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「やくざ」と「政治家」から学んだ2つのこと

社長にオススメしてもらって、『サンクチュアリ』という漫画を読みました。

主人公の「北条」と「浅見」という2人の男が、それぞれ「やくざ」と「政治」の世界からアプローチし、協力して日本を変えようとする物語です。

余談なんですけど、漫画が描かれたのが1990年から1995年くらいの期間なので、当時のやくざと政治家との密な関係を反映した物語であるとも言えるかもしれません。

全12巻で読みやすく、且つ面白かったのでこの3連休で一気に読破してしまいました。

ということでこのnoteでは、『サンクチュアリ』を読んでぼくが学んだ2つのことについて書いていきたいと思います。

※ネタバレ含むのでお気をつけください

1.「自分の意志」で生きるということ

1つ目はまず「自分の意志で生きること」の大事さを感じました。

主人公の浅見も北条も、細かい年齢はたぶん作中では明かされてなかったと思うんですけど、20代くらいなんですね。

しかし、やくざにしても政治にしても50代とか60代とか、なんなら70代とかになってようやく大事な役職が回ってくるような世界で、2人とも1秒でも早く組のトップになったり、総理大臣になったりしようとします。

しかし、物事を急げば急ぐほど、必ずなんらかの軋轢が生じるものです。

特に、既得権益を持っている人や、自分も心のどこかで浅見や北条と同じように夢を持ってガツガツやっていきたいけど、なんらかの事情でそれをできないでいる人たちからの嫉妬や憎悪がものすごく集まります。

たとえば、ちょっと正確なセリフとかシーンとかは忘れてしまったので恐縮なのですが、40代くらいの中堅議員が、国会議員1年生の浅見から「一緒に新しい風を吹かさないか」と誘われた時に躊躇するようなシーンがあるんですね。

その時に浅見が言い放った「大臣の席が順番にやってくるのをただ待っているようないまのあんたたちは、生きているんんじゃない。生かされているだけだ!(細かいセリフは違います)」は、痺れましたね。

こんな感じで、本中では何回も「自分の意志」とか「自分の頭で考える」とかって言葉が出てきます。

ちょっと物語の紹介からは脱線しちゃうんですけど、最近個人的に「自由」について考えることがあります。

「自由とは何なのか?」という壮大すぎるテーマについて思考を巡らすのですが、その鍵を握るのも実はこの「自分自身での選択か?」ではないのかな?というのは、この『サンクチュアリ』を読みながら考えていたことでした。

閑話休題。

そして、「自分の意志」で生きることに関して、一番印象に残ったのは物語終盤のこのシーン。

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引用:サンクチュアリ 9巻 より

こちらは主人公の一人である浅見です。

幹事長であり政敵でもある伊佐岡から実力を認められて、超異例のポストを用意されます。

ただ、それを断るんですよね。

その時に浅見が伊佐岡が言い放ったのが「たとえ20年かかっても自分達の意志で生き、築き上げる」ってセリフです。

元々の出発点は「最速で総理大臣になって日本を変える」なので、一見ここで有力な役職を与えてもらった方が一見近道なように思えます。

しかし、あくまでも自分たちの意志を貫いだたうえでそれを実現するという覚悟がぼくはカッコいいなと思いましたし、浅見や北条も、結果的にそっちの方が「日本や世界を変える」という目的に対して近道になるという考えもあったのかもしれません。

とにもかくにも、この「自分たちから動く。自分の意志で生きる」ことは、ぼくも大事にしていこうと思いました。


2.「絵」を描くこと

そして2つ目は「絵を描くこと」の大事さです。

この物語では、「政治」と「やくざ」の世界が中心に描かれていて、やくざは特にもう「仁義」が全てなんですね。

8割の意思決定の拠り所は「仁義」です。

「俺はこいつに世話になっているから」とか「俺はこいつのことを信じているから」とか、そんな感じです。

それはそれで、まずめちゃくちゃカッコいいなあって思いました。

ただ、あとの2割、且つ物語の展開を左右するような大事な意思決定は、そういった「仁義」よりも、新しい「絵」によってくだされるという場面が出てきます。

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引用:サンクチュアリ 9巻 より

たとえばこの人は浅見や北条の仲間の人なのですが、元々はめっちゃ敵でした。

そこから手を組むことになるのですが、一緒にいる理由は「オレ達の"絵"のためさ」と答えています。

「絵」というのは、言い換えると「ビジョン」とか「構想」とかってなるのかなと思うのですが、この物語では「自分の意志」と同じ回数くらい「絵を描く」って言葉が出てきます。

ここから物語の内容からはそれますが、最近、ビジネスの方でも「MVV」とか「パーパス経営」とか、いわゆる「絵」に近い概念の大事さが説かれています。

ただまあ、いままではちょっと心のどこかで「絵を描けることよりも、実行の方が大事じゃね?」みたいなことも思ってました。

これって言い換えると、「絵なんて描こうと思えば誰でも描けるんじゃね?」とちょっと思っていたってことなんだと思います。

ただ、『サンクチュアリ』を読むなかで、人それぞれに「描く絵」が全然違うこと、もっと言うなら「描ける絵」が全然違うし、その絵によって仲間になる人がめちゃくちゃ変わる姿を見て、「あ、みんなが魅力に感じる絵を描けることって、めちゃくちゃすごい能力なんだな」って感じました。

大前提、やっぱりその「絵」に説得力を持たせるだけの実績とか信頼とかは大事です。

ただ、逆に言えばいまの実績とか信頼とかだけでは到底及ばないような壮大な「絵」を描くのって、本気でより良い未来を見据えていないとできないことだと思うし、到底及ばないくらい壮大な「絵」にこそ人は惹きつけられることもあるのかなーと思いました。

もちろん、それに伴うような実績とか信頼とかも猛スピードで追いかけていかないと、まさに「絵に描いた餅」になってしまうので、そのいたちごっこは大切ですが。

思考の制限とか制約とかを外して、目一杯の「絵」を描くことって大事なのだなと、『サンクチュアリ』を読んで思いました。

もちろん、だからと言ってそれまでの「仁義」を完全に無視するってわけではなくて、そのどんどん大きくなる「絵」の実現を目指すなかで、どうしても辻褄を合わせにくくなった仁義に対しても、どうすれば貫けるのかって腐心するところが、最高に人間臭くて良かったです。


以上、ぼくが『サンクチュアリ』を読んで学んだ2つのことでした。

ご興味ある方がいれば、全12巻でそこまでボリュームも多くないので、ぜひ読んでみてください!


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