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「心理的安全性」の増加と分配

きょう、クラシコム代表・青木さんの「心理的安全性の総量は増やせない、最適に配分できるだけだ。」というnoteを読みました。

タイトルだけだと、正直どういう内容なのかあんまりピンと来てなかったんですけど、直感的に「いまの自分が考えていることと関連しそうだな」と思ってみたら、やっぱりヒントになるような内容でした。

たぶん厳密には意味合いがちょっと変わってくるし、まだぼくの中で明確な結論が出たわけでもないのですが、青木さんのnoteの内容を絡めつつ、最近考えていたことを書いておきます。

最初に青木さんのnoteの内容を少しだけ紹介すると(詳細はぜひ直接本文を読んでください!)、まず青木さんはタイトルにある「心理的安全性」を文中では「良いと思うことを良いと言い、悪いと思うことを悪いと言い、やりたいことをやりたいと言い、やりたくないことをやりたくないと言うことに躊躇が少ない状態」と定義して、話が進みました。

それで、一般的にこの「心理的安全性」って「高ければ高いほどいい」という観点で語られるのですが、青木さんの問題意識的には「高いか or 低いか」よりも「偏っているか or ちゃんと適切に分配されているか」の観点の方が大事だと書いていて、その観点はなかったー!と、目から鱗でした。

その観点からのぼくの解釈で書くと、例えば経営層が市場や組織マネジメントに関する不安や予測不可能性を一手に引き受けすぎてもいけないし、逆に現場のメンバーが事業数値や上司とのコミュニケーションに関する不安や予測不可能性を抱え込みすぎてもいけません。

それぞれが適切な量の不安や予測不可能性を、引き受けるべきなのです。

そして、ここからは上記のエッセンスを引継ぎつつ、若干話が変わって、最近ぼくが考えていたことについて書きます。

一定のコミュニティ内での「心理的安全性」の適切な分配について、会社という組織のなかで、ぼくがチームや組織を持った経験がないので、具体例がどうしても現場寄りのものになってしまうのですが・・・。

例えば上司の意思決定が、良い意味でも悪い意味でも全然現場の事情を汲み取っていないものとか、逆に上司側だけがとある意思決定に関する情報を膨大に持っていて、その背景を共有されないまま、意思決定だけが現場に降りてきたりすることとかって、めっちゃあるあるだと思うんですよね。

ぼく、キングコング西野さんのオンラインサロンに入っていて、そこでは毎日サロンメンバー限定のブログを読むことができます。

それで、たまに「公開の業務連絡」という形で、西野さんからスタッフさんへの指示が飛ぶのですが、その内容が毎回(良い意味での)めっちゃ無茶ぶりなんですね。

「さっきこんなこと思いついたから、これができるようにいい感じで手配しておいてー」みたいな指示の出し方で、しかもその思いつく内容が毎回ぶっ飛んでいるので、スタッフの人たちめっちゃヒーヒー言いながらやってるんだろうなーと、ブログを読みながら想像しています。

この話はあくまでも一例ですけど、そういった意思決定に関して、明らかに両者間に情報の非対称性があるから、青木さんが文章中で定義した心理的安全性、「良いと思うことを良いと言い、悪いと思うことを悪いと言い、やりたいことをやりたいと言い、やりたくないことをやりたくないと言うことに躊躇が少ない状態」が不足している状態は、往々にしてあると思うんですよね。

ただ、それに関しては上の文章で「良い意味でも悪い意味でも」という前置きをしたのですが、一定は仕方がないかなと思う部分もあって、部署や役職によって、持っている情報の深さや広さ、それによって見えている景色が違うので、そこから出てくる、意思決定含めたなんらかのアウトプットが違うことは、当たり前っちゃ当たり前です。

そこをできる限り共有して、認識の齟齬がないようにすることは大事であることは間違いないのですが、とは言え「共有」にも一定の工数はかかります(理想だけを言えば、自動的に共有されるシステムを構築して、共有自体の工数を限りなくゼロにすることですが)。

それに、ステークホルダー全員が同じ背景を持つまで待っていたら、ビジネスにおいてとても大事な「スピード感」が損なわれるし、背景を共有することは別に良いことばかりでもなくて、その背景(=情報)を知ることによって意思決定にバイアスがかかってしまう可能性があるので、ときに背景を共有していない人から客観性は、本質の抽出につながるというメリットもあります。

ただ、ここで話が戻りますが、そういった情報の非対称性によって、組織運営において重要な「心理的安全性」が損なわれる可能性もあるので(お互いに持っている情報が違うから、とある意思決定に対する良い/悪い、やりたい/やりたくないのジャッジがしにくい)、どうしたもんかなー、ここは無条件の信頼くらいしか、解決する手段はないのかなーと考えていました。

ただ、今回青木さんのnoteを読んで、心理的安全性をいかに高めるとかとか、それを高めるために引き受けなきゃいけない工数やデメリットとかの観点ではなくて、考えるべきは組織としての「最適な分配」なのだなと感じました。

どっちかがどっちかに寄るべきなのか?という観点ではなくて、青木さんがnoteの答えを書いてくれているので、最後はそれをそのまま引用しようと思いますが、大事なのは『社内でもステークホルダーや競合他社と限られた資源である「心理的安全性」を奪い合うのではなくて、どうやったらフェアに分けあえるのか、みんながお互いに「誰かを安心させる側」になれるのか』ということ。

「最適な分配」と「無理しすぎない程度に、どうすれば自分は他者にその心理的安全性を担保させられるのか」について、これからも探っていきます。

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