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何かを発信しつづける、ということ。

コロナは没個性を加速させたのかもしれない。画面越しで仕事をしていると必要最低限な会話となりがちで、総じて雑話が激減した。他はチャットなどの文字を媒介したコミュニケーションに終始する。文字では感情を伝えづらい。意識して絵文字のひとつでも含ませないと、この人は怒っているのだろうか、という勘違いすら誘発することもある。非常に面倒臭い時代となった。

コロナ前は過度な雑談が本当に苦痛で今の環境を手放しで歓迎したが、さすがに半年以上のリモートワークは精神衛生上好ましくないと思う。自分は家族がいるから辛うじてということかもしれないが、単身者はどうなのだろう。自分なら孤独で発狂してしまうかもしれない。

画面越しのコミュニケーションに対して筆舌に尽くしがたい違和感を抱きつつある。極めて摩擦の少ないつるりとした異常な感覚。あの生身のザラついた感じが懐かしくさえもある。リアルは確かに面倒な部分も多いが、自分が普段から重要だと訴えている身体性の喪失が著しい。

所属する会社ではコミュニケーションのデザインを商いとしているのに、生身の交歓が皆無というのは非常に矛盾した状態だ。そして冒頭にも述べたように没個性が加速し、誰かに何かを頼む基準が価格や納期などの定量的な情報に偏りがちとなる。それは定性的なもの、つまりフィーリングといった類の要素が明らかに、それでいて無意識的に排除されていることにもなろう。

そこで本題である。自分はかなり昔からSNSの各種アカウントのURLをメイルの署名部分に貼り付けてきた。全員ということではないが、中にはなんだろうと気に留めて精読してくれる人もいるようだ。念の為に申し添えるが、決して見せたがり屋さんでも、承認欲求が強いわけでもない。メイルで終始しがちなこの業界だからこそ、ふとした契機でお互いのパーソナリティを知り合い、距離を近づけるツールとして活用できたらと思ってのことである。とはいえ、見ましたよ面白いですね。と言われると嬉しいのは事実である。どちらかと言えば、褒められて伸びるタイプではある。

先日Instagramで、とある人のストーリーにメンションをつけられていた。投稿の内容は、出羽健太郎の選書を参考にして書籍を購入しているということだった。誰かの役に立とうと思って本を読んでいるわけではなかったが、回り回って誰かの道標になっているのなら、それは素直に嬉しいことだ。自分の選書など偏りすぎて退屈ではないかと彼に問うたら、偏っているから面白いとのこと。なるほど、ニッチな視点にも需要があるのだと妙に感心した。

コロナによる今の状況を予測していたことなど絶対にないのだが、実名で出羽健太郎という人間が何者であるかを発信し続ける一連の行為が、折り返したであろう人生の後半に何かしらの光明をもたらすかもしれない。根拠はないが、漠然とした希望を感じる。そして、その希望はザラついているのだ。




読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。