見出し画像

なぜ教育を志したのか

これから連続する何件かのnoteを通じて、私が経営するSALASUSUが今までカンボジアで取り組んできたものづくりの工房を運営する事業を縮小し、教育事業にピボットする背景を書いていきます。どうしてなのか、どんなことを目指すのかということを、個人的な事もまじえながら解説します。事業の変化に関する詳細はリンク先のSALASUSUの下記の記事をご覧ください。

「できる」ことで生き抜き、「できる」ことで居場所を失った教室

学校の教室。その言葉から僕が最初に思い出すのは、机に突伏して寝た後の、あのお腹にたまった空気の嫌な感じだ。
本当に数多くの授業で、そして休み時間でも寝ていた。今となっては教師に申し訳ないことをしたな、とも思うが、あの頃の僕は少しだけ傷ついていたんだと思う。「お前はこの授業の対象じゃないよ」と言われ続けているような疎外感。授業のペースも内容も教師とも上手く噛み合わず苦しさを感じていたものの、寝る以外の表現ができなかった。

最初から学校が苦手だったわけではない。むしろ、振る舞いも含めて優等生であった期間も長かった。小学校低学年では漢字ができるからと褒められ、次は読書の量で人を驚かせ、成績の良さで一目置かれた。「できる」ことでクラスの中で居場所を確保するという生存戦略はある程度のところまで上手くいき、自分がやりたいことがあるわけでもなかった僕はひたすらに勉強をし続けた。上手くいきすぎたのかもしれない。いつの日か学校の授業が既視感で埋まり、興味を持てなくなった。

最初はわかる問題に答えようとたくさん手を上げていたが、周囲から嫌味を言われ、自分でも「ほかの人の機会を奪っているようで嫌だな」と感じ発言しなくなった。授業中寝てばかりいた僕は一部の教師から疎んじられ、友達との関係もうまく築けなくなっていった。ずっと「できる」ことで居場所を確保してきたのに、今度は「できる」ことで居場所がなくなってしまったのだ。

その後東大に進学した僕はかものはしプロジェクト(※1)を起業することになる。それは「できる」ことを磨きつづけた結果ではあるが、自分自身の「やりたいこと」がわかったからではなかった。

※1 かものはしプロジェクト - 「子どもが売られない世界をつくる」をミッションとする認定NPO法人。2002年にカンボジアで活動を始め、現在はインドと日本で活動している。2018年にカンボジア事業部が独立する形でNPO法人SALASUSUとなった。

かものはしプロジェクトは3人の共同代表で立ち上げた。一番左が筆者の青木。

村の女性達に教えてもらったエンパワメントの意味

そうした受身の姿勢が大きく変わることになったのは、26歳でカンボジアの農村に住みはじめ、そこで暮らす女性たちの強さと脆さを目の当たりにしたことがきっかけだと思う。若くして子どもを産み、家族を養うため働く強い女性たちにたくさん出会った。彼女たちが持つ責任感やしたたかさ、そして毎日を楽しもうとする明るさにどれほど勇気をもらっただろうか。何よりも、カンボジアに飛び込んだ何者でもなかった僕に期待していつも明るく迎えてくれたことがうれしかった。

工房には託児所も併設されている。休み時間に子どもをあやしながら談笑する姿

しかし彼女たちには、自分に自信がなく、新しい挑戦を恐れ、困難にぶつかるとすぐに諦めてしまう脆さもあった。たとえば、せっかく給料のいい工場に就職して貧困から脱する機会を得たのに、「家が見つからない」という理由ですぐに辞めてしまった女性もいた。最初僕にはそれが理解できなかったが、「しょうがない」とよく口にする彼女たちと共に過ごすなかで、自分が持っている「機会があれば頑張るのは当たり前だ」という思い込みに気づいた。

僕が今日頑張るのは、それを誰かがこれまでに期待してくれたからじゃないか。親だったり、小学校の先生だったり、先輩だったりが、「青木、頑張ると良いことあるから頑張りなよ」と伝えてくれて、背中で見せてくれたからじゃないのか。

はたしてどれだけの人がこれまで彼女たちにそのメッセージを伝えてくれたんだろうか。カンボジアの学校の中では一人の先生に対して生徒の数も多すぎるし、部活や習い事を楽しめるのは一部の富裕層に限られる。彼女たち一人ひとりを応援してくれる人は決して多くないのではないか。実は「頑張る」というのは環境が与えてくれる技術なんじゃないのか。人と繋がって、人が自分に期待してくれて、自分のことを信じられるようになって、何かを目指していく力をもらえる。自分がカンボジアで期待してもらって、ちょっとずつ力が出せるようになったように。それを提供することがエンパワメントなんだ、と確信した。

人が学ぶ姿に癒やされる自分に気づく

エンパワメントということが自分にとって大事なものである、ということには気づいていたが、はたして自分は人生で何をしたいのかという問いには相変わらず答えられずにいた。

その問いから逃げられなくなったのは、SALASUSUとしてかものはしから独立することを決めた2015年頃のことだった。勢いで独立を決めようとした僕に対して、「心の底から何がしたいのか夢を語ってくれないと応援できない」と止めてくれた仲間には今も感謝している。

2015年。本当に独立してカンボジアに残るのかを考え続けた

「成長できるから」とか「選択肢が多くなるから」とか、そういった表面的な理由ではなくて、「自分が何者なのか」というところを見つめる旅が始まった。障害があって社会と上手く関われず自分の夢を追うことが難しい実家の家族を自分が避けてきたこと、悪気なく追い詰めてしまった人のこと、なんとなく息苦しかった学生時代のこと。それは、自分の暗いところに仲間と共に手を繋いで降りていくような感覚だった。

そうして1年かけて自分に向き合ったときに、ようやく「人が自分の人生にワクワクして生きる姿を見ること、支えることによって癒やされる」という自分の気持ちに気づくことができた。自分がたまたま恵まれていたとか、障害を持っていなかったという特権の上にあぐらをかいていた気持ち悪さとか、そういう人達を大事にしてこれなかった罪悪感があるから癒やされるのかもしれない。なんにせよ人が自分の人生にワクワクして生きるということがシンプルだけど本当に難しいことを知っているから、ワクワクしている人を見られるだけで僕自身が幸せを感じる。誤解を恐れずに言えば、「自分の幸せのためにカンボジアで活動しているんだ」と気づいたのだ。

世界から大切にされなかったという痛みを経験したことがある人は少なくないはずだ。疎外への恐れは誰もがきっと抱えている。それがわかるからこそ、誰も取り残されない教育をもっと作りたい。あの日寝るしかなかった自分も、社会となかなか折り合いのつけられない実家の家族も、学ぶことを誰にも期待されなかった記憶しかない村の女性達も、誰もが夢中で学びを楽しめる社会であってほしい。

カンボジアの公教育から始める

たくさんのことをカンボジアの人たちに教えてもらった20代、30代だった。自分の不安や恐れに向き合うことができたのも、日本ではない場所で居場所を作れたことが大きかったと思う。カンボジアの人の懐の深さに加えて、外国人でもあるということで、ここでは誰もあるべき論を押しつけてこなかったので、ゆっくりとカンボジアの人達と対話しながら、自分に向き合うことができた。学ぶことの楽しさにも、自分の人生の意味にも気づくことができた。

工房に併設の食堂兼教室。用途に合わせて配置が変えられるよう、日本の建築家に設計してもらった
3-4人のグループで同じ課題に取り組む協同学習の様子。彼らの教育バックグラウンドはさまざまだが共に学ぶことができる

だから、彼女たちや彼女たちの子どもたちが本当に質の良い教育が受けられるようにすることで恩返しをしていきたい。SALASUSUは「ものづくりを通じたひとづくり」(※2)をすると決めて、社会を生き抜いていくための力を身につけてもらうライフスキル(※3)教育をずっと提供してきた。カンボジア人教師達と共に格闘しながら、どうやったら良い授業が作れるのかを悩み続けてきた。今後はさらに一歩踏み込んで、工房のものづくりは縮小し、学校へと進化していく。そしてカンボジア中を回って公教育の中で頑張っている学校の教師を支える。それが子どもたちの居場所を支えることになっていく。

そして願わくば、世界中のすべての教室が、誰も取り残さず質の高い学びを提供できる日を迎えるための礎を築きたい。それが今の僕の、やっと気づくことができた僕の夢だ。

※2 ものづくりを通じたひとづくり - 近隣の農村に住む最貧困層家庭出身の女性たちが半年~2年間給料をもらいながら学べるプログラム。ハンディクラフトの職業訓練とライフスキルトレーニングを掛け合わせた、半分職場・半分学び場の場所として工房を運営してきた
※3 ライフスキル - 人が社会の中で生きる上で必要な根源的なスキル。SALASUSUでは自信、問題解決能力等の非認知能力と基礎学力を総じてライフスキルと呼んでいる


2023年10月20日(金)~11月23日(木・祝)このプロジェクトに関するクラウドファンディングを実施しています。記事を読んで「応援したい!」と思っていただけたら是非ご協力をお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?