一瞬の幸福から継続的な幸福へ
「幸福とはなにか?」
僕はこの言葉を聞くたびに頭の中でいろいろな考えが現れてきますが、結局いつも答えが出ないまま終わってしまいます。
幸福は人類が求めるものだと認識しています。それは型にはまった考え方ではなく、純粋な感情の元に持っています。
だから今日も少しでも幸福になるために努力をしなきゃという気持ちがあります。
僕は、幸福とは追い求める対象であったり概念のようなものであると思っています。でも、それは全員に共通するものではありません。
少しこの「幸福」について考えてみようと思う
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昨日、このような記事を読みました。
サウナ好きの人は昔に比べてかなり多くなりました。
東京や大阪を始め日本全国にサウナの新規店舗が続々開業しているとの話を耳にします。かつてフィンランドで生まれたひとつの文化が時を経て日本でブームとなっている状況です。
とはいえ、サウナは昔から多くの日本人に親しまれていたものだから、何を今更、と思う感情もあります。僕は日本にいないため、このブームを実感はしていません。
しかし、今いるジョージアにもサウナがあるため、全く違う文化圏で奇しくもサウナブームに便乗したことはあります。ジョージアではブームでもなんでもない文化の一つです。
この記事では、幸福には二種類あるといいます。
「ハピネス」と「ウェルビーイング」
ハピネスは「お金で買えるもの、数値化できるもの」。ウェルビーイングは「利他心によって体感できるもの、数値化しにくいもの」と区別できます。
筆者はウェルビーイングを継続させることが真の幸福だとしています。
サウナで得られる幸福はハピネスです。一時的にドーパミンが分泌され、快楽を得ることができます。しかし、その幸福感は長くは継続しません。
思えば、サウナ好きの人は何度もサウナに通っている印象があります。
その行為自体を悪いとは思わないし、サウナには幸福以外にもさまざまな効果があると思っています。
しかし、何度も通って人工的に幸福を得に行っているという行為自体はウェルビーイングとは言えないでしょう。
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ウェルビーイングを得ることとは、一瞬の幸福から継続的な幸福へ、求める幸福の尺度を変えることです。
継続的に幸福を得るためには、「利他心」が鍵になると筆者は述べています。
「挨拶」や「お礼」に始まり、個人商店での買い物などもそれにあたるといいます。幸福をどこか遠い世界のものと捉えていた僕にとっては、こんなに身近にあることに驚きがあります。
しかし、この記事を読んでから、幸福とはそういうことなんだろう、とじわじわ実感できる感覚もあります。挨拶をして感じる「気持ちいい」という感覚は長く続くし、ポジティブな気持ちになります。
加えて、「失敗談」をすることがポジティブな自己開示につながり、QOL向上をもたらす、との研究成果もあります。
このnoteでは、今まで僕の弱い部分をさんざん開示してきました。その意味では僕はもうとっくに幸福なのかもしれません。
僕の今はこれらの理論によると幸福な状態なのかもしれません。まだまだ認識できないけれど、一旦そういった結論を受け入れてみようと思います。
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この記事の内容はあくまで筆者の考えや筆者が引用している論文の成果であって、これらを全て信じなければならない、というものでもないとは思っています。
でも、サウナのような一時的なドーパミンを分泌する活動を繰り返すよりかは、継続的に幸福を感じられるウェルビーイングのことを考えていきたいと思いました。
僕の中ではまだ幸福という概念について深く実感できない部分があります。「今幸福である」ことを認識するのはとても苦手です。
だから、僕にとって幸福に対して「自分が目指すべき状態」といった未来志向の感覚を持ちたいと思っています。それを武器にさまざまなことに挑戦し続けられたらいいな、と思います。
それが結果的に一番自分にとってウェルビーイングな生活だと思うのです。
僕のことは以下の記事で紹介しています。
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それでは、また明日お会いしましょう!
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