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一人称がその人の印象をつくる

英語では「I」、ドイツ語なら「Ich」(イッヒ)、フランス語なら「je」(ジュ)、中国語なら「我」(ウォ)、ロシア語なら「я」(ヤー)などなど。

基本的にどの国も自分のことを指して呼ぶときの言葉(一人称)はひとつと決まっています。(韓国語のように一人称が二つある言語もあるけれど、そういった例は一旦無視します)

一人称の話になると、日本語の複雑さがとてもわかります。

この記事によると、日本語の一人称には「私」などの現代語では26語、「某」など古風な言葉を含むとなんと70種類もあるといいます。とても驚きました。

中には一人称だと理解できないような「不才」だとか「不佞」のような言葉もあります。

こういった一部の言葉を除いて、たいていの日本人はそれを聞けば「あ、今の言葉は自分自身のことを指しているんだな!」と理解できます。

それが一つ面白いポイントだと思います。

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一人称はただ多いだけでなく、その印象も左右します。

「私(わたし)」は日本語の一人称の中で最も一般的でオフィシャルな言葉だけど、特に若い男性がプライベートで使うと少し違和感があったりします。その場合は、「僕」や「俺」だとすんなり受け入れられます。

また、若い女性は一人称が自分の名前やニックネームの人もいます。

年齢や性別、立場、状況によってふさわしい一人称があるから、逆に考えると、場合によっては使い分ける必要があるとも言えます。例えば普段は「私(あたし)と言っている人も」、年配の方と話す時には「私(わたし)」を使うように。

これは意図してやっている人もいるし、自然にできる人もいるでしょう。

小説家や翻訳家はこういった一人称の使い分けにおけるプロフェッショナルです。読む人が違和感を持たないような言葉の使い分けをすることで、その作品の世界観に浸れることができます。

ただ、これは日本語の話。例えば、日本語の文章を外国語に翻訳する場合は、このそれぞれの一人称を受けて感じる印象はなかなか伝わりづらいものです。

例えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』という作品の題名。読んでいなくても、この「吾輩」という一人称から生意気で傲慢な猫が主人公なんだ、という想像がつきます。

しかし、これを英語に訳すと「I Am a Cat」。なんか違う。もちろん意味はあっているけれど、なにか可愛らしい猫を想像してしまいがちです。

日本語の奥深さとは、こういった言葉の使い分けの多さにも含まれていると感じることがあります。

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僕は、普段「僕」を使うことが多くあります。

男性だと、プライベートでは「俺」を使う人が多くいるけれど、僕はあまり使いません。学生の頃はよく使っていたけれど、気づいたらあまり使わなくなっていました。

というのも「俺」という言葉には、どうも上から目線で傲慢さを含む印象を受けます。

もちろんそういう意図じゃない人が多数でしょうが、例えば人前などのオフィシャルな場やお偉い方と話す時に「俺」と使うととても違和感があります。

でも「僕」だったら、(100%正しいとは言わないけれど)許容範囲という感覚を受けます。

社会人になってから、年上の人たちに囲まれるようになって、気づいたら「俺」という言葉を使う機会が激減しました。今では「僕」ばかり使っています。

ただ、もちろんルールなんて決めていないので、今でも「俺」を使うことはあります。たまに。

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どの言葉を使うかによってその人の印象は大きく変わります。だからこそ、普段から言葉には気をつけたいと思っています。

名探偵コナンでも「言葉は刃物。使い方を誤ると質の悪い凶器に変化する」なんてセリフがあります。

このnoteもそうだし、人との会話もそう。奥深い日本語だからこそ、使い方を間違えずにどう言った言葉を使うか考えていきたいです。

たとえ一人称。されど一人称。

そうやって関わる人々と、より良い関係性を築けたらいいなと思います。


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それでは、また明日お会いしましょう!

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