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走る座禅。〜朝ランは貴重な時間〜

2020年5月25日。
本日はお休みのため、スピード系トレーニング・・・

と、思ったんですけどやめました。

ちょっとカラダが重かったんですよね。
それでノンビリ走ってきました。
その様子は写真をクリックすればわかります。

休みの日の朝一人になる時間って貴重です。
今日は「何をnoteに書こうかなぁ」と考えていました。

本当です(笑)

僕は結構これで心を整えることが多いのです。
そして自分で自分を救ってきた時間でもあります。

今回は一人で過ごす貴重な時間に関して書いてみますね。

■きっかけは「病気」だった。

朝、カラダを動かすキッカケになったのは病気になったからです。
とりあえず「精神疾患」としておきます。
朝に運動することに関しては別の記事にしています。

最初は走ることなんてできません。
ゆっくり歩くことから始めています。

でも、ゆっくり動いていると余計なことを考えるんです。
「こころスキマ」っていうんですかね。
ボーッと歩くだけで良かったのに、

「俺って生きている意味あるのかなぁ」

なんて考えてしまったことも覚えています。

あとこの頃はルートと時間を言ってから出かけていたような気がします。
(正確なことは覚えていません)
とにかく「何も考えずボーッと歩く」ことを必死でしていました。

■「歩く→走る」になって頭に浮かぶものが変わる。

僕は精神疾患を3回経験しています。
その頃にはすでに趣味としてランニングをしていました。

精神疾患の原因は「仕事上の人間関係」だったんです。
「他人」のことばかり考えすぎていて自分のことを考えていなかった。
当時は。

そんな僕が休職して何もしなくていい日が増えてくると自然と何も考えずに散歩できるようになるんです。

隔離の効果ですね。

そして散歩ができるようになって時間が有り余ってくると、人間好きなことがしたくなります。

そうです。
僕は「走る」のが趣味なのです。
ある意味自然な流れです。

「歩く」では時間はゆっくり流れていました。
そんな時は突然忘れたい記憶が頭に浮かぶ時も多かったです。

でも「走る」になると時間は早く流れ出します。
正直、つまんないことを考えている暇はありません。

激しくなる息つかい、
早くなる心臓の音、
動かなくなってくる脚・・・

これらに意識を向けないと、「走る」は成立しない。
こうなると精神疾患の原因である「他人」のことなんか考える暇が無くなるんですね。
自分のことで精一杯。

こうやって「走る」ことが「自分を見つめ直す」という行為になって行ったのです。

ただ、3回目の時は走っていても仕事の人間の顔が浮かんでいました。
今考えてもヤバかったですね。
ホントよく戻ってこれた。
(その仕事をしていた時の記憶はすでに曖昧)

■「走る座禅」という言葉を知る。

人間、趣味を突き詰めていくと極限状態を見たくなるのでしょうか。
ウルトラマラソンやウルトラトレイルという100km走るレースに興味を持ち出します。

実際に「チャレンジ富士五湖」や「野辺山ウルトラマラソン」を完走しています。
そして山を走る「ハセツネ」「おんたけ100」「信越五岳」も完走しました。

そのようなレースを走るキッカケになったのが「激走モンブラン」という番組です。

そして、このレースで3位になった鏑木選手にひかれるようになりました。
その鏑木選手と同じレースを走ったことがあるのですが、そのレースの回顧録で鏑木選手が「走る座禅」という言葉を使っていました。

ブログの中ではこう言っています。

「この状況を敢えて楽しむんだ」、こう思うと不思議と体が楽になるのは
今までに何ども感じていること
景色が見えないために、延々同じところを走っているような苦しい展開
競う相手もなく、ひたすらに様々なことにたいして自問自答。
「走る坐禅」。まさにそんな感じでした。

走っていると、自問自答するしかないんです。
そして、辛さに向き合うと、突然カラダの動きが「自動化」になることがあります。
鏑木さんは「カラダが楽になる」と書いていますが、僕は疲れて辛くなってくると頭の中がシンプルな思考になってカラダが勝手に動き出すことがあります。

カラダは思考の1秒前にいる。

考える前にカラダがやることべきことをやっている感じになるんです。
この時は頭の中は真っ白です。
まさに座禅している時と同じような集中している状態になります。

これを書いている日もゆっくり20km走っていますが、ペースがゆっくりでも集中状態に入れます。

■「無」の世界が気持ちいい。

この走ることだけに集中できる状態は、ものすごく気持ちいいです。
「ランニングハイ」ともいうんでしょうか。

とにかく集中して走った時に入る「無の世界」は全てをリセットできる貴重な時間です。
本当に座禅しているような頭の中になります。

そして全てがリセットされると気持ちがいいです。
走り終わった瞬間にアイデアは面白いように湧いてくる時もあります。

また、他人の目も気にならなくなりましたね。
自分は自分と割り切れるようになってきています。

もし走ることに出会っていなかったら、今頃どうなっていたでしょうか。
でも、もうそんなことは関係ないです。
自分で書いておいて何ですが(笑)

仕事がある日もない日も、朝起きてカラダを動かす。
走って、「無の世界」に入って集中力をまして1日を過ごす。

この朝のルーティーンを大事にして、この先の人生は豊かにしたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。