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「なにを好きか」ではなく「なにを嫌いか」が、思想を彫刻する

またなんともタップされなさそうなタイトルしか思い浮かばなかった藤本です。よろしくお願いします。

WIREDの元編集長である若林さんと、クラシコム青木さんの対談記事があります。

公開されたのは2018年3月26日なんですが、当時読んだときは、書いてある内容が全くのチンプンカンプンでした。

それから半年以上経って、最近改めて読み直してみたら、理解度が10%くらいは上がったんじゃないかなと思いました。

ただ、まだこの記事が伝えようとしていることの半分も咀嚼できている気がしないので、これからも定期的に読み返していきたいです。

...と、今日のnoteは、この記事にでてきたとある話を取り上げます。

半年前に読んだときは完全に意味不明で、最近改めてその真意について考えている、とある言葉をまずは引用します。

若林
考えてみればメディアの個性ってのは、「なにが嫌いか」っていう軸をめぐって立ってるものかもしれないですね。

みなさん、この言葉の意味わかりますか?!?!

ぼくも肌感的にものすごく示唆に富んだメッセージなんだろうなというのは感じるんですが、その意図することについては、まだまだ理解しきれていません。

ただ、最近すこし考えているのは、選択肢も可能性も無限にありふれた現代において、「なにをするか」よりも「なにをしないか」のほうが、大事なのではないかということ。

そしてそれは、「なにを好きか」ではなく「なにを嫌いか」こそが、そのひとの思想をかたちづくるという、タイトルにもつながってくるのではないかということです。

手を伸ばせばなににでも届いてしまう時代だからこそ、どれに対して手を引っ込めるかに、焦点があたる。そんな気がします。

まだぼくの理解が浅すぎてこんな抽象的な話しかできませんが、これはとても大事な話なのは感じてるので、これからも考え続けていきます。


★ぼくも少しづつ、じぶんの思想を掘りつつ、彫っていくことにもしました


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