見出し画像

クリエイターは「何かあったことを書く」だけじゃなく、「何もないことをどう書くか」も大事

すこし前に放送された、脚本家・坂元裕二さん回のプロフェッショナル、たくさんの金言がつまっていました。

※このあといっぱい放送時のコメントを引用しますが、一言一句正確とは限らないので、ご了承ください

たくさんの名言が飛び出した坂元さん回のプロフェッショナルですが、特に印象に残っているのは、「日常」や「リアル」を詳細に描くことの尊さでした。

以下、まずはバーと引用を掲載していきます。

紙に好きですって書いても、好きですっいうのは伝わらない。周りをどんどん塗りつぶしていくのが、脚本を書くっていう作業で、「私、この人のこと好き。目キラキラ」みたいなのは、そこには本当はない気がするんですよね。
小さい積み重ねで人間っていうのは描かれるものだから、僕にとっては大きな物語よりも、小さい仕草で描かれている人物をテレビで見るほうがとても刺激的だなって思うんですよ。
作家だと、遊ぶことが大事なんだとか。友達とお酒を飲んで刺激を受けることが作家としての生き方だと言われるけれども、自分は生活してるんだって。日常っていうのは絶対に迫ってくるものだし、それを捨てちゃいけないんだなっていう。こっちのほうがよっぽど大事なことなんだなって気づいた。
プロフェッショナルとは才能とか閃くってことはあてにならない。そのときに本当に書かせてくれるのは、そのひとの普段生活してる中で出てくる美意識とか、自分が世界とちゃんと触れ合っていないと生まれないから、机に向かってるとか、お酒を飲んでるだけじゃ生まれない。
作者の都合でお話を作ってしまう。ぼくの話じゃない。このひとたちの話だから。どんな面白いストーリーより、本当にその人たちが生きているように見えることが、ぼくはいちばん好きだし、自分でもそういうのを作りたいから・

太字はぼくがつけたものです。

そのなかでも、「本当」を描く坂元さんのこだわりに関しては、以前ちょうどぼくが他のドラマに憤慨していたこともあって、強く印象に残っています。

坂本さんのこの主張をぼくの解釈でおおまかにまとめると、「派手な体験とか刺激もいいけれ、人間の細かい言動や本当の本質っていうのは、日常にこそ隠れているものなんだよ」ということです。

一般的に、クリエイターは普段どれだけ刺激的ものから、インスピレーションを受けられるかみたいに語られがちじゃないですか。

でも坂元さんは、それとは真逆の持論を展開します。

この話を聞いたとき、ぼくはとあるブログを思い出しました。

このブログでは、世でいう「面白い」について、かなり真面目に考察されているものです。

すごく興味深く読んだので、今年1月のエントリだったんですが、その存在を覚えていました。

上記ブログに関して、ぼくなりの(本noteの文脈に合わせた)雑な要約をすると、「刺激的な体験はするに越したことはないけど、洞察力が鋭い人や、アウトプットの能力が高い人は、平凡な日常でもそこからなにかしらの考察を得る」です。

つまり、坂元さんは洞察力やアウトプットの能力がめちゃくちゃ高いので、日常のなかからなにかしらの物語を紡ぐことができるのです。

(あと、好みの問題として、坂元さんがそういった細かい仕草とかを描くのが好きだというのもあると思います)

なので、ぼくたち平凡な人民は、あまり坂元さんの言葉を真に受けすぎずに、なにかしらの新しい体験を求めて、その刺激をもとになんらかのアウトプットをするほうが、「簡単」です。

ただ、何気ない日常にも、たくさんのクリエイティブなヒントがつまってるから、そっちも見逃さないように気をつけよう、くらいのスタンスがいちばん無難な気がします。

ぼく自身もまだ答えが出てない問いで、ゴールが行方不明なんですが、きょうはとりあえず、こんな感じのスタンス提案で終わります。


★伝えるって、難しい。けど楽しい


最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!