけは申し訳なかった。(言い出せなかった)

僕はマンガを描きたくてマンガを描いていたわけではない。頭の中に浮かぶ「面白いかも?」ということを表現する方法が、マンガしか知らなかったのだ。僕は中学校から「表現」をマンガから「ウェブサイト」に移した。個人サイト作りにはまった僕は、ケロケロベーを描かなくなった。


ただ、ひとつ僕の中で残っている問題がある。

ケロケロベー、きみはいったい誰なんだよ。


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ケロケロベーのぬいぐるみは捨てられず、実家から持ってきてしまっている。今も僕の書斎にはケロケロベーがいるのだ。

結局僕はフリーライターになったし、今もケロケロベーのマンガを描いていたころと同じような気持ちで記事の制作に取り組んでいる。

ケロケロベーは僕の人生だ。絶対に捨てられない。

でも、僕はきみが誰なのか知らない。


もう32歳になってしまった。検索しようにも、どう検索したらいいかわからない。ふと気になった僕は、Twitterでつぶやいてみることにした。誰にも言ったことのない悩みだ。

僕がつぶやいたのは、22時40分。すると、こんなリプライがやってきた。

全身に鳥肌が立った。ケロケロベーがそこにいた。

この回答をもらうまで、わずか15分。僕の25年来の謎が解き明かされた瞬間だ。教えてくださった方、本当にありがとうございます。

僕は涙を流しながら「ミズバク大冒険」のゲーム動画を食い入るように見つめていた。

そうか、きみはヒポポっていうのか。

今まで、名前を呼んであげられなくてごめんな。僕は子どものころ、きみに救われたんだ。きみは何のことかわからないだろうけど。

また、ケロケロベーを知る、僕の貴重な子どものころの友人も衝撃を受けていた。

ケロケロベー、これまで本当にありがとう。

そして、さようなら。

追記

このような証言がありました。

この話が事実なら、ミズバク大冒険でゲームの主役になったのと同じように、僕はマンガの主役にしたのですね。それもまた凄い話です。

ヒポポの不思議な魅力は何なのでしょうか。

追記2

タイトーさんに届いたようで、取り上げてくださいました。

モコモコのタイプもかわいくて、ほしいです。

追記3

こちらの記事が「オモコロ杯2020」で銀賞に選ばれました。

「ケロケロベー」というフレーズがネットの歴史に残るのであれば、しあわせです。

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