関西学院大学准教授 貴戸理恵さんインタビュー・2


(「生きづらさ」を聴く 日本評論社 2022)


コミュニケーションのキャッチボールモデルからの脱却

杉本:それはかつてからですか?

貴戸:はい、本のタイトルも編集者と相談してキャッチ―なものに決めただけでした。というのも、コミュニケーションというと主体同士があらかじめ持っている意図を交換し合うというモデルが基盤にあると思うんです。私があなたに私の主張を伝えて、あなたがそれを受け取り、再びあなたが何か返してくる。それを私が受け取る、というキャッチボールモデルみたいなものが想定されてしまう。でも、私が考えているのは、「私の主張」「あなたの主張」はあらかじめそこにあるのではなく、関係性のなかで作られるということです。まず私がいて、次いで私の意図を相手に伝えるのではなくて、その場におけるやりとりを通じて初めて、「私」や「あなた」が出来てくるというような、どちらかというとそういう順番ではないかと。。キャッチボール・モデルだと「この人とはコミュニケーションが成立しない」と思われるケースでも、実は「場」の中で受け止められていないために「その人の主張」がうまく言葉になっていないだけ、ということもあると思います。特に生きづらさを抱えているとそういうことが起こりやすい。

 例えば、「死にたい」とか、「もうどうでもいい」「復讐したい」と語る人がいたとして、実はそれはその人が本当に欲していることではない場合が多いと思います。こういう言葉で今は現れてしまっているけれども、本当のニーズは別のところにあるかもしれない。だから、そういう言葉を聞いたときには、「この人は死にたいんだな」「復讐したいんだな」とそのまま受け取るのではなくて、その人が別の形で自分のニーズを語れる場や関係をどうやってつくれるか、という方向で考えることもできるわけです。

杉本:そうですね。例えば一対一の関係の中だと、言葉と言葉のやりとりがガチンコになってしまい、言葉がだんだん硬くなり、徐々にうまく“ずらす”のが難しくなるとでも言ったらいいのか。対立的な図式。まあ対立的になる前に二者間のコミュニケーションはやめるでしょうけど。そうではなくて「づら研」でやってることとは、実際に場を共有して、その「場」の中でやりとりする中で浮き上がる二者関係というのではなく、いろいろと混ざり合うことで、そのことの意味とか、価値みたいなことを場が共有するというか。そういう風にも聞こえると言いますか。でもそういう力学はいわゆる「居場所」という場面ではあるんだろうなという風に思っていて。そういう話は若者支援をやっている人のところでも聞きますので、やはりそのような「場の効能」というのはあるんだろうなという気はしますね。

貴戸:私自身も「コミュニケーションが大事」という風には考えてこなかったなあ、って(苦笑)。むしろコミュニケーションの中から、漏れ落ちるものを見たいと思って。

杉本:なるほど。それは貴戸さんが関わっている「づら研」。つまり「生きづらさ研究会」とかの活動の中でも割と意識されている部分ですよね?

貴戸:そうですね。意識していたというか、結果的にそうなったという感じですね。

杉本:私はその部分を意識しているところが貴戸さんたちの取り組みの特徴かな、と思ったんです。確かにいろんな居場所の中でも漏れ落ちているものがある感じはぼんやり共有されている部分だろうけれども、その点を意識的に語るというのは、割とそちらの「づら研」さんところで感じる気がするんですけれども。漏れ落ちることそのものに意味や価値があるというか。

貴戸:*山下耕平さんがそういうところを聞き取る方なので。

杉本:なるほど。貴戸さんは自分はどのような役割だと思っていらっしゃいます?

貴戸:私はあんまり決定的な役割は果たしてなくて(笑)。山下さんに乗っかってる感じなだけなんですけれども。でもやはり、その場で起こっていることを見えるようにして言葉にするのが自分の役割だと思っているところはあります。づら研はすごく局所的な場ですが、その中で起こっていることが、実は社会のさまざまな問題にもつながっているとか、この場の取り組みが、社会の問題を考えていくうえで一つの視点を提供するんだ、ということをきちんと言葉にして説明していく。そのような役割でしょうか。

杉本:そうなのだろうと思いました。貴戸さんの直近の新刊でも、づら研の研究は「漏れ落ちたものの視点から、普通と言われるこの社会を問い直す」視点があると書かれていたと思いますし、主催している山下耕平さんに以前お話を聴いた時もおなじような話をされていたとおもいます。そこでこの新刊『「生きづらさ」を聴く』からお話を伺いたいと思います。まず「づら研」=「生きづらさからの当事者研究会」という集まりの理念は幾つか大きく共感できる考えがあります。一つは会の趣旨として、「世間が勝手に負のレッテル的に使う名称を返上しよう」ということ。また一つは「生きづらさの原因は自分自身にあると限定しないようにする」こと。かつ、その逆に社会の問題ばかりを問うのでは弱いと言うこと。確かに研究会の活動で一挙に個人の苦しさが解けるわけでもなく、社会は大き過ぎるし、変化は急には起きないでしょうからね。読者としての私はそう思い、その捉えかたの示唆の深さに共感しました。ただ、そうすると生きづらさを抱えた人たちの、その立ち位置の強固さは弱くなりそうですね。そのことについてはどう考えますか?

貴戸:「生きづらさ」は、個人の心の問題だと捉えられがちです。集団になじめないとか、自己否定感が強いとか、メンタル不調があるとか、「個人の意識や行動を変える」ことが解とされるベクトルがあります。その一方で、私がいちおう軸足を置いている社会学という分野では、「一般的には個人の心の問題だと考えられているけれども、実は社会の問題なのだ」とひっくり返す視点を提示することが多いです。そこでは、背景に差別や格差、貧困など社会構造の問題があることが指摘されます。これは重要なんですけど、そう言い切ってしまうと、当事者としては「自分ではどうしようもない構造に規定されている」というかたちで、問題に取り組むすべを失ってしまい、結果的に一回転して自己責任に戻ってしまうところがあるのではないかと思います。だから、『「生きづらさ」を聴く』では、「個人」でも「社会」でもない「関係性」の次元に踏みとどまって考え続ける道を開きたいという思いがありました。

杉本:「関係性」の次元に踏みとどまって考える。示唆深いです。ぼくは集ってくる多くの人たちの生きづらさの主訴の記録がとても圧倒的に感じたんです。どのかたにも「さもあらん」という理由があると思いました。これは個人的な感慨なんですけど、これだけ多様に生きづらい世の中での個々の悩みがありながら、世間では社会や政治のニュース文脈では「生産性」や「向上」などの日常から浮いたポジティブな話、あるいはバラエティやエンタメばかりを流し続けている。いま伝えるべき現実は生活のちょっとした落とし穴に落ちただけで浮き上がる目のない現象への目配りへの必要だと思うのですが。

 ですから、私には普通の生活者とづら研参加者のかたたちとの間に断絶があるとは思えなかったんです。ここから見えることは、私自身も含めて、社会構造と本人の主観的な自尊心低下の絡み合いもあると思いましたが、このこじれた糸を解き解く方法はあるでしょうか。

貴戸: 社会構造と個々の身体や精神のありようの絡み合いを解きほぐすことは、なかなかむずかしいでしょうが、「それが絡み合っている」という現状がまず見えるようになることが大事だと思います。そのためには、社会で起こっていることやそれを解釈する枠組を知り、身近な人と話しあいながら、何が問題なのか、どうしていけるのかを考えることがちからになると思います。

杉本:関連すると思うのですけど、ひきこもりや不登校の事例研究は、ともすると逆に悲劇性を強調する趣きがあり、私自身あまり好きになれないのです。とはいえ第五章の何人かへのインタビューによる事例研究は身に染みて感じ入るものでした。主観的には私も生きづらい苦労はあったと思うし、いまでもありますし、経済的にはともかく、高齢化した際の孤立化などとどう向き合えるのか。そのときこそ「自分は何のために生きているのか」本当の問題に突き当たるなと改めて思いました。貴戸さんは生きづらさの分節化という方法以外に、インタビューを通してどのような感慨を持ちましたか。私はとにかくみなさんの自分の苦労を超えていくさまに圧倒される感じがあったのですが。

貴戸:ご質問ありがとうございます。インタビューは本当はもっともっと豊かな内容を皆さん語ってくださったのですが、紙幅の関係や学術書という形式上、掲載内容が限定されました。どうしても、私が分かりやすくまとめてしまわざるをえなくて、そこはいつも「まとめなければ読まれない、でもまとめてしまえば重要なものがこぼれ落ちる」というジレンマを感じます。語り手の話にはたくさんゆすぶられました。研究者として「この人からはこういう話が聞けるだろう、そうしたらこういうふうに分析できるだろう」と目算を立てていくのですが、聴いているうちに、ひとりの人間として、「ああ、この人のこの底抜けのやさしさが生きづらさにつながったのだろうな」とか、「この人のどんなにわずかな光にでも顔を向けていくひまわりのような性質がこの人自身を救ったのだな」というふうに思わされることもありました。本に書けることではありませんでしたが。でも、その「研究者としての私」と「ひとりの人間としての私」の往還みたいなものが描けたところは、結果としてよかったと思っています。

杉本:そうなんですね。これは別の感想になりますが、第7章のづら研の語り合いの中で何が起こっているか、の部分。それぞれの語りが尊重されつつも、固有の生きづらいテーマを語る当事者の話に「自分はそうでもなかった」という相対化される語りの文化がよかったですし、目から鱗が落ちる部分もありました。例えば「思春期がなかった。同世代の人と遊びたい、将来について語りたい」という意見に、ぼくは深い共感を覚えたのだけど、「自分は親密な関係がなかったけれど、なくてもOKだった」という人や、「多忙で、そういうことに悩む時間がなかった」という人がいて、「青春時代とはこうあるべき」というような、ライフステージの概念に一様性はなくて、個々の人によって違うんだなという気づきも得られる。そういう着眼が持てているのはいいなと思いました。

貴戸:そうですね。「生きづらさの語り」というと、どうしても「共感しながら、受容的に聞く」ことを想定されがちですが、づら研では「自分の場合は違った」ということも含めてけっこういろんな語りが出ます。「多様性」と言葉で言うのは簡単ですが、「いろんな感じ方があるのだな」ということを、実際に人の気配を感じ肉声を聞くことを通じて、すとんと腑に落ちるかたちで体感する、という経験が重要かなと思っています。

杉本:改めてデリケートだなと思ったのは、居場所の中で当事者が関係上で抱えてしまった葛藤についてです。「場」が設定されつつも、なかなか運営側の人たちにそれがうまく内省化されておらず、等閑視されやすい領域になっている現状があると思います。そこをづら研はどう着目しているでしょうか。例えば第7章のラストで描かれているように、づら研の場は特にファシリテーター側の人が支援者的な操作的態度を捨てて平場で接する姿勢でしょうから、そこに発見や面白さが確実にあるでしょうけれども、同時にフラストレーションや緊張なども同居する空間なんじゃないかと思いつつ読んだのですが。

貴戸:づら研一般の話は難しいので、私個人の話になりますが、葛藤については、書くのがなかなか難しいところが多いです。でも、その難しさの多くは、「支援者」「書き手」「専門家」などと呼ばれる人たちが、自分の失敗にきちんと目を向けて、自分の卑小さと率直に向き合うことの難しさのような気がします。まずはごまかさずに、目を逸らさずにそこを見ることからスタートする。そうして、はじめて「平場の関係」に向けた一歩を踏み出せる、という感じですかね。

次のページへ

 2    

山下耕平-1973 年、埼玉県生まれ。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て、1998 年、『不登校新聞』創刊時から、2006 年6 月までの8 年間、編集長を務めた。また、2001年10 月、フリースクール「フォロ」設立時より、同事務局長を務める。2006 年10 月より若者の居場所「コムニタス・フォロ」を立ち上げ、コーディネーターをしている(現在は「なるにわ」と名称変更)。2012 年より関西学院大学で非常勤講師。
インタビューサイトユーフォニアム:インタビュ


よろしければサポートお願いします。サポート費はクリエイターの活動費として活用させていただきます!