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静寂者ジャンヌ 15 私はあなたに値しませんでした

いちばんどりの鳴かないうちに
ヴェールをかぶって外に出る。

家はまだ眠っている。

幸せの闇
草の香り
風の予感
音のない
せせらぎ

わたしはあなたに会いにゆく。

Mother  !

あけそうで
あけない
あけのそら

ひとりぼっちの雲が浮かんでる

わたしのこころだろうか?

あなたのこころだろうか?

(今回は、ちょっと長い。気が向いた時に、気の向くだけ読んでいただきたい。)


1)こころの港 グランジェ

ジャンヌは、マザー・グランジェを頼った。

夫と姑は、
ジャンヌがグランジェのもとに通っているのを突き止め、
グランジェに会うことを禁じた。

ジャンヌが外出すると、家の者に尾行させた。

グランジェに会ったことがバレると、
ジャンヌに、ひどい仕打ちが待っていた。
時には、数日も。

それでもジャンヌは通い続けた。

グランジェは、ジャンヌのこころの港だった。

モンタルジの女子ベネディクト修道会の建物は、
残念ながら取り壊されて、今に残っていない。

モンタルジの中心部から橋を渡った、向こう岸にあった。
その一帯は、今では住宅街だが、
当時は、ひとけのない場所だったという。

グランジェは、親身になってジャンヌの面倒をみた。
グランジェに見守られながら、ジャンヌは〈内なる道〉を深めていく。

ジャンヌは、家庭の悩みもすべてグランジェに相談した。

ジャンヌの行く手には、次から次に、苦難が待ち受けていた。

もし、グランジェがいなかったら、ジャンヌは、どうなっていただろう?


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2)天然痘
1670年のことだ。
5歳になる長男が、天然痘に罹ってしまった。
この時代、天然痘が猛威をふるっていた。
もちろんワクチンなど、まだなかった。

周りの人たちは、すぐに家族全員、隔離・避難するように
ジャンヌに忠告した。
しかし、ジャンヌがそう言っても、姑は首肯しなかった。
事態を軽く見ていたのだろうか?

ジャンヌの言うことを、全て頭ごなしに否定したのだろう。

ほどなくして、2歳になる次男も天然痘にかかってしまった。
そして、ジャンヌもかかってしまった。
それでも、姑は治療を認めなかった。

親子の容体がどんどん悪化した。
ぎりぎりのところで、医者にみてもらった。

次男が亡くなった。

長男も、美しい瞳をした繊細な顔立ちが
「泥土で出来たかのように」変形してしまったという。

ジャンヌも高熱で苦しんだが、一命をとりとめた。

熱が下がって、ようやく意識を取り戻したジャンヌは、
鏡で自分の顔を見た。

そこには、変わり果てた顔が映っていた。

ジャンヌは、鏡の自分が怖くてたまらなかった。

知り合いたちが見舞いに訪れた。

あの美しかったジャンヌがどんなに醜くなったか…
人々はジャンヌの顔を好奇の目で覗き込んだ。
そう、ジャンヌは書いている。

ようやく起きられるようになって、ジャンヌは外に出た。

赤く腫れ上がり、穴の空いた顔を人目に晒して、街を歩いた。
自己愛が完膚なきまでに打ち崩される瞬間だったという。

ジャンヌは22歳だった。


3)父と娘の死
それから二年後。
ジャンヌの父親と、3歳になる娘が、相次いで亡くなった。

ジャンヌは、娘をとても可愛がっていた。
病気による急死だったらしい。

父親は、長らく病に伏していた。
ジャンヌは大のお父さん子だった。

次男に続く、父と娘の死は、
ジャンヌにとって埋めがたい喪失となった。


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4)暗夜

〈外〉での苦難に呼応するように、〈内〉にも変化が起こる。

ちょうどこの頃から、ジャンヌは〈内なる道〉の新たなフェーズに入る。

〈神秘の夜〉と呼ばれる内的なパッセージだ。

自分が神にすっかり見放されたような気になってしまうパッセージ。

それまでの〈神の現前の享楽〉が、だんだん消えてしまう。
なにも感じなくなっていく。

どんどん自信喪失に陥っていく。

暗夜の心象風景。

自分がまるで「ゴミのような」存在にしか思えなくなった、とジャンヌは言う。

これから七年間、ジャンヌは〈夜〉の状態に苦しむこととなる。


5)幼きイエスとの婚姻

グランジェは、そんなジャンヌの内的状態をしっかり観察していた。

〈夜〉は〈内なる道〉において誰しもが通過しなければならない
辛いパッセージだが、
ジャンヌがいよいよ〈夜〉に入ったのを見て、
グランジェは、ジャンヌのために策を打った。

ジャンヌと「幼きイエス」の霊的な結婚の秘儀を執り行ったのだ。

「幼いイエス」は、赤ん坊のイエス・キリストだ。
よく聖母マリアに抱かれている赤ん坊のイエスの絵がある。あれだ。
それはシンプルさ、無垢の象徴だ。

幼いイエス信奉は当時、流行っていた。
流行に敏感なジャンヌも「幼いイエス」が大好きだった。
そのあたりも、グランジェはしっかり見ていたのだろう。

グランジェの指示に従って、ジャンヌは、まず、
マグダラのマリアの日、つまり7月22日の前日に断食をし、
当日、指輪をつけてミサに与った。
部屋に帰ってから、マリアに抱かれた幼いイエスの絵の前で、
「我らが主である幼子イエスを、夫とすることを誓います。
 わたしを彼の妻として捧げることを誓います。」
と、誓いの言葉を口にして、契約書にサインし、
そして、指輪をお供えした。
(すごい!)

このグランジェのアイデアは功を奏した。
幼いイエスとの結婚の秘儀は、
ジャンヌにとって大きな精神的な励ましとなり、
内的な支えとなった。

その日以来、ジャンヌは、
自分がイエス・キリストの「生きた聖堂」となったようだった…
そう、書いている。

そうやって、グランジェはいつもジャンヌのこころの傍にいて、
彼女の心理状態を見守ってくれていたのだ。
そして、いざという時に即座に適切なケアをしてくれていた。

おばあちゃんが孫娘を守るように。


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それにしてもいかに霊的であれ、
赤ん坊のイエスと結婚するというのは、
なんだかぶっ飛んだ発想にも思える。

しかも、ジャンヌには夫がいるのだから。
(本来は、修道女のための秘儀なのだ。)

実は、そこにグランジェの目論見があった。

この世の結婚の辛苦から、ジャンヌを解放すること。

例えば、すでに触れたが、
若いジャンヌは、16歳で結婚して以来、
夫の一方的で暴力的な性的強要に
ずっと、痛み苦しんできた。
しかし、結婚二年目から
(と自伝に書いているが、前後の文脈から、
〈内なる道〉に入ってから二年目ではないか?)
だんだん、
 「私はまるで身体がないのと同じほどに、
  しばしば何も感じないようになっていった」
という。
それは「恩寵のおかげ」だったという。
神が自分を「守ってくれていた」というのだ。

それは、幼きイエスとの霊的結婚によって、確固たるものになったという。

イエスとの霊的結婚は、
夫の性的暴力からジャンヌを精神的に守るための
グランジェの秘策でもあったことが分かる。

このあたり、シスターフッドの細やかさ、確かさが感じ取れる。

こうしたことは、信仰の問題だから、
キリスト教を信じていない人にとっては、
荒唐無稽に思えるかもしれない。
でも、「想像的」なことも、大切だ。

この想像的な婚姻は、
グランジェがジャンヌに贈った
愛の優しさだ。

それは、師と弟子の
純粋な信頼に花咲く夢だ。

この夢が、〈こころ〉を、〈からだ〉を、リアルに守ってくれる。


6)グランジェの死
2年後の1674年、グランジェが息を引き取った。

ちょうどジャンヌが夫と旅行中のことだった。

グランジェの最期に、ジャンヌは立ち会うことができなかった。

昏睡状態にあったグランジェは、
周りの者から、ジャンヌについて話しかけられると、
ふと意識を取り戻し、こう言ったという。

   「彼女を愛していますよ、ずっと、神のうちで」

 それっきりグランジェは何も喋らなくなり、息を引き取ったという。

享年74だった。


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7)夫の死
それから約2年後。
夫のジャックが亡くなった。

母親に頭のあがらない、癇癪持ちの男は、
死に際にジャンヌとこんな会話をしたという。 

ジャンヌが、夫のベッドの傍に跪いて、こう言った。
「もしこれまでの私にお気に召さないことがありましたら、お許しください。
 わざとではなかったのです」
すると、夫は感に打たれたらしく、まるで深い眠りから覚めるように、
こう言った。
「私こそ許してください。私はあなたに値しませんでした」

さて、この最後の言葉を、どう解釈するか?

死の直前になって、母親の呪縛から脱したのか?
最後の最後で、改悛したのか?

微妙だな・・・

ちなみに、ジャンヌは観察するだけで、
直接的なコメントを書いていない。

(こういうところ、ジャンヌの筆致はものすごく冷静なのだ。)

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