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人生の旅を楽しむために。僕たちはカンボジアで、生徒に「旅の道具」となる学びを渡す学校をつくる

前回のnoteでは、なぜ僕が教育を志すことになったかについて紹介した。学校教育の中で感じてきた疎外の経験、カンボジアで出会った村の女性達のたくましさと苦しみ。そして何より、SALASUSUとしてかものはしから独立する中で気づいた自分自身の痛みと喜び。僕が、カンボジアでカンボジア人教師によるカンボジア人のための「誰もが取り残されない教室」を実現したい、という夢を持つようになったプロセスだ。

SALASUSUは2024年、カンボジア農村部に「誰も取り残さない教室」の実験校をプレオープンする。小中学校の授業についていけない子どもたちや、基礎的な力を身につけないまま小中学校を中退してしまった16〜20歳の若者が通う民間の「補習校」だ。今回はSALASUSUがどんな学びを大事にしたいのか、作り出していきたいのかを書いてみようと思う。

学びとは旅である

“Education is journey to unknown world”という言葉に、本の中で出会ったことがある。学びが持つワクワクと不安な気持ちをとてもポジティブに表していると思う。教育の定義としてずっと大事にしている言葉だ。というのも、多くの人にとって教育、特に「勉強」は、「苦しいけど仕方なくやるもの」だと思われていて、そこまでポジティブに捉えられていないように感じるからである。

でも、誰もが一度くらいは、ある一つの授業を、もしくはある一つの問題を楽しんだ経験があるんじゃないだろうか。ついつい夢中で知りたくて教師に質問したこと、次の本を読み進めるのが止められなかったこと、自分の考えたことを友達に興奮して伝えたこと。なるほど、そういう考え方もあるのかとゾクゾクっとしたこと。

それは旅と一緒だと思う。世界と出会って、他者と出会って、そして自分と出会う。そしてその出会いを糧にしてまた次の旅に出る。旅に出れば出るほど行きたい場所が増える。

僕らが実験校を通して提供するのは、そんな学びであるといいなと思っている。どうしたらそんな学びをつくれるのだろうか。僕らが歩んできた道のりの中で、それこそ学んだことがある。

2008年設立の工房。2015年からは工房兼学校として稼働、2024年には実験校として生まれ変わる

よい卒業と悪い卒業を数えていたあの日の僕たち

僕らの工房が職業訓練校として働き手の「卒業」を積極的にプログラム化しはじめたのは2015年頃のことだった。2010年代から相次ぐ企業進出によって、貧困層であっても企業で働ける時代が到来した。個人的に最も時代の変化を感じたのは、プノンペンの経済特区で工場を運営する企業の社長からの一言だ。

「青木くん、元気で目が良い女性だったらだれでもよいから、月に100人くらい紹介してもらう事は可能だろうか」

その工場はとても従業員思いであったし、村にいるのに比べれば当時で給与が4倍くらいになる条件だった。2008年から「1人でも貧困層に雇用を作って人身売買を防ごう」というマインドでやってきた僕らだったけど、そうか、人によってはもう僕らの工房にいるよりも別の場所で働いて活躍できるほうがよいんだ。じゃあ卒業を前提としてプログラムを変えていこう、と考えた。

2015年より提供を開始したトレーニングの様子

しかし、「卒業して活躍」は一筋縄ではいかなかった。まず、村の近くで給与をもらえる僕らの工房は居心地が良すぎて卒業したいと思う人が少ない。彼らにとって町で働くことは、僕らが外国で働くと言われたときに思うくらい遠い出来事でもあるのだ。

それでもなお、卒業してもらうことでより多くの人達に教育の機会を提供できると考えた僕らは、何とか卒業を推し進めるためにも、「どれだけよい卒業を応援できたか」を経営目標として管理しはじめた。よい卒業とは町でのキャリアや選択肢が広がる卒業、悪い卒業は明確なプランがなく村に戻って日雇いの仕事に着いてしまうような卒業、といった具合にカウントをして、どうやったらよい卒業を増やせるか、たくさん議論やトライをした。

その中で教育プログラムが進化していき、さまざまなトレーニングが行われるようになったことはよかったんだと思う。一方で少しずつ違和感が大きくなっていき、数年経ったころ、このKPIを廃止することにした。人の人生の「善し悪し」を他人が判断するという暴力性を自覚したこと、そして実際にどんな人生を送ってるのか何人も追跡してフォローアップする中で、工房を出た次のキャリアだけを確認することはあまり意味がないと気づいたからだ。

工房を卒業してたくましく生きる女性達が教えてくれた、人生の旅を楽しむコツ

印象に残っているのは、結婚を機に私たちの工房を卒業したある女性のことだ。結婚生活はあまりうまくいかなかったようで、彼女は数年で子どもを連れて逃げるように村に戻ってきた。

僕たちは彼女のキャリアの可能性や収入を想像し「厳しい人生になりそうだな」と勝手に心配していたのだが、村に戻ってきた彼女は非常にたくましく子どもを育てようと道を切り拓いていた。いくつもの小さな商売や日雇いの仕事も組み合わせて生計を立てていた。それどころか、子どもの教育をちゃんと受けさせたいと未来への夢も語っていた。きちんと子どもと生きていくと決めた彼女の姿はまぶしかった。

写真は別の卒業生。彼女は村で家電製品を売る商店を始めた

その姿から、工房を卒業するときに華々しいキャリアを描けるかどうかばかりを気にするのは本質的ではないんだ、と気づかされた。彼女たちの人生はずっと続いていて、何度も何度も意志決定やチャレンジをしていくのだ。当然上手くいかないこともある。自分だけの問題ではなく、パートナーだったり組織だったり自分がコントロールできないものに振り回されることも多いだろう。そんな現実の中で一歩ずつ子どもとともに歩いている彼女から学んだことは、「自分で決めて引き受けること」の大切さだった。

自分で決めたから結果を引き受けて次に繋げていける。それこそが旅を楽しむコツであり、学びの条件であるのではないか。常に当事者の意志が真ん中にある。僕らは人を変えることはできないのだ。

そのたくましさに僕らが貢献しているところもあった。SALASUSUの工房で学んだライフスキルを上手く家族との関係で活用している女性、問題の根本を見つめて解決しようとしている女性もいれば、根本的な自信みたいなものを工房で得られたからとさまざまなビジネスに挑戦する女性もいた。

振り返ってみると、ライフスキルという形で僕らが伝えられたこともあれば、それ以上に村の女性達からたくさん学ばせてもらったことあった。それが僕たちが目指す教育の姿でもある。教えるのではなく学び合い、支え合う。

人生の旅の道具を渡したい

SALASUSUの哲学の一つ、"学びで世界を広げよう"

自分の意志で歩く、そうして自分の人生の旅を楽しんでもらう。それが僕らの学校で最も伝えたいことである。それだけでなく、世界や仲間、自分と対話するための道具も紹介したい。人生の旅を楽しむための、旅の道具としての学びを渡したいのだ。

僕らは自分たちが思っている以上に、学校教育で培った学びをさまざまな場面で活用しながら日々を過ごしている。国語の授業を例にとってみよう。国語には大きく分けて、文章の意味を論理的に読み取ってきちんと理解をする評論系の授業と、一つの文章の表現を生徒同士が多様に解釈してその違いを味わいあうという文芸系の授業がある。日本の小学校の国語の授業ではどちらもバランス良く授業があり、多様な文学作品を読んだり、文章を記憶するのみならず作文を発表したりする。

たとえばその文芸の授業で得ることになる「ある文章の解釈が生徒それぞれ違ってもいい。作文でそれぞれが表現したい出来事は違うのが当たり前だ」といった学びは、僕らの身体に深く根付いている。それは僕らが社会に出て人と交渉をしたり、チームで働くときの前提となっていて、何かを交渉をするにしても相手の気持ちや性格を考えることができるようになっている。

一方でカンボジアの国語の授業は圧倒的に評論、しかも記憶したかどうかに偏っているため、学びの質が高くない。たとえばある道徳的な文章を読んでその意味を理解したかどうかだけを一言問われるような授業が多いのだ。一人一人が作文をしたり、多様な解釈を生徒同士で話し合って味わう時間はほぼない。これだけでは、たとえ人と違ったとしても自分が自分らしく表現することや、そもそも人が多様でいいんだという世界観を得ることなく大人になることになる。

つまり、国語の授業で習ったある特定の文章の意味は覚えることができたとしても、国語の授業が教えてくれるはずだった国語的な考え方や表現する喜びを体験・体得しておらず、新しい文章に出会ったときの読み解きも、新しい人や文化に接したときの振る舞いも学ぶことは難しい。今のカンボジアの授業の質では、学校を卒業した後に人生で出会うこととなるさまざまな問題を解けるようにはならないのだ。だから、算数的な考え方、美術的な表現の仕方など、単純な教科書の内容を覚えるのとは一線を画した真の学びを一人ひとりに提供できるような教室をつくる必要がある。

共に"良い学び"を探求するSALASUSUの教師たち

一方、教師たちもそんな多様な授業を受けたことがないし、見たこともないということも大きな問題だ。そんな中で、今現場で忙しく働く教師の方々、特に長年「自分の授業に問題はない」と思って働いてきた人たちに、課題に気づいて変わっていってもらいたいと僕らは思っている。そう言うと、とてつもなく難しいことに挑戦しているように聞こえるかもしれない。

しかし僕たちが自らの実践に加えて、日本での先端事例や、教育の理論、そして先人たちの歴史を学んでわかったことは、すべての人にはその考え方を学ぶ力があり、それぞれ確かにペースは異なるけれども、だからこそ学びあい支え合えるということだ。生徒だけでなく、教師もそれぞれ自分のペースで学び合い、支え合いながら少しずつ日々の授業をよくしていく。そんな学校はつくれると信じている。

卒業式の一コマ

教室の中の授業のあり方も、人生の大事な決断も、大事なことは共通している。一人ひとりが自分の意志と自分のペースで学ぶこと。そして教師・学校の役割は、それを可能にする教室というコミュニティや生徒同士の関わり、味のある問題、多様な教材を用意していくことへと変わっていくべきなんだと思う。

教える人から学ぶ権利を保障する人へ、よりよい学びをつくるためには教師のあり方が変わっていくことが欠かせない。僕らはカンボジアからアジアの公教育を支えていく上で、その教師の変容を支える存在になりたいと切に思う。


2023年10月20日(金)~11月23日(木・祝)このプロジェクトに関するクラウドファンディングを実施しています。記事を読んで「応援したい!」と思っていただけたら是非ご協力をお願いします。


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