これも一つの「好きを仕事に」?
…実は、過去記事で「好きを仕事に」することについて、必ずしも良いことではない…といったことを書いたことがある…ような気がしますw。
言葉に語弊があったら申し訳ないのですが、好きなことが金銭の発生する仕事となることで、好きだったことが嫌いになることもあるのではないか?と感じているからです。
私は過去、デザインの領域に興味がありました。
ビジュアル的なモノではなく、インテリアや工業製品といった、いわゆるプロダクトデザインです。
しかし、デザインの学校に行って感じたのは、イメージを膨らませ、想像力を掻き立てるような授業よりも圧倒的に理論や「好き嫌い」に捉われた世界観でした。
「デザインはアートではないのだ。アートとの最大の違いは、100人中1人に伝わるのがアートなら、100人中100人に伝えるのがデザインなのだ。」
…だから、理論や歴史などをみっちり学んで基礎をたたき込む。
今でこそ、自分の思慮のなさを恥ずかしく思ったり、理論や歴史の大切さを感じることができるのですが、当時は自分の自由を阻害するイメージしかありませんでした。
「これもダメあれもダメ。そんな縛りの中で自由なデザインなんて生まれるわけがない。」
うーん、若いとは恐ろしい。
自分の破綻した主張を押し通した結果、私は学校を中退したのでした。
あれから、20数年。
好きなこと自体、何もないままに過ごす日々もありました。
ですが、悲観的になることは少なかったように感じます。
それは「仕事を好きに」なることはあったからです。
特に若い頃の経験値など、あってないようなものですから、社会に出て、働くことで得た知識や技術を楽しく感じる機会は大いにありました。
接客のコミュニケーションや、肉体労働の身体を動かす爽快感、依頼をこなし感謝されることや、モノづくりを極めていく感覚など。
多くの経験を積んだことで、多くの好きなことに巡り合ってきたように、今は感じています。
…そして、今。
前職で培ってきたモノも影響しているのだと思うのですが、何かを生みだしたり、何かを世に残すという仕事に対して、好きなのかもしれないと感じるようになっています。
「その言い方だと、『好きを仕事に』ではなくて『仕事を好きに』ではないの?」と言われそうですが、少し違うと自分では考えています。
数年前に、社会人大学生として仕事をしながら学業も行っていた時のことです。
社会人である学友たちと、自分たちで学園祭を作ろうという話になりました。
私の在籍していた大学は通信制のフルオンライン授業でしたから、学友たちは日本どころか世界中のバラバラな地域に住んでいました。
そこで、フルオンライン文化祭という、今でもムチャなことをしたな…と思うこともありますが、ゼロからイベントを作り上げていったのでした。
私の役割は「整えること」でした。
何かの一芸に秀でているわけではなかったので、まとめる役を買って出たのです。
当時は製造業勤務でしたから、規約だとかルールを作ること、さらには議事を取るといったことまで、すべてが未経験でした。
それでも、仕事以外の全ての時間を使って、調べ上げ作り上げていった自分の成果物が形として残ることに、とてつもないやりがいを感じていたのです。
そうなのです、製造業勤務だったのに、どうやら書類作成とか制度作りとか、なかなかニッチなことが好きだったのです。
…人間、経験してみないことには、特性や適性って分からないモノです。
昨日の大雨により、今の会社でも想定外のトラブルが起こりました。
立ち上げ2年目の会社に、社内の安心を支える災害対策マニュアルがなかったのです。
形骸化した書類は、ただのゴミです。
災害対策マニュアル、業務継続計画、緊急時の指揮命令系統の確立など、すべて作り直そうと思ったのです。
…あ、厳密には「思ってしまった」が正解かもしれません。
なぜなら、私は書類作成のための職員ではないからです。
しかし、作成権限はあるので、やろうと思います。
使命感だとか、責任感だとか、そんな高尚なモノではないのです。
おそらく、好きなんです。
ゼロから何かを創ることが…。
今日は、そんなお話でした。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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