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『読みたいことを、書けばいい。』を読んで、[巨人の肩]に乗っていいことを知った。

「他人の人生を生きてはいけない。書くのは自分だ。誰も代わりに書いてくれない。あなたはあなたの人生を生きる。その方法のひとつが、「書く」ということなのだ。」p115

完全に主観ですが、私の中では、この言葉が一番ささりました。

他人の評価(ほめる・貶す)を気にして書くと、おもしろくなくなるという文脈の中で、記述されていた文です。「楽しいかどうか、は自分で決めることで、相手の評価は変えられない。」から、展開して、「他人の人生を~」につながります。

たまたま、こちらのブログを見かけました。

「話のパターンが4つくらいしかない人だった」という文が特に印象に残っています。著者のコメントから察するに、「聞いた話」「本に書いてあったこと」「SNSでバズった書き込み」をそのまま、会話の種にしていて、自分の経験や感動がなかったのでしょう。

あぁ、他人の人生をいきているって、こうゆうことなのか。

しかし、私は、いい線まではいっているのかなと感じました。
書籍「読みたいこと~」で紹介されていた「巨人の肩に乗る」から、考えてみた結果です。

「巨人の肩に乗る」という言葉がある。12世紀のフランス哲学者、ベルナールの言葉だ。歴史の中で人類がやってきたことの積み上げが巨人みたいなものだから、我々はその肩の上に乗って物事を見渡さない限り、進歩は望めない、という意味だ。p176-p178

「聞いた話」「本に書いてあったこと」「SNSでバズった書き込み」に頼ってもよい。現に、映画や小説など、モデルがあることも多い。

ただ、先のブログで描かれた人がいただけないのは、
「巨人の肩に乗る」ではなく、「巨人のように語った」点にある。

自分以外のコンテンツの話をしたら、以下のことを行うと、「巨人の肩に乗る」ことになる。
・自分の経験や試行錯誤の結果ではないと伝えること
・自分の考えを加えること

映画や小説家がやっているように、もっと大胆に、のっかっていいのか。

そう感じたのは、前提があります。
誰かのコンテンツを使うと、オリジナル感がでるのか不安だったのです。
「すごい作品は、著者の斬新なアイデアで生み出されている」イメージがありました。

斬新なアイデアって、過去の作品に基づいて生まれていることに、
「はっと」気づけたし、納得できました。

そういえば、映画『ジョーカー』も『キングオブコメディ』と『タクシードライバー』に影響を受けているって、いってたなって。

巨人の肩に乗って、オリジナル感が
本当に、でるのか。

この問いが浮かんだ時、司馬遼太郎が頭に浮かびました。
「実際に起こった出来事を小説にする」といういいかたをすると、
オリジナル感はあまり、ありません。

しかし、司馬史観(司馬遼太郎の歴史観)という言葉があるのに、
オリジナル感は圧倒的に存在します。【編集】という言葉を使うと、オリジナル感がでることを説明できます。

できごとを切り取り、繋げて、解釈を加えるような、編集を行うと、ある意味、主観が入るので、完全な模倣になりません。「みたいところだけ、みる」というスタンスでいれば、結果として、オリジナルになるのです。

noteに週一で投稿を半年続けました。
本書を読んで、ブログの書き方のプロセスを変えようと思います。

もっと、自分がおもしろいと思うように、
目標達成のための義務感ではなく、
「自分が楽しい」に重点をおいて、書こうかな。

***

書籍情報はこちら。

【目次】
はじめに 自分のために書くということ -書いたのに読んでもらえないあなたへ
序章 なんのために書いたか
第1章 なにを書くのか 〜ブログやSNSで書いているあなたへ〜
第2章 だれに書くのか 〜「読者を想定」しているあなたへ〜
第3章 どう書くのか 〜「つまらない人間」のあなたへ
第4章 なぜ書くのか 〜生き方を変えたいあなたへ〜
おわりに いつ書くのか。どこで書くのか。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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