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『素直に喜べない受験の心理』

 福岡堅樹選手の順天堂大医学部合格が報告されました。順天堂大医学部と言えば国公立大学を含めた 医学部の中では最難関の部類です。本当に凄いことです。ラグビーをしながら受験にも取り組み結果を出す。ある意味で偉業とも言えそうな事ですし、本人の知名度もあって大々的に報じられました。それだけ多くの人の耳に届くニュースになりました。

 「マジに福岡堅樹はないわぁ〜

 受験生の一人が私に言ってきました。私自身の経験からすぐにピンと来ました。やはり、家庭内の会話で福岡選手と比べられるようです。恐らく声を掛ける側の親御さんはそうネガティヴな気持ちで言ってるつもりはないでしょうが、比べられる当人には些か嫌味に聞こえるのでしょう。
 合格の知らせなので時は受験期真っ只中です。結果が出ずにもがき苦しみながら頑張る受験生にとって、他人の合格を喜ぶような余裕なんてありません。仲の良い友人の合格の報すら素直に喜べる人間はどれだけいるでしょうか。聖人でもない限り、人間とはそんなもんです。
 この福岡堅樹さんの合格に心を掻きむしられた受験生は多いと思います。多いと言いましたが何も大学受験だけではなく、日本中の数多くの中学生や高校一二年生が、親御さんから「福岡堅樹は凄いなぁ」なんて言われてイラついてる様が目に浮かびます。
「福岡堅樹さんに勇気づけられました。お陰で私も頑張り続けることができました」、
と理想的な展開を期待してしまう気持ちも分かりますが、それはあくまで非当事者の外野的なんでしょうね。もちろん、日本全国には福岡さんに勇気付けられる子供も多くいるでしょう。しかし、そういう子供は福岡堅樹さん同様に高い能力を持った子供であると見た方が良いです。知力や努力が現段階で備わってる子供たちです。

 "偏差値が生み出す誤解"
 
 偏差値という尺度が導入されて学校の入学難易度が分かりやすくなりました。可視化された分、様々な誤解も生じます。例えば、大学の難易度は人間の能力の差だと勘違いされがちです。または偏差値が努力の量と同様に見られがちです。これを読んでて「そりゃそうやろ!」と思われる方もいらっしゃると思いますが、やはり個々の家庭環境の違いや学習の出発点の違い、到達してる学力の度合いと、横並びに考えられない条件の違いは多すぎます。決して偏差値は努力の差ではありません。与えられた環境の中で精一杯努力をして入った学校の偏差値を云々するのは間違いです
 以前、大学進学など到底考えられないくらいの学力の子供を見たことがあります。彼は1年間血の滲む努力をして大学に受かりました。合格したのは中堅クラスの偏差値帯の大学です。しかし、残念なことにその子は中堅大学だと言うことで家庭内ではあまり祝福されなかったのです。偏差値の悪夢としか言えません。可視化された偏差値が絶対的な基準になってしまった悪夢です。

「あそこの息子さんは東大らしいよ」と九大志望者に。
「あそこの娘さんは国立の医学部らしいよ」と私立医学部志望者に。
 
これ、聞かされる本人たちはたまったもんじゃありません。上の例以外にも枚挙に暇はありません。
 もちろんこれ、声を掛けてしまう側を悪く言うつもりはありません。結局は、「隣の芝は青い」のです。偏差値の誤解も相まって特段青く見えてしまいます。悪気がないところでしょうが、意外とその青さが耐えられなく感じるのは実は声を掛ける側にもあるのです。真剣に自分の子供と他人の子供を比べてしまい、その違いを追求するあまりに物凄いストレスを抱えてしまう人がいます。
「同じ塾に通わせなければならない」、
「同じ教材を使わなければならない」、
と教育への熱意がどんどんエスカレートしていったりします。または、育て方が間違ってたと自分を責めたり、自分の子供を見限ってしまい親子関係を崩してしまったりすることも間々あります。これは深刻です。子供自身が友人や有名人の成功を素直に認められないとかそういうレベルの問題ではなく、はっきりと妬みや嫉みという形で現れてきます。親子関係で済めば良くて、お互いのDNAに責任をなすりつけたりして夫婦関係すらおかしくなることもあります。
 私は数多くの子供を見てきました。数多くの家庭にお邪魔してきました。そうすんなりと難関校に受かることはありません。それと、私自身が関わった子供のことが事実以上に噂を立てられてることも数多く経験しました。特に、受かってもいない学校に合格したという噂が立つことがあります。子供の合格の噂は子供が媒介するので歪曲した伝聞が多いです。また不思議なことなんですが、合格に関しては情報の伝達は異常に速いです。悪い噂は早く伝わると言われるのにです。結局、結果はともあれ、どこの家庭もそれなりに苦しみ悩みながら受験を乗り越えてるわけであり、特別なことがあるかと言うと、それは無いです。断言できます。
 もしあるとするなら、それは受験期に為されたことではなく、ずっとずっと前に遡って為されたことの積み重ねです。それはもしかして、子供が産まれる前に遡ることかもしれません。その子の親自身の生きる哲学みたいなものだと思います。

 

 受験に手遅れはありません

「小学五年生だからもう中学受験には間に合わない」、
「中学三年生の夏休み、あぁ、もう諦めた」、
「高校卒業、高校時代遊んでばっかりいたもんな」

 これらは本当によく聞くフレーズです。
何故そう思ってしまうのか、それは他人との比較なんです。相対化するからネガティヴになってしまうのです。
 ただ、誤解があってはならないのでもう少し説明します。楽観的に捉えろと言うつもりや頑張るだけなどと精神論を言ってるつもりはありません。中学受験に間に合わないと思っても今この瞬間に始めれば高校受験には間に合います。中学生でもそうです。今、この瞬間に一念発起をすれば大学受験には十分間に合います。それはガラリと人間を変えるほどの変化を必要としません。少し習慣を変えるだけなのです。高校卒業したとしても、大学受験に臨む自分自身はほぼ18歳の立派な大人の思考を持った人間です。もう自分の将来を客観的に展望できます。そこでしっかりと考えれば、自ずとやるべき事が見えるでしょう。これらには他人と自分を比較する余地はありません。自分自身次第なのです。
 
 そうして自分が自分自身へ

まだ時間はあるか?

と、問いかけができれば、おそらくその時は福岡堅樹さんに勇気づけられることになると思います。そういう時こそ他人の頑張りに励まされるのです。

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