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「裁量権」を得るほど「自由」は失われていく

『裁量権』って言葉、特にベンチャーを志す学生は大好きですよね。

かくいうぼくも大好きです。

だから、インターン先も就職先もベンチャーにしました。


ただまあ、この『裁量権』って言葉に関しては、日々少しずつ認識が変わってきている自分がいて........

そんなタイミングでちょうどタイムリーなnoteに出会ったので、今日は『裁量権』について最近少し考えていることを書こうと思います。


まず、ぼくも含めて、意欲ある若者はなんでそんなに『裁量権』を欲しがるのかというと、『自分の思うがままに仕事をしたい』からだと思います。

大企業だったら上司から与えられた事務仕事をせっせとこなすだけだけど(※めっちゃ偏見です)、ベンチャーだったら自分のやりたいように仕事ができる。

そう思ってベンチャーを希望するひとは、少なくないはずです。

実際、ぼくはベンチャーでインターンを始める前はそう思ってました。


でも、実際に1年間ベンチャーでインターンしてみて、ぼくの思い描いていた『裁量権』とはちょっと違うなということを学びました。

インターン終了間際にしてもらったインタビューでも答えたんですが、裁量権は『待ってたら振ってくるもの』じゃなくて、『信用を積み重ねて奪いにいくもの』です。


それから、いまは内定者インターンという形でいろいろと仕事をさせてもらってるんですが(=内定者としてはそれなりに裁量権のある状態で仕事をさせてもらってるんですが)、上で紹介したnoteのタイトルのように『裁量=自由』では決してないなということを感じています。


確かに、いろんな仕事をさせてもらってるんですが、その規模が大きくなったり関わる人が増えたりするほど、当然ですが『ミスったときの会社の損失』も比例して大きくなります。

そうなると、ぼくの判断ひとつで影響の出る範囲が大きくなり、ぼくのことだけを考えていればいい状況ではなくなります。

『自由』って、goo辞書には『自分の意のままに振る舞うことができること』とあるんですが、裁量権が大きくなればなるほど、『自分の意のまま』になんて振る舞えなくなります。


これの究極形が例えば安倍総理だと思うんですけど、安倍総理って、日本で有数の裁量権を持ってるひとのはずですが、『安倍さんは自由だと思いますか?』って街角でインタビューして、『はい』と応えるひとは少ないと思います。

もし安倍さんが本当はトランプさんのこと大嫌いで(例えばの話)、『お前をなんでわざわざ丁寧にもてなさなきゃいけないんだよ!F◯CK!』と言って中指立てたら、その瞬間に日本は終わりそうな気がします。

そういう意味で、安倍さんって裁量権はめちゃくちゃあるけど、自由は全然ないですよね。


上のはすごく極端な例ですが、もちろん『裁量権』ってある程度のラインまでは『自由』と比例関係にあります。

ただ、そのある程度のラインを越えると、むしろ反比例の関係になるんじゃないのかというのが、最近考えていることです。(しかもその閾値は意外と低い)

『個人の範囲での裁量権』という意味では、高校卒業したり、20歳になったり、社会人になったりしてステージが上がっていくにつれて、裁量権と同時に自由度も上がっていきますが、個人の範囲を飛び越えて『社会のなかでの裁量権』を獲得していこうとすると、そこそこ早いタイミングで『自由』は失われていきます。

そのひとつひとつの選択が、たくさんのひとに影響を与えるので。


ということで、結論は最初のnoteにもう書いてあったんですが、『裁量権』を得ることは、好き勝手できる『自由』を得ることではなくて、自分のみならず周りのひとにも影響を与えるという『責任』を引き受けることだなと、社会人1年目を半年後に控えたいまになって、ようやく感じつつあるという話でした。


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