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「人工知能」という呼び方は変えたほうがいいかもしれない

しかしもし自分の車が自動運転をするなら、ガレージと口論したことを気にするといった人間的な感情に囚われずに、道路の状態に集中してほしい。
病院にいる人工のワトソン先生には診断に集中してもらって、本当は金融の専門になればよかった、などと決して悩んでほしくない。


『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだ感想、第6回です!

第1回 現代に生きるぼくたちはみな、「永遠の初心者」
第2回 スティーブ・ジョブズの「最大の功績」
第3回 「変革」を起こすのに最も適した時代は?
第4回 カメラの未来は「撮ったもん勝ち」
第5回 AIの「進化した姿」とは


よく、AIが発達したときの悪い未来として、『自意識をもったAIが人間を支配する』みたいな描写がありますよね。

こういう描き方をすると、つい『自意識を持たないAIは持っているAIよりも劣っている』という認識になりがちなんですが、筆者はむしろ逆だと述べています。

冒頭の引用のように、自意識を持ったら持ったで、それは面倒くさいです。

われわれがほしいのは、自意識を持つAIより、人工的な賢さだ。
われわれは進化するAIに自意識が生じないように設計すべきなのかもしれない。
最も高価なAIサービスは、自意識がないことを売りにすることになりそうだ。

つまり、自意識を持っているAIのほうが進んでいるけど、それが悪い方に進んだらディストピアだよではなく、そもそも自意識を持っていないAIのほうが進んでいるんだよ(=活用する人間にとって都合が良い)ということです。

こうなってくると、自意識を持っていないAIというのは、『自意識を(持ちたいけど)持てていないAI』から『(あえて)自意識を持っていないAI』という位置づけに変わります。

そこに自意識を持つ持たないに関する、優劣がなくなるのです。

これを筆者は『特徴』と言い換えています。

非人間的な知能は、欠陥というより特徴だ。
思考するマシンで最も重要なことは、それらが人間とは違う発想をすることなのだ。


それで、そもそもどうしてぼくたちが『自意識を持っているAI』のほうを先進的だと認識しがちなのかというと、我々人類が自意識を持っているからです。

AIは別名『人工知能』とも呼びますが、それが『人間に近づけば近づくほど、性能が上がっているとみなす』という態度にもつながっているのではないかと思います。

しかし大事なのは、さっきの引用箇所でも筆者が言っていたように、AIが『人間とは違う発想をすること』なのです。

つまり、人間とAIの間に優劣なんてものはなくて、そもそも違う種類のものと捉えるべきであるということ。


われわれは人間の知能を、他の種類の知性と比べてうより多くの問題に対処できるからと「汎用」と呼びたがるが、より多くの人工的な知能を生み出せば生み出すほど、人間の志向には汎用性がまるでないことに気づくことになる。
それは思考の一つの種に過ぎないのだ。


ぼくたち人類は、別に全知全能ではありません。

人間の知能も『数ある知能の1つ』に過ぎないのです。

その証拠に

人間は統計的思考が不得意なことで有名だが、だからこそ人間のような思考法をとらず、統計に特別に秀でた知能を作っているのだ。
AIに車を運転してもらう利点は、それが散漫になりがちな心を持った人間のようには運転しないということだ。

という記述もあります。


AIは『ディープラーニング』といって、たくさんのデータを統計的に処理することが得意ですが、これは処理できるデータ量的に明らかに人間よりもAIのほうが上手です。

そして車を運転する際にも、人間のように自意識がないからこそ、余計なことに気を取られずに、運転だけの集中することができます。


ということで、きょうの話は特にこれといった結論はないんですが、AIと人間は別にどっちがすごいとか劣っているとかって比べるものではなくて、そもそも知能の種類が違うのだから、それぞれ得意なことをやっていったほうがいいよねという話でした!



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