今流行りの教養について考える
ここ5年くらいでできた僕の新しい趣味が、美術鑑賞です。
昔からアート好きな母の影響もあり、漠然とアートを見ることは好きでした。
そこにアートに関する知識が入ることで美術作品に対する見方が大きく変わり、そこに強く衝撃を受けました。
そんな出来事もあり、なんとなく美術館に足を運ぶようになり、今では美術鑑賞は僕の趣味の一つになっています。
哲学も好きで美術も好きだと、教養に精通している、といった見方をされることがあります。
それ自体は悪いこととは思わないけれど、教養ってなんなんだ?という考えに至ることがあります。
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このような記事を読みました。
近年出てきた「教養ブーム」に対し、本当に必要な学びについて言及しているものになります。
この記事では、仕事における雑談を引き合いに出し、かつては上司との機嫌を取るような身近な話題が雑談のテーマとなっていたものの、今では会話相手が身近な人にとどまらず、バックグラウンドの異なる世界中の人と雑談するようになってきたから、「教養」が必要になってきた、というものです。
教養は世界中の多くの人との共通話題として最適で、それゆえ今になって焦るように教養を学ぶ人が増え、ファスト教養なる文化も出てきました。
これに関してはいろいろと批判も出ています。
アートに関する疑問を掘り下げている評論家の山田五郎は、自身のYouTubeで、教養は好きで学ぶものであって、枝葉の豆知識を欲しがるのではなく本当に好きなことを一から勉強しよう、と言っています。
知識を集めるのも好きな僕にとって、ハッとさせられる発言ではありますが、的を射ていると感じます。
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美術作品に関しては、画家と作品名と描かれた年代を列挙して覚えるのも良いけれど、そもそもその絵に対して自分はどう思ったかを認識することが大切だと思います。
僕もアートが好きになってから、モネが好きになり、パリに足を運び、「印象・日の出」を初めとした素敵な作品を実際に見にいきました。
そこでの一連の体験は、うまく言葉で表せないような尊さを感じています。
もちろん教養はあった方が良いと思います。でも、本質はそのものへの感じ方であり、知識をシステマチックに身につけたところで、それは教養とは言わないでしょう。
世間で言われている教養の身につけ方、そしてそのブームには、僕自身も違和感を感じてしまいます。
そもそも「教養を身につける」ことを受験勉強と同じシステムと捉えている人がいます。
僕がアートを好きになってからは、誰に言われるまでもなくネットで情報を調べたり、実際に美術館を訪れたり、アート好きな人と作品に対する感想を話したり、といった知識だけでない体験があります。
興味を持つきっかけは何でも良いけれど、教養への本質を間違って捉えてはいけないと思います。
「アリストテレスが形而上学を定義した」という知識を覚えるだけでなく、形而上学とは?なぜアリストテレスはその境地にいたれたのか?それを実際の生活で活かすには?などといったことまで考えることが理想でしょう。
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これだけ情報が増えた現代において、好きなことを追求することや先人が作り上げたものに想いを馳せることはとても重要になってきます。
今でもイギリスのエリートの人たちと話す際は、教養について意見を求められる、といったことを聞いたことがあります。
教養を身につけること自体はとても良いことだと思うだけに、知識をシステマチックに落とし込むだけでなく、自分なりの思いや感じ方を時間をかけて膨らませることが良いなと思います。
そうすることで初めて「教養とは何か?」がわかってくると思うのです。
僕のことは以下の記事で紹介しています。
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それでは、また明日お会いしましょう!
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