見出し画像

【小説】アメリカで現地のバンドに入ったらめちゃくちゃすぎてうんざりした件

こちらは八幡謙介が2015年に発表した小説です。

アメリカで現地のバンドに入ったらめちゃくちゃすぎてうんざりした件


この作品はフィクションです。


1 〝バンブー〟からのスカウト


「ケン、今日はお前目当ての客が来てる。地元の友達でイカれたバンドでギターを弾いているマークってやつさ。後で紹介するから。」
 トランペットのクランシー――名前は〝ジョン〟だが、多すぎてややこしいから皆彼を名字の〝クランシー〟で呼ぶ――が、ギグのリハーサル中、僕にそう告げた。一瞬何のことだか分からなかったけど、いつものように彼の金色の眉毛を不思議そうに眺めながら適当に頷いた。クランシーは見事な金髪で、眉毛もまた縁起のいい毛虫のようにもっさりと黄金色に輝いている。ボストンで意を決して始めた合気道の稽古仲間で、帰りが同じ方向であることから車に乗せてもらうようになり、やがてお互いミュージシャンだと分かると、すぐに彼のバンドに誘われた。今日はそのバンドでのギグだった。
 はっきりいって退屈なジャムバンドだったけど、アメリカ人たちとのバンド活動は、どこか特別な気分になれた。B音大に通う日本人は、ほとんど日本人としかバンドを組まない。僕は心のどこかで彼等を見下していた。今日のギグは、クランシーが見つけてきた同じB音大のテナーがゲストで参加するらしい。何度か学校でも見たことのある、スウェーデン人のヨハンだ。
 クランシーバンドお決まりの退屈な60年代ジャズファンクに乗って、ヨハンはB音大生らしくこれ見よがしにコルトレーンフレーズをたたみ掛ける。僕はそれを白い目で眺めながら、一瞬の享楽にどうにかすがりつこうとする。スポットライト、観客の目線、時折挙がる奇声、ドラムソロになった途端一気に流し込むビール……。この時間が永遠に続いてほしいと思わないミュージシャンはいない。
 とはいえ、ステージは必ず終わりを迎える。最後の曲が終わって、まばらな拍手の中ギターをステージに置くと、眼鏡をかけたひょろひょろのマッドサイエンティストみたいな男がこちらに向かって来るのが分かった。
「ケン、紹介するよ、地元の〝バンブー〟というバンドでギターをやってるマークだ。」
 クランシーがそう言う。マークに握手の手を差し伸べると、
「*;@・#$@%&?・##%$」
 彼はもの凄い早口で何かをまくし立てた。僕は界王拳5倍の集中力で耳をそばだて、どうにかこうにか幾つかの単語を拾った。推測するに、こうである。
 彼のバンド〝バンブー〟のサイドギタリストが辞めた、新しいギタリストを探している、クランシーから君のことを聞いて興味を持ち演奏を聴きに来た、ワンダフルだ、ぜひうちのバンドのサイドギタリストになってほしい、年が明けたらリハーサルをしよう、CDをあげるから曲を覚えてくれ……。
 ……僕はその早口に圧倒され、ジャンルも分からずにOKした。とりあえず、バンド活動が広がるならなんでもよかった。マークは年が明けたらまた連絡すると言って去った。気がつけばもう、クリスマスが迫っていた。


 その年の冬は帰国しなかった。なんとなくめんどくさかったからだ。当時はボストンのミッション・ヒルというちょっと物騒なところに、フランス人、コロンビア人、カナダ人、ドイツ人らと住んでいた。そこに引っ越す前は日本人と住んでいたのだけど、これではいつまでたっても英語は上達しないと、一念発起して日本人以外とルームシェアすることにした。
 新しい住処はマンションではなく郊外の一軒家で、一階を別のグループがシェアし、二階が僕ら。僕の部屋は安かったけど、そこは本来リビングで、ドアがない。仕方なくカーテンで部屋を被ってプライバシーを保っていた。居心地は、まあ悪くはなかった。
 ルームメイトたちは、引っ越してきた僕を歓迎してくれた。学校が終わると夜な夜なキッチンに集まり、酒を飲みながら談笑した。ドイツ人やフランス人は、日本の文化に興味津々で、戦後の経済発展の要因だとか、日本人の勤勉さの源は何かとか、日本語でも答え辛い質問をばんばん投げかけてくる。冷や汗をかきながらそれに答えているうちに、いつの間にか僕の英語力は上がっていった。
 年が明け、ルームメイトたちが戻ってきはじめた頃、マークから電話が来た。相変わらず早口で単語しか拾えなかったけど、CDを持ってうちに来るらしい。住所を教えて電話を切り、しばらく待っていると呼び鈴が鳴った。玄関を開けると、ひょろひょろのマッドサイエンティストが立っていた。
「ハイ、ケン!@*#%?&+」
 相変わらずとんでもない早口で何かをまくしたてているマークを部屋に上げる。以下、めんどくさいから聞こえていることにする(本当はマークの早口を聞き取れるようになるまで半年かかったけど)。
 マークは3枚のCDを僕に手渡し、
「ケン、これが俺たちのやっているバンド〝バンブー〟のCDだ。今ギグでやっている曲は……」
 と、曲名を挙げる。僕はビニールを破ってCDを取り出し、マークの言った曲をかけてみた。
(ちょ……これ……)
 とんでもなくトロピカルなイントロが流れる。楽曲はアフロポップ調のダンスナンバーだ。僕が一番嫌いなタイプの……。他の曲も似たり寄ったりで、マンボやサルサ、サンバなど。作り笑いを浮かべながら、上の空でマークの説明を聞く。
(やめようかな、興味ないし……)
 そう思った瞬間、ふとある言葉が浮かんだ。
『興味のないものをやれ。じゃないと自分の幅が広がらないから、成長できない』
 当時から今も傾倒している武道家の先生の言葉だった。直接聞いたわけではなく、著書かブログに書いてあったものだったと思う。
(……そうか、これは自分の幅を広げるチャンスなんだ!)
「OKマーク、入るよ。」
 そう告げるとマークは素直に喜んでくれた。
「ありがとうケン、エキサイティングだ! こないだ『俺にもやらせてくれよ』って言ってきたやつがいたんだけど、普段はデスメタルか何かをやってるやつで、断ったところだったんだ。じゃあ今度リハーサルをしよう、あと近々ボストンでギグがあるからメンバーも紹介するよ、クランシーも招待するから一緒に観にきてくれ、じゃあな、また連絡する。」
 そう言ってそそくさと帰っていった。ボストンでの新しいバンド生活が始まった。


2 対面


 バンブーのギグの日が来て、僕はクランシーとボストンのとあるライブハウスに向かった。詳しくは忘れたけど、キャパ200人程度の小さい箱だったと思う。地下へと向かう階段の両脇には、所狭しと有名、無名様々なバンドのフライヤーが貼られていた。
 フロアは超満員とまではいかないけど、客の入りは上々で、バンドの人気が伺える。ひょっとして僕は凄いバンドに入ることになったんじゃないかと、ちょっとワクワクしてきた。ステージ袖からクランシーが僕を楽屋へと導いた。さすがに心臓が高鳴る。どんなメンバーなんだろう?
 楽屋のドアを開けた途端、強烈なマリファナの匂いが僕を包んだ。見渡すと、うっすらと靄がかった狭い部屋の中、ちょっといかつい男たちがジョイント(マリファナを巻いた煙草)を廻し、酒を飲んで騒いでいる。僕は一瞬でその空気に?まれてしまった。
(お、俺はこいつらとバンドをやるのかよ?)
 すると細身のマークが僕を見つけ、真っ先に話しかけてくれた。
「ハイ、ケン! よく来てくれたね、楽しんでいってくれよ。」
 すると小柄でニコニコした男が、
「君がケンかい? 聞いてるよ、俺はヴォーカルのブロードだ、宜しく!」
 明るい挨拶にちょっとだけほっとした。彼とは仲良くやれそうな気がした。そして何人かをマークが紹介してくれたが、ベースのジェスが一番怖かった。ど金髪に鋭い目つき、がっしりとした体躯のあちこちに彫られたあんまり格好良くないタトゥー、僕は一瞬で怖じ気づいてしまった。そんな僕の居心地を察したのか、別のいかついメンバーの男が口を開いた、
「ケン、俺は日本語の歌が歌えるんだぜ。」ニヤニヤ顔で言う。「へー、どんな歌?」
 すると男は、
「ツッキガー、データデーター、ツキガーデター。」
 顔を引き攣らせながら愛想笑いをする僕の心は、不安でいっぱいだった。
 ギグが始まると、観客の狂熱に圧倒されながら、僕は自分のパートを演奏しているサイドギタリストのプレイに耳をそばだてていた。CD通りの曲もあれば、かなりアレンジされているものもある。それらを記憶に留めながら、これから一緒にやっていくメンバーたちを眺めた。ブロードはよく通る独特の声で巧みに客を煽りながら歌い、フロアを盛り上げる。マークのギターは明るいトーンで、演奏は正確だった。コワモテのベーシスト、ジェスはシンプルだがグルーヴ感のあるラインで、ティンバレと共にバンドのボトムを支える。楽曲はマンボ、サンバ、ルンバ、アフロポップと、ひたすらトロピカルでまだなじめなかったけど、生で聴くとちょっとだけ印象が変わった。クールなバンドだと初めて感じた。


3 初めてのリハ


 対面から数日後、ギターのマークから電話があり、リハを行うことになった。僕もそのときにはライブでやる曲はだいたい覚えていたから、こころよくOKした。CDと違う部分はライブでおおよそ把握していたし、仮に全く知らないパートがあったとしても、当時ジャズをやっていた僕には簡単に覚えられる自信があった。
 リハ当日、マークがいつものボロボロのホンダで僕を迎えに来た。心中、またあのチンピラたちと会うのかと密かに憂鬱だったけど、これから一緒にバンドをやっていくんだからと気持ちを切り替えた。いつもトラムで移動しているボストンを車窓から眺めるのは新鮮だった。今僕は新しい扉を開いている、そんな気がした。
 車は、学生には馴染みのない住宅街に入り、アパートの一角に停まった。
「着いたよ、ケン。ここが俺のアパートだ。嫁さんを紹介するよ。」
 マークが言う。僕は面食らって、
「え、マークのアパートって……バンドでリハをするんじゃ?」
 すると彼はいつもの恐ろしい早口で、
「ああ、メンバーは忙しいからなかなか集まらないんだよ。」
 と悪びれずに言う。僕にとっての最初のギグは数日後に迫っているから、バンドではぶっつけ本番か……。
 アパートに入ると、マークと同じ細身の奥さんが笑顔で出迎えてくれた。アメリカ人の女性は、金髪で節々がごつく、自己主張が強い印象があるけど、ジェスカ――マークの奥さん――は線も細く、控えめな印象だった。僕はちょっとだけほっとした。
 二人だけのリハは順調に進んだ。というのも、僕が何を弾いてもマークは「ワオ!」とか「完璧だ!」と感嘆し、次々に進めていくからだった。アメリカ人は何でも大げさに褒めちぎる。最初こそびっくりしたけど、滞在して二年も経つと、慣れを通り越して呆れてしまう。僕は不安な箇所を何度もマークに問いただした。その都度彼は「完璧だ!」「何も問題ないよ」と太鼓判を押すが、僕の不安は完全に払拭されることはなかった。その予感はファーストギグで見事に的中したのだった。
 リハが一段落したところでジェスカがコーヒーを入れてくれた。彼女は相変わらずニコニコしていて、人当たりがよく、初対面の東洋人の僕に差別意識など微塵も持っていないようだった。こんな優しい奥さんを持ってアメリカで暮らしていくのも悪くない……音大卒業後のことをちらほら考えていた僕には、そんな将来もあるのかもしれないとふと空想した。
 三人で談笑していると、マークが奥さんに目配せをした。すると彼女は一旦退室し、すぐになにやら吸引器のようなものを持ち出してきた。
「ケン、一緒にやるかい?」
「え? 何それ……」と僕は訝る。
「ボングだよ。これでマリファナを吸うんだ。」
「あ、ああ……えっと……」
 据え膳食わねば男の恥、虎穴に入らずんば虎子を得ず……、僕は恐る恐る細長い吸引器に手を伸ばした。それにしても、どれだけマリファナが生活に根付いているんだろう? むせかえりながら、僕は日本とアメリカの文化の違いを痛感した。


4 ファーストギグ① オン・ザ・ロード


 記念すべきファーストギグの日が来た。僕は荷物をまとめてマークの迎えを待っていた。ギターはジャズで使っているアイバニーズのフルアコ、アンプはボストンで手に入れたポリトーン。今日は隣の州のコネティカットまでで、とんぼ返りするから着替えはいらない。
 20分遅刻してマークがやってくると、僕はそそくさとそれらをホンダに詰め込んで待ち合わせ場所に向かった。
 通称〝ガレージ〟と呼ばれている貸し倉庫に着くと、ヴォーカルのブロードが笑顔で挨拶してくれた。メンバーも全員揃っている。ベースのジェスがマークに遅刻の理由を問いただした。彼が一番チンピラっぽいのに、意外ときっちりしているらしい。マークが早口で何かをまくし立てると、ジェスが呆れたように笑った。僕には聞き取れなかったけど、どうやらいつものノリらしい。
 ジェスに促されて僕はギターとアンプを機材車に詰めた。皆は既に好きなシートに座ってしまい、僕は運転するジェスの隣に座ることになってしまった。
(怖いんだよなあ、この人……)
 緊張して何も話せなくなった僕を尻目に、バンはゆっくりと〝ガレージ〟を後にした。
 来るときは気づかなかったけど、この地域は〝JP〟――ジャマイカ・プレインの略――といって、ボストンでは有名なスラムである。通行人も、ギャングっぽいのが多い(隣で運転しているジェスもそうだが)。
 とはいえ、今からここを離れていくんだから別に問題ないか、そう思ってふと隣を見ると、ジェスが車を運転しながら、器用に葉巻用の巻紙で極太のジョイント(マリファナを詰めた煙草)を巻いていた。
(いや、ちょ……まだ町中だし……)
 そんな思いとは裏腹に、驚くほどの手捌きで極太ジョイントを巻き上げて何度か吹かすと、ジェスはそれをすぐ後ろに廻した。僕はヒヤヒヤしながら外にパトカーがいないか注意して見ていたが、メンバーは全く気にしていないらしい。と、後ろから肩を叩かれた。極太ジョイントが僕にも廻ってきた……。


 やがてバンはボストン郊外から高速に乗り込んだ。思えば、マサチューセッツ州から出るのは初めてだった。料金所でスピードを落とすと、バーが自然と開く。するとなぜかメンバー一同から割れるような歓声があがった。きょとんとしている僕に、
「バンのフロントガラスにパスが貼ってあるだろ?あれ期限切れてるんだけど、コンピュータがバカだからまだ認識してるんだよ。」
 と誰かが教えてくれた。なるほど、だからか……。
 初めてのロードは初っぱなから驚きの連続だったけど、僕は次第にメンバーと打ち解けてきた。と同時に彼らの素性(?)もちょっと分かってきた。ヴォーカルのブロードはフランス出身、パリで何かをやらかして刑務所に入り、司法取引で軍隊に送られコンゴで軍務に就いていたらしい。その後アメリカに渡ってき、グリーンカードを取得してアメリカ国籍となった。柔道の経験があるらしく、いきなり僕に、
「ササエツリコミアーシ!(支え釣り込み足)。」
 と技名を言って笑わせる。
 ジェスは見た目通り、ボストンの元チンピラで今は土方をしたり、DJをしたり、マリファナのディーラーをしたりと忙しい。音楽好きが高じてブロードと組んだのがこの〝バンブー〟だ。ギターのマークは僕と同じB音大の先輩、バンド内では最もインテリっぽい匂いがするものの、遅刻常習犯でもある。この三人がバンドの中心人物で、バンにはプエルトリコ人のコンガプレイヤー・ホセ、トランペットのトーマス(『月が出た出た』を歌ったやつ)、同じくトランペッターで黒人のピートもいた。ホセは僕に興味を示し、
「なあケン、日本は豊かな国なんだろ? いいな。」
 としきりにうらやましがった。出自が貧しいのかなと想像したが、そこまでは訊けなかった。
「ケン、『アイアン・シェフ』って、あれ日本のTV番組なんだよな?」
 誰かが訊いてきて、一瞬戸惑ったけど、すぐに『料理の鉄人』だと理解して、僕はびっくりした。
「そうだよ! こっちでもやってるんだ、へー、知らなかった……」
 ほとんど観たことない番組だったけど、アメリカで人気だと知り、なぜか自分のことのように嬉しかった。僕の世代(1978年生まれ)は、学校で『日本は悪い国だ』と徹底的に教えられてきているから、外国人が日本に興味を持っていたり、日本を好きでいてくれることがいちいち新鮮だった。
 バンの車窓から見える景色は単調でどこか寂しく、ホラー映画に出てきそうな薄気味悪い森林が延々と続いている。時折停まる巨大なサービスエリアには、マクドナルド、シカゴピッツァ、ダンキンドーナツ、スターバックスなどお定まりのファーストフードばかり。とはいえ、二年ほどの滞在期間で僕の胃袋は鍛錬済みだった。いつものバカみたいにでかいハンバーガーをコーラで流し込むと、またバンに乗り込んだ。

(試し読み終了)

本作は「八幡謙介短編集」に収録されています。

八幡謙介の小説全作品をチェックする

八幡謙介のHP