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「この世に正解はない」なんて言葉、言い古されてると思うけど

みんな、最終的には同じところを目指すんだなあと、1ヶ月くらい前までは、そう思っていた。

もう少し噛み砕くと、企業の行き着くところは、だいたい宇宙かAIかバイオテクノロジーだし、もう少し小さな視点でぼくのTwitterなんかを眺めていても、だいたいみんな、「動画」「オンラインサロン(コミュニティ)」「地方創生」の話しかしていない。

多少ルートは違っても、フェーズが進めば、だいたいみんな同じところに到達するもんなんだなあと、そう考えていた。

だからというわけでもないけれど、1ヶ月ほど前に、ぼくはこんなnoteを書いていた。

参考:人生の大事な決断は、ひとに委ねてきた

要約すると、ぼくのこれまでの決断は、けっこう他者の言葉によって決断されてきた側面があるという話だ。

ただこれは、換言すれば、ぼくが先駆者の作ってくれた、安全な道を通っているということでもある。

そして、これは「だいたい世の中にはお決まりの成功パターンがある」という大前提によって成り立っている。

という前提をぼくは疑わず、ぼくはここまで先駆者の作ってくれた道を頼りに、ある意味決められたルートを歩んできたわけだが..........

どうも最近のツイッタランドを観察していると、そうではないなと感じることも増えてきた。

つまり、ルートが違っても最終的にはゴールで合流するのかと思っていたら、ルートが違って、そのままみんな一向に集合する気配がなく、我のゴールに向かって歩みを進めているのだ。

かろうじて、どこかの休憩所でたまたま遭遇して、ちょっと一緒にお茶を飲むくらい。

この話は、ここでほんとは具体例を出したほうが、圧倒的に伝わりやすさが増すのだけれど、この話を出してしまうと、誰かと誰かが最近、思想の差が顕著に出てきたよねっていう話になり、ちょっとマイナス寄りな感じになってしまうので、出せません、ごめんなさい。


で、この現象については、表面上はみんな同じところを目指しているように見えて、実はずいぶん前からみんな違うところを目指していたのか(=ぼくの世の中を見る解像度が多少あがって見えるようになった)、本当に世の中の混沌具合が以前にも増して、明らかな正解がなくなり、みんなそれぞれがじぶんの信念に基づいて歩みはじめたのか、真偽のほどは不明。

(もしくは、両方という可能性もある!)

いずれの原因にせよ、とにかくぼくがいままで指針にしてきたひとたちが、それぞれの道を歩みだしているように見え始めたのは事実だ。

(これがもっと解像度が上がったら、一周回って、みんなバラバラなことをしてるように見えるけど、実は根本のところではつながってる!とかってなるのかも!)

つまり、さっき上ので紹介したような、誰か先輩の進んだ道を真似するということが、あからさまにはできなくなりつつある。

もちろん、じぶんで道を歩んでいきながら、周りや先に行く人達の様子をみる(=情報収集)ことは大切だけど、最後の本当の決断は、じぶんで決めるのだなあと。

というか、ぼくの気持ちとしては、「決めなきゃいけない」というよりも「決めていいんだ!」というほうが近い。


学校で、難しい問題集を渡されて、それと一緒に解答集ももらっちゃったら、ついつい答えを見ちゃうじゃん。

そこで、もし「困ったときのヒント集」くらいはもらって、答えは冬休み明けに配布しますとか先生に言われたたら、じぶんの思考力がマックスに稼働する。

そっちのほうが、絶対に楽しい。


「この世の中に正解はない」なんて言葉、学校の先生に耳にタコができるほど言い聞かされてきたけど、ここ1ヶ月で、ぼくはようやくそれを実感しつつある。

最後に決めるのは、自分だ。

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