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静寂者ジャンヌ 25 スキャンダル・デマ 神秘の母性

Нет войне!
ウクライナ侵攻、既にたくさんの市民に犠牲者が出ていると聞く。
友は、ポーランドに逃げられただろうか。
夜が明けて、明るくなって、どうなっているだろう。
わたしにとって、イラク戦争以来の衝撃と怒りだ。
もう眠い。静寂者ジャンヌ25を、出稿します。
ちゃんと書けてないかもしれません。
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1  トノン

ジュネーヴに行くつもりだったジャンヌは、土壇場で、ジュラ山脈のジェックスに行かされた。「こんなはずじゃなかった! 自分は間違った・・・」ジャンヌは、ヌーヴェル・カトリックというプロテスタントをカトリックに改宗させる団体に参加したことが間違いだったと悟った。深閑とした山の夜、ジャンヌは静かに涙を流した。


当時、ジェックスは山の中にぽつんとある、何もない町だった。娘に食べさせる物すら満足になかった。こんなところに娘を置いておけない・・・とりえず、ジャンヌは隣町トノンにあるウルスラ会の修道院に娘を預けることにした。

トノンは、当時サヴォワ公国の領地だった。レマン湖沿いにあり、ジェックスよりはるかに住みやすい、設備の整った町だった。今では風光明媚な湯治所として知られ、夏になれば避暑客で大変な賑わいだ。

トノン市のサイトを貼っておきます。


そのトノンには、あのラ・コンブがいた。

ジャンヌが内なる〈死〉のパッセージにいた時に、「あなたは恩寵のうちにいます」と手紙を送った聖職者だ。それがきっかけとなって、ジャンヌは内なる夜明けを迎えたのだ。


ラ・コンブはトノンにあるバルナバ会の修道院長だった。その能力をジュネーヴ司教からも高く買われていたようだ。ラ・コンブと面識のあることを、ジャンヌはジュネーヴ司教に伝えたのだろう。司教は至急、ラ・コンブをジェックスのジャンヌのもとに送り込んだ。

司教にすれば、ジェックスに着いたら何やかやと活動の批判をしだしたジャンヌをなんとか宥めて、ヌーヴェル・カトリックに繋ぎ止めたいところだった。こう言っちゃなんだけれど、金づるでもあったわけだし。

ジャンヌはラ・コンブに会いたくてジュネーヴ行きを決めたわけではないだろうが、しかし、紆余曲折を経て、偶然なのか、はたまた恩寵の流れだったのか、結局、ラ・コンブと出会うのである。

2  ラ・コンブ登場

ジャンヌの初期の重要なパートナーとなるラ・コンブについては、あまり多くが知られていない。闇に葬り去られてしまった感がある。だが、残された数少ない彼のテキストを読む限りでも、彼が決して凡庸な神秘家ではなかったことが、十分に伺える。

ラ・コンブはジャンヌの八歳上だった。(当時ジャンヌは33歳、ラ・コンブは41歳だった。)イタリア系住民としてトノンに生まれ育った。イタリア語が母語だったらしい。聖職者になってから、その秀才ぶりが評判となり、ボローニャやローマにも派遣され、神学の教鞭を取る他、霊操指導を任されるなど、多方面で活躍した。しかし一方で、ある神父が彼について「あの男はあと半年で狂人になるでしょう」と司教に耳打ちしたというから(まあ、他人の足を引っ張って出世する者は、どこの組織にもいるもので、そのまま鵜呑みにはできないが)、何らかの奇矯な言動も目立ったのかもしれない。

確かに、ラ・コンブがジャンヌのもとを訪れた時、「神の慈悲によって起こった様々な出来事」について彼があれこれ語り出すものだから、ジャンヌは心配に思ったという。そういう奇跡などの超常的なことに対して、ジャンヌは常に距離を置いていた。しかしそれでも、ラ・コンブには並外れた謙虚さ、子どものような無垢さがあり、それで、ジャンヌは彼を信用できたと書いている。

3 神が何を求めているか、待てばいい

ラ・コンブは気さくで優しい人物だった。さっそく、ジャンヌの娘をトノンの修道院に預ける手はずを整えてくれた。

ジャンヌは彼を信頼し、ヌーヴェル・カトリックが彼女に契約をするようせっつくが、団体の活動に問題があり、自分としては団体と契約したくないと打ち明けた。

ラ・コンブは親身に相談に乗った。

無理に契約することはない。神がジャンヌに何を求めているか、それがはっきりするまで待てばいいではないか・・・そう、助言した。

こういう時のラ・コンブの対応は、いつも、春風駘蕩と言いたくなるようなおおらかさがある。こういう人が近くにいてくれると、気持ちが楽になるだろう。

しかも、ラ・コンブの立場でこんな助言ができるのは、たいしたものだと思う。彼をジャンヌのもとに送り込んだのは司教だ。司教はなんとかしてジャンヌをヌーヴェル・カトリックにコミットさせたくてしかがたなかった。ラ・コンブは、司教が彼に託した真のミッションを十分に理解していたはずだ。ところが、その司教の思惑とは真逆のアドバイスを、ジャンヌの身になって、あっさり、できてしまうのだ。

ジャンヌはひとまず安堵した。

しかし、司教がまったく満足しなかったであろうことは、想像に難くない。

司教は頭を抱えたことだろう。そもそもヌーヴェル・カトリックのプロジェクトをジャンヌに持ちかけたのは司教自身だった。ところが、いざ実現という段になって契約ドタキャンを食らったのみならず、ジャンヌが真っ向からヌーヴェル・カトリック批判をする始末だ。下手すると司教の責任問題に発展しかねない。何とかジャンヌを説得するよう、ラ・コンブのネジを巻こうとした。しかしラ・コンブは「無理強いはできませんよ」と、司教に反論する始末だった。

ひとりの人格的尊厳を踏み躙るようなことは、たとえ上からの命令でも拒否する。そして、それを言挙げする・・・ラ・コンブの振る舞いもまた、いかにも静寂者らしい振る舞いだった。


4 スキャンダル・デマ

一方、ジャンヌの親族たちは、ジャンヌが財産権を握ったままアルプスの麓に去ってしまったと知って、大騒ぎになった。特にジャンヌの母違いの兄ドミニク・ラ・モットは、ラ・コンブと同じバルナバ修道会の会士で、同僚のラ・コンブへのライバル心も手伝い、ラ・コンブが財産目当てでジャンヌに接近したと邪推したようだ。その義兄が中心となって、親族側はジャンヌにさかんに圧力をかけた。結局、ジャンヌは子どもたちの親権を原則的に手放し、夫の遺産のかなりを放棄せざるを得なかった。(しかし、少なくとも娘の親権は譲らなかっただろう。)

この騒動と前後して、奇妙な噂が流布した。

ジャンヌとラ・コンブが同じ馬に乗っていた。二人はできている・・・

この噂の元は、ジャンヌによれば、どうも義兄のラ・モットだったらしい。しかし仮に出どころがそうだとしても、背景にはやはり、ジャンヌのヌーヴェル・カトリック批判に対する、団体側からのカウンターを考えるべきだろう。このデマは、かなり組織的に拡散された様子が窺える。



ジャンヌは、ことあるごとに、こうしたスキャンダル・デマで攻撃される。彼女に限ったことでもなく、女性が一人で自分の道を開拓しようとすると必ずバッシングされるわけで、その手口はまずは人格攻撃で、なかでも恋愛スキャンダル系のゴシップがお決まりのパターンだ。
これから見ていくように、ジャンヌには常に「淫女・狂女・魔女もどき」というレッテルが貼られる。現代に至っても、このフェイク・イメージがジャンヌから抜けない。

この時のラ・コンブとのデマは、後々まで、二人にとって打撃となる。

後にジャンヌは投獄され、この件について検察に徹底的に尋問される。しかし検察は、この件について立証できないとして、シロの結論を下した。(こんなことで尋問するのもすごいものだが、聖俗の両権力から強烈な圧力をかけられながら、公正なジャッジに徹したのもすごい。)
それでも、教会勢力は、この件にこだわった。ここを突っ込む以外、他にジャンヌに攻め所がなかったわけだ。教会勢力は宮廷勢力に働きかけ、検察が今度はラ・コンブを締め上げた。ラ・コンブは精神錯乱に陥り、最終的にシャロントンの「精神病院」施設で非業の死をとげた。(この時、検察トップが交代していたことも大きい。このへんは、静寂者ジャンヌの後編で詳しくお伝えしよう。)

ちなみにシャラントンの施設は、後にマルキ・ ド・サドがしばらく入れられていたことでよく知られる。



ジャンヌは終生、ラ・コンブを「神に愛でられた者」と呼び、盟友ラ・コンブへの最大限の敬愛の念を、弟子たちに伝え続けた。


5  神の恵みに囚われるな

それにしてもラ・コンブ神父、実に懐の深い人物だった。とにかく優しいのだ。ジャンヌのために自分も面倒なことに巻き込まれてしまうものの、それでも決して鬱陶しがることなく、いつもジャンヌを丁寧にサポートし続ける。

そんなラ・コンブにジャンヌは全幅の信頼を置いた。彼に自分の聴罪司祭になってもらい、精神的な相談役として、彼を慕った。以後、ジャンヌとラ・コンブは、静寂者の道を二人三脚で切り開いて行く。



しかし、そんなラ・コンブに対して、ジャンヌはひとつだけ不満を抱いていた。ラ・コンブが奇跡のたぐいの超常的なことに関心を持ち過ぎるのだ。何かにつけ「それは奇跡だ。神のご加護だ」といったことを口走ったらしい。まあ、しかし篤信家はだいたいそうしたもので、超常現象が信仰のベースになっているものだが・・・

ジャンヌは、啓示、幻視、預言、脱魂、アロバミエント(法悦)など、今でいう変性意識状態を含んだもろもろの体験を警戒した。ジャンヌはそうした体験を「異常 extraordinaire 」の体験と呼び、否定はしないけれども、そこに価値を置かなかった。ジャンヌにすれば、そういったことに囚われていては、〈内なる道〉を先に進めないというのだ。

ジャンヌは自伝のなかでも、この件について長々と一章を割いて書いている。しかも、彼女が〈内なる道〉に目覚めた直後の章として、まず書かれている。いかに彼女がこの件を重視していたかが分かる。

たとえば脱魂や、アロバミエントに伴う、幽体離脱のような体験は、まあ、あったとしても、そうそうみんなにたびたびあるものでもないだろうが、しかし、白昼夢的な幻視などは、人によっては頻繁に体験するものだ。
そうした幻視(霊視)体験には特に気をつけろと、ジャンヌはいう。
そこに滞ってしまうと、それでほぼ一生が終わってしまう・・・というのだ。

また、超常的な声が聴こえる現象(霊聴)も、往々にして妄想でしかないという。これは、彼女の言語観とも関係する。

神のコトバは、はっきりと分かるような分節された言葉になって聴こえるものではない・・・そう、説明する。(彼女の言語観ついては、そのうち詳述したい。)

さらに、預言や啓示も気をつけなければいけないという。
それに囚われると、往々にして偽の安心と浅薄な希望を持ってしまう・・・という。

ジャンヌは、こうまとめている。

そうした神の恵みがどんなに崇高に見えても、やり過ごすことが重要だ。たましいがそこに留まっているかぎり、自分を本当に断念できない。決して、神のうちへと渡れない。そうした恵みの中で、どんなに崇高な様子でいられたとしてもだ。恵みの中に留まっていたら、その恵みの贈り主のリアルな享楽を逸してしまう。それは、はかり知れない損失だ。

(a)

そうした神の恵みがどんなに素晴らしく見えても、やり過ごすことが重要だ ・・・
「異常」の体験を「神の恵み」とするのはピンと来ないかもしれないが、カトリック教会では、奇跡のたぐいの超常的現象や啓示・預言など、はたから見たら変性意識のもたらす言動や集団ヒステリーの帰結とおぼしきものを、認めている。その真偽をジャッジするのは、教会権力に委ねられている。たいがいの宗教はそうしたものだろうけれど。だからジャンヌも、それを否定はしない。
ただし、「神の恵み」とは、主体の〈わたし〉が、「恵み」(つまり神の「贈与」)を対象として受け取ることだ。あくまでも主体と対象という「二元」でのことだ。そこには自我意識が介在している。その「恵み」がどんなに素晴らしい崇高な幻視や幻聴、預言や啓示であったとしても、やり過ごさなければならない。越えなければならない。そこに執着したら、自分を断念することができないと、ジャンヌは強調する。

神のうちへと渡れない・・・自我意識が残っているかぎり、〈神〉のうちに渡れない、いわばワープできないのだ。〈神〉のうちには、主体が対象に外からアプローチする方法では入れない。〈神そのもの〉に入るためには、自我主体が消滅しなければならない。そのためには自分をすっかり神に明け渡して、〈裸の信〉に入らなければならない。
これについては、第一部で書いた以下を:


恵みの中に留まっていたら、贈り主のリアルな享楽を逸してしまう
・・・主体としての〈わたし〉と対象としての「恵み」という二元に留まっていたら、〈神〉のうちに渡れず、したがって「恵み」という贈与の贈り主である〈神そのもの〉をリアルに享楽することができない、と言う。
〈神〉をリアルに享楽するとは、要するに「究極のリアリティー」における無分節的享楽だ。無享楽の享楽。何も感じないのだけれど、「無感の感」の歓びを、奥底でびりびりと、恒常的に感じ続けている。それでいて、やっぱり何でもない。ごくあたりまえに息をして、出涸らしのお茶をすすって、ぼんやりカラスの声を聞いている・・・炬燵のなかでもいいし、庭の縁側でもいい・・・
そういう(「超自然」な)「自然」の状態に入ると、もう、「異常」が味気なく、色褪せてしまうというのだ。

繰り返しになるが、ジャンヌは「異常」を否定しているのではない。深層意識での、ある過程での創造的想像力のようなイメージの跳梁跋扈、百花繚乱を認めているのだが、それも落ちるまかせろ、囚われるなというのだ。

ジャンヌにすれば、そうした「異常」な状態に囚われるのは、感性ばかりに頼っているからではなく、逆に知性に頼りすぎるからなのだという。

人間は何でも自分で認識・知解できると思い込んでいるから、そうした「異常」な体験の意味・・を理解しようとする。神のしるしを読み取ろうとして、必要以上に囚われてしまう。それは人間の驕慢さの表れでしかないというのだ。

ジャンヌは、こうした知性に頼った信のあり方を、〈光の信〉と呼ぶ。


ジャンヌの目には、ラ・コンブは〈光の信〉にあった。神のしるしに囚われすぎていた。

6 水滴の夢

そんなラ・コンブへの不満を抱えたジャンヌはある夜、夢を見る。

二つの水滴が、きらきら、流れ落ちている・・・

水滴の連なりのひとつは、澄明で、美しく、比類なく明瞭だった。もうひとつの水滴も澄明だったが、細かい繊維のような、澱のようなものが水滴にたくさん混じっていた。
その二つの水滴を見ていると、主イエス・キリストが、わたしにつぶやいた。
「二つの水はどっちも渇きを癒すにはいい。でも、こっちは気持ちよく飲めるけど、あっちはちょっと美味しくないな。」

(b)

夢の中で、ジャンヌは気づいた。
イエスが「気持ちよく飲める」という方の、比類なく明瞭で美しい水滴は、〈裸の信〉を表わしている。自我の執着のかけらもない純粋さだ。
もう一方の細かい繊維が混じっている水滴は、〈光の信〉だ。きらきらしているけれども、識別の繊維が混じっている・・・



すると突然、夢の場面が変わった。

ラ・コンブ神父が、ぼろぼろになった服を着て、わたしの前に現れた。突然、その服がわたしの上で繕われていった。まず四分の一が。そしてまた四分の一が。それから随分して、残り半分がすっかり繕われ、ラ・コンブ神父にすばらしい新調の服が着せられたのだった。

(c)

ジャンヌは悟った。
ジャンヌは、ラ・コンブを託されているのだ。彼を〈光の信〉から〈裸の信〉へと導くようにと、イエスから託されているのだ。

しかも、ジャンヌはその夢で、あることをイエスから知らされたという。

ラ・コンブが彼女に託されたのは、実は随分と前のことだったというのだ。ジャンヌと子どもたちが天然痘にかかり、次男が亡くなったその時以来のことだったというのだ。
天然痘の件については、以下を:


ジャンヌは気がついた。

ラ・コンブは、聴罪司祭として自分にとっての〈父〉の役割であるけれども、同時に、自分が導き育てるべき〈子〉でもあるのだ・・・


ううむ。・・・しかし、これが夢告のようなものだとしたら、それこそ〈光の信〉ではないのだろうか?

けれどもまあ、このジャンヌの夢、夢告としては、どうも、ぱっとしない。ごくありきたりの夢にしか思えない。

ジャンヌはいつも自分の夢について、精神分析的な夢分析に近いようなアプローチをしているように思える。

亡くなった次男とラ・コンブを奔放に繋げてしまうのもたいしたものだが、しかし、夢分析としては十分に合点が行く。それだけ次男の死が、癒せぬ心理的傷になっていたのだろうし、自分が全幅の信頼を置くラ・コンブに無意識に次男を重ね合わせるのは、自然なことだろう。
考えてみれば、ラ・コンブはそれまでのジャンヌの人生で、すんなり親しくなれて信頼できる、はじめての男性ではないだろうか?

ともあれ、エロティシズムに溢れる美しい夢だ。


7 神秘の母性

ジャンヌはこの夢を通して、自分の中にある母性を発見した。〈神秘の母性〉ないし〈恩寵の母性〉と、ジャンヌは呼ぶ。

この〈神秘の母性〉は、例えば家庭における良妻賢母的な「母性」とは違う。
ジャンヌの〈神秘の母性〉は、子を産むことを前提にしない。
ジャンヌが「産む」のは人間ではなく、恩寵だ。あるいは聖霊と言ってもいい。
その恩寵を、子たち(つまり弟子たち)に与えて、子たちを教え導き、指導教育するのだ。そうやって子たちを新しく生まれ変わらせる・・・

このイマジナリーな母性は、男性支配社会の中で、かなりのインパクトを持つ発想だった。
当時の社会規範では、子を「産む」のは「母」の役割であっても、子を「教え導く」のは基本的に「父」の役割なのだ。なにしろ「劣った性である女性は、常に男性の教えに従わなければならない」といった言説規範が普通にまかり通っていた時代だ。(もちろん、フランスだけのことではないだろう。)
ところが、ジャンヌの〈神秘の母性〉では「母」が子を教え導くのだ。  
ラ・コンブで言えば、ラ・コンブは神父として、本来ジャンヌを指導する立場にある。「父」としての役割を担っている。
しかしジャンヌは〈神秘の母性〉を根拠に、その「父」である立場のラ・コンブを「子」に転換させ、彼を指導教育し、新しく生まれ変わらせるのだ。

この「母性」は「父性」でもある気がする。少なくとも、当時支配的だった「父性」観の境界を侵犯するものだったと言えよう。

このイマジナリーな母性の発見が、静寂者ジャンヌのその後の活動の根拠となる。

ジャンヌは、自分が〈母〉であり、ラ・コンブが〈子〉であることを、ラ・コンブ本人に伝えなければならなかった。けれど、さすがになかなか言えなかった。プライドを傷つけられたと感じて、ラ・コンブが怒るのではないか。むくれちゃうのではないか…… と危惧したのだ。(ラ・コンブは彼女より8歳年上の神父だ。)
それでもジャンヌは「神に対して、あくまでも従順である」(人に対してではない)ために、自己愛による見せかけの謙虚さに逃げることなく、ラ・コンブにちゃんと伝えることを決意した。

ミサの最中、告解の折に、ジャンヌはラ・コンブに、こう言った。

神父さま、主は、わたしがあなたの恩寵の母であることを、あなたに言うように求めています。詳細はミサの後で・・・

(d)

神父さま」・・・フランス語では神父を「私の父 mon père」と呼ぶ。ここは、「わたしの父よ、わたしはあなたの母なのです」というアイロニカルな表現だ。 

それを聞いて、ラ・コンブはミサの祈りのうちに、神に問うた。

そして、ジャンヌの言うとおり、彼女が自分にとっての〈恩寵の母〉であることを、確かめた。

さらにジャンヌから詳しく話を聞いて、ラ・コンブは大変に驚いた。というのも、ちょうどジャンヌが次男を失ったまさにその時、ラ・コンブは強烈な神の一撃を受けたことをよく覚えていたからだった。

・・・それこそ〈光の信〉ではないか、と突っ込みを入れたくなるのだが。

それにしてもラ・コンブ、図抜けた柔軟さに恵まれていたことは間違いない。
やはり大器だ。


(a) (C'est pourquoi je dis qu') il est de grande conséquence de faire outrepasser tous ces dons, quelque sublimes qu'ils paraissent, parce que tant que l'âme y demeure, elle ne se renonce pas véritablement, et ainsi ne passe jamais en Dieu même, quoiqu'elle soit dans ces dons d'une manière très sublime; et ainsi restant dans443 les dons, elle perd la jouissance réelle du donateur, qui est une perte inestimable.

(b) L'une me paraissait d'une clarté, d'une beauté et netteté sans pareille, l'autre me paraissait avoir aussi de la clarté, mais elle était toute pleine de petites fibres ou filets de bourbe; et comme je les regardais attentivement, il me fut dit : « Ces deux eaux sont toutes deux bonnes pour étancher la soif, mais celle-ci se boit avec agrément, et l'autre avec un peu de dégoût. »

(c) En même temps il me parut revêtu d'une robe toute déchirée, et je vis tout à coup que l'on raccommoda cette robe sur moi. On en fit d'abord un quart, et ensuite un autre quart; puis longtemps après l'autre moitié fut toute faite, et il fut habillé de neuf magnifiquement.

(d) « Mon père, Notre-Seigneur veut que je vous dise que je suis votre mère de grâce et je vous dirai le reste après votre messe. »

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