エルヴィン団長は、なぜクーデターを起こしたのか?
見たいなーと思ってずっと見れていなかった、『進撃の巨人』のSeason3を一気見。
ちなみに、知ってる人も多いと思うんですけど、進撃の巨人というのは、一言でいうと「巨人」と「人間」が戦う物語です。
(話が進むと、巨人と巨人が戦ったり、人間と人間が戦ったりとややこしくなるんですが、大元は巨人vs人間です)
で、作品の登場人物に、エルヴィン団長という、超絶カッコいい人がいるんですね。
物語のなかで、エルヴィン団長は王政に対してクーデターを起こします。
無事、クーデターは成功するのですが、クーデターが終わったあと、エルヴィン団長は「本当にクーデターを起こして良かったのだろうか」と、自問自答をします。
というのも、王政のほうが巨人に関する知識が豊富にあるので、中長期的にみれば、王政がそのまま対巨人の指揮をとっていたほうが、人類が生き残る可能性が高かったんですね。
そこで、エルヴィン団長はこんな言葉を発しました。
「王政に託すべきだったのでしょう、人よりも人類が尊いのなら」
どういうことかというと、このクーデターを起こしたとき、エルヴィン団長が率いる調査兵団の人たちは、王政に身柄を拘束されていたり、指名手配をくらっていたりしました。
だから、ここでもしエルヴィン団長がクーデターを起こさなかったら、エルヴィン団長やその部下である調査兵団の人たちは殺されていました。
つまり、エルヴィン団長にとっては「人類」よりも「人(=仲間)」が尊くて、クーデターを起こしたのです。
この話を聞いて、「エルヴィン団長はなんて自分勝手な人なんだ!」と憤った人もいるかもしれません。
でも、よくよく考えてみれば、世の中はそんな「自分勝手」で満ち溢れているよなあと思いました。
ぼくが最近の「自分勝手」な例で印象に残ってるのが、キングコングの西野さんが立ち上げた『SILKHAT(シルクハット)』というクラウドファンディングサービスです。
このサービス、立ち上げたのは西野さんですが、リリース後の運営は吉本興業が担っています。
そして、このサービスを立ち上げた理由について、西野さんは本やインタビューなどで「吉本興業と芸人のため」と言っています。
きっかけは去年、博多大吉さんを筆頭に、何人かの芸人が吉本興業に対して「賃金アップ」を要求したニュースでした。
しかし結局、交渉は失敗。
そのニュースを見た西野さんが、どうしたら芸人の給料が上がるかなと考えて、「吉本興業の売上が上がれば、自然と芸人の給料も上がるんじゃないか」と考えたそうです。
そこで目をつけたのが、吉本芸人の「余剰労働力」でした。
どういうことかというと、いま吉本には6000人くらいの芸人が所属しているんですが、そのうち5000人くらいはお笑い一本では食べていけず、アルバイトをしています。
西野さんはこのアルバイトの時間と労働力が、吉本に注ぎ込まれるようにすればいいと考えました。
具体的には、クラウドファンディングで芸人がお客さんから直接お金をもらうことができれば、いままでアルバイトにつぎ込んでいた時間と労働力を、支援してもらったリターンとして、直接お客さんに還元することができます。
そして、そのクラウドファンディングが行われた際の手数料の何%かが吉本に振り込まれるようになれば、吉本の売上は上がるし、芸人の方たちの給料もアップするし、とってもいい仕組みじゃないか!ということです。
でもよくよく考えれば、この循環が実現すると、とても被害を被る人が出てきます。
そうです、「アルバイト先」です。
アルバイト先は、コミュニケーション能力が高くて、よく働いてくれる従業員を失うことになります。
つまり、一見素晴らしい今回の西野さんの施策も、「自分がお世話になっている吉本や友達がたくさんいる芸人に幸せになってもらう」ための施策であり、あえて極端な言い方をすれば、自分の仲間だけがハッピーになればいいという「自分勝手」な施策です。
実際、西野さんもインタビューで、自身のやっていることは「身の回りの人を守るためだ」と言っています。
――日本社会をどうにかしたい、というよりは、もっと身近なところから変えていきたい、というか。
西野:そうですね。僕ちょっと頭が悪いので、日本社会のこととかよくわからないんですよ。でも、たとえば自分の父ちゃんとか、相方の梶原とか、梶原の家族とか、彼らのことであれば「こうすれば守ることができる」ってわかる。というより、そんなことしかわからない。その先のことはわからないです。
参考:『新世界』未収録の“幻”の「おわりに」を公開! キンコン西野亮廣「正直者がバカを見ない未来の方が面白い。だから、作る」
結局、この世の中には「絶対的な正義」なんてなくて、あるのは常に「相対的な正義」だけです。
イスラム過激派だって、ぼくたちから見れば悪者かもしれませんが、向こうからしたら自分たちの信じる「正義」を貫くために、悪者であるぼくらを排除しているだけなのかもしれません。
「相対」の範囲をいかに広げていけるか
世の中のみんながハッピーになる仕組みなんてなくて、それぞれが自分の大切な人たちを守ってればいいんだ!というのは、それはそれですこし寂しい気もします。
じゃあどうすればいいんだというと、結局、「自分の大切な人」を増やしていくしかないんだと思います。
「相対」というのは結局グラデーションの話なので、その範囲は人それぞれです。
ただ、逆に言えばそれはどこまで言っても「相対」なので、「全員」というのは、難しいかもしれません...............
ここらへんは、引き続き考えます。
これは西野さんでさえ分からない難題なので、だいぶ考えがいがありますね。
「相対」の範囲を極限まで小さくしていくと...
さっき、相対はグラデーションだと言って、どれくらいまで大きくすることができるのか?という話をしました。
相対の範囲をどんどんと広げていくことを「進歩」と定義するなら、逆に一番狭いときを「スタート」とすることができます。
一番狭いというのは、つまり自分の一番大好きな人............ではなくて、そうです「自分自身」です。
つまり、ぼくたちの行動のすべては結局、もとをたどれば「自分」のためです。
実は、最初にでてきた進撃の巨人の話には続きがあります。
エルヴィン団長は、本当にクーデターを起こして良かったのかについて、一緒に企てた仲間と話しているのですが、その話相手に、こう言われるのです。
私の(クーデターに協力した)理由を言おうか。
昔からやつら(王政)が気に食わなかったからだ!(中略)
このクーデターが、人類にとっていいか悪いかなどには興味がない。(中略)
しかしそれは、君も同じだろ。
君は死にたくなかったのだよ。
私と同様、人類の命運よりも個人を優先させるほどに。
※かっこ内はぼくによる注釈です
つまり、さっきエルヴィン団長は「人類(という非常に大きな相対的範囲)」ではなく「人(という比較的狭い範囲)」を優先した自分を卑下するコメントをしていたのに、その話相手からは「いや、君の動機はもっと範囲が狭いよ」と言われたのです。
そう指摘されたエルヴィン団長は、このように返答します。
自分はとんだ思い上がりをしていたようです。(中略)
私には夢があります。
つまり、話相手に自分の本心の本心を見透かされて、自分の夢について語り始めるのです。(その夢を達成するために死にたくなかった)
そして実際、Season3の最後のシーンで、エルヴィン団長は部下から新しい作戦のメンバーからは外れるように言われます。(怪我をしているから)
しかし、エルヴィン団長はそれを断ります。
足手まといだ言われても、断ります。
なぜなら、その作戦を完遂した先に、「世の理を自分の目で見る」という自分の夢があるからです。
実は、さっきの西野さんのインタビューでも、同じようなことを西野さんは言っています。
――社会的な意義などよりも、もっと率直な自分の欲求なんですね。
西野:そうですそうです。もう、オナニーですね。自分が気持ちいいからやる。僕の父ちゃんがこんなことできるようになったよ、という話を聞いた方が「やった!」って思えるし、ええことやったなって納得できるし、それだけでニマニマしながら酒飲める。
参考:『新世界』未収録の“幻”の「おわりに」を公開! キンコン西野亮廣「正直者がバカを見ない未来の方が面白い。だから、作る」
根っこは「自己満足」でいい。というか、それしか無理
なんか、「世界平和」とか「貧困をなくす」って言うと、ものすごく崇高な感じに聞こえますよね。
それに比べて、自分は「自分が楽しいから」なんて理由でやっていると......申し訳ない気持ちになってきます。
でも世の中、大半の人の動機は「自分」のためです。
世界平和や貧困をなくすって言ってる人たちだって、たぶん、そういう世の中が実現したときにうれしい「自分」の気持ちのために、日々汗を流していいるんだと思います。
結局、「自分」のためが一番強いし、持続力があるし、自然な動機です。
つまり「自分がうれしいから」「自分が楽しいから」「自分が喜ぶから」は、立派な大義名分なのです。
★藤本けんたろうのツイッターはこちら↓
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!