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教師が学びを楽しんでいる学校が、いい学校だと思う。 SALASUSUの実験校、未来予想図

#1のnoteではなぜ僕が教育を志すことになったかを紹介した。また#2のnoteでは、僕たちがこれまでカンボジアで学んできたことを紹介しながら、「人生の旅を楽しむための道具となるような学びを提供したい」という想いを綴った。

今回は僕らがカンボジアで今立ち上げている学校がどんな学校であってほしいか、カンボジア、ひいてはアジアの公教育を支える人たちにどんな影響を与えたいかということについて、妄想を交えつつ書いてみようと思う。

あるそう遠くない未来の1日、SALASUSUの実験校にて

乾期の中では比較的涼しい日。ソトニコム地区クチャ村にあるSALASUSUの実験校に、カンボジア中の公立小中学校から教師が30人ほど集まって見学しに来ている。ある遠くの州から来た若い教師は、興奮気味に「なんでこんなに良い授業ができるんですかね。同い年くらいのカンボジア人の教師ですよね」と近くの教師に語っている。

「プノンペンのインターナショナルスクールで見たような華々しい発表があるわけでもないんだけど、何だろう、あっという間に時間が過ぎてしまった。この教室で学ぶ子全員が最後までずっとワクワクしながら授業を受けていたと思う。特に勉強ができるようにも見えなかったあの生徒の問いを教室全体で受け止めているように見えた。どうしてあんなことができるんだろう」と別の教師が続く。

さまざまな資料が並ぶ机の上

授業に続くワークショップの後で、同僚の教師に「学校の中で教師同士の学び合いのコミュニティを作る面白いやり方について聞いたんだけど、うちの学校でもちょっと試してみない?」と思わずメッセージを送ってしまった教師もいた。どんな返事が返ってくるかな、とちょっとドキドキしながら待っている。

この実験校を見られて良かった。この学校があってくれて良かった。勇気とエネルギーをもらえたな、と思う教師たちの熱気がしばらく実験校を包んでいた。

ある教師の視点、私は何を目撃したのか

私がSALASUSUの実験校で見たものは、「誰も取り残されない教室」がカンボジア人教師の手で実現されている姿だった。より正確に言えば、誰も取り残されないようにお互い支え合って葛藤している教師たちのコミュニティだったし、その葛藤が生み出す優しさに包まれて生き生きと学んでいる子どもたちの姿だった。

まず授業のやり方が新しく見えた。とにかく教師が喋らない。全体でも2割くらいしか話していなかったのではないか。自分の学校でこんな授業は見たことがない。生徒が頭をかきながら問題に格闘している様子を、教師は一歩引いてあたたかく見守っているようだった。
生徒もこの授業形式に慣れているのか、教師にすぐ質問をするのではなく、ぼそぼそ独り言をつぶやいたり、となりの生徒に自分から質問したりしている。「わからない!」と言うことに躊躇が無いように見える。生徒が落ち着いていて、静かな熱気に満ちている印象の教室。

生徒の熱中を見守る教師

出題されている問題も問題だ。こんな難しい問題を小学生に出すなんて自分の教室ではとてもできない。大人の自分でもパッと見て解けるかどうか。そんな中、生徒は資料や周りの助けを得ながら何とか止まらずに、というかそれどころか熱中し続けている様子だった。

見学した授業後に実施したワークショップも刺激的だった。ここでは毎週、授業を教師同士で見学し合い、それぞれが生徒の様子から何を学んだか真剣に話し合っているという。私の学校では、ここまで細かく生徒の学びについて語り合ったことがない。「なぜあの子は20分頃、あのグループの中で少し孤立しそうだったのか。それを何が防ぐことができたのか」ーー同じ授業を見ていたのに、自分がそこまで生徒を見ることができていなかったことに軽くショックを受けてしまった。一緒に見学に来ていた保護者よりも生徒のことが見えていなかった自分がいた。

学ぶ生徒の姿から学ぶ教師たち

一番印象的だったのは、授業についての批判が禁止されていたことだ。こうした場ではしばしば重箱の隅をつつくような指摘や粗探しが行われ教師は萎縮しがちだが、ここでは観察していた教師たちが具体的な子どもの名前とともに自分自身が新しく学んだことを伝えていて、授業を行った教師はその言葉から沢山の学びを受け取っているようだった。自分自身も自分の教室の様子が脳裏で再生されて、あぁ来週から自分の教室でこんなことやあんなことに挑戦してみたいな、とアイデアとエネルギーをもらったように思う。そして、自分が新任だったらこんな学校に配置されたかったと心の底から思った。とにかく教師がプロフェッショナルとして成長していくことを応援し合っているような、そんなコミュニティに自分も入れてもらった気持ちになった。

その日を目指して、来年の節目へ

ーー妄想はここまで。いささか劇的に聞こえたかもしれないが、こんな日が来てほしい、少しでも多くのカンボジア人教師たちにこういう風に感じてほしい、というのが僕の偽らざる思いだ。誰も一人にならない、教師も生徒もその主体性を尊重されている、そして誰もが尊厳を大事にされ、大事にしようと努力をしている。そんな実験校がカンボジアの中にあることで、沢山の教師を応援することができると思っているからだ。

僕たちが提供したい学び、つまり、生徒が人生の旅を楽しめるための教育をしたければ、教師も人生の旅を楽しんでいることが前提だ。それは教師のwell-beingが保障されているのみならず、プロフェッショナルとして研鑽を積むことが楽しくてたまらないという教師同士の支え合いがあって成し遂げられることだと思う。そんな学校の生徒と教師を、地域の市民と国と専門家が重層的なコミュニティとして支えていく。それこそがこれからの公立学校のあり方であってほしい。

少しずつ広がる教師同士のつながり

そしてそのコミュニティがいつか実験校を中心にどんどん大きくなっていき、カンボジアとアジアを包むことができたら、そのときはアジアの公教育のあり方の一つを提示できたということではないか。その日を目標に自分の命を使っていきたい。

ひとまず今は、来年1月にプレオープンするこの実験校のために、仲間と七転八起しながら進んでいくのが楽しくてたまらない。


2023年10月20日(金)~11月23日(木・祝)このプロジェクトに関するクラウドファンディングを実施しています。記事を読んで「応援したい!」と思っていただけたら是非ご協力をお願いします。

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