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笹木陽一さん(中学校教諭・こどもの姿を語る会事務局)インタビュー・3

含蓄ということ

笹木:何というのかな。僕の仕事方面ね。若い人たちを要するに「能力をつける」人材として使えるものにするみたいなことを教育委員会は当たり前に言うわけです。またそれも立場上で言っていて、そういっている人事担当の人は僕の吹奏楽部指導の仲間だったりとか。だから昔は本当に言葉を額面通りにしかとれなかったけど、今はずいぶんその裏にある「含み」とか、そういうことを感じられるようになりました。いま本当に信用失墜行為が学校教育の現場でも札幌市では連続していて、そのあたりの事故処理にあたっていた教職員部長が学校教育部長に上がったのですが、その人は自分の娘が2歳の時に自分がいた学校の校長だったんですね。僕はその人と日々「ああでもない、こうでもない」と議論をしながらその頃の僕は立場や何とかじゃなくて、とにかくいい学校にしたい、排除のない学校にしたい、みんなを受け入れるそういう学校にしたいと校内研究推進の仕事を一生懸命やっていたので、その校長も評価してくれていた。ただやっぱり僕自身の指導のまずさ、傷に触れちゃう過剰な指導をしてしまい、子どもから強烈なクレームを受けるとか、あとは吹奏楽部の指導も上手く回せなくて、保護者から強烈なつるし上げのような経験もしましたし、だからもうやってられないと。もうこれ以上やったら身体が持たないと思って、それで若い新しく来た先生にバトンを渡して、10周年の記念式典で自分の書いたファンファーレを指揮して、担当を引き継いだんですけど。でも何というかな。勝手に自分の人生を自分で大げさに生きてたのに過ぎないのかなあ?なんて全部を手放した今となっては思えるんだけど、その時はものすごく真剣に悩んで生きてるんですよ。

杉本:そうですよね。すごくわかります。

笹木:日の丸・君が代強制が現場に入る時に、職務命令が校長に渡って、その当時の校長は「命を賭してやる」って僕らを脅した。僕はその時、組合の副分会長でまだ若くて20代最後だったのかな?で、ギリギリまでせめぎ合って。でも結局は学校現場で命令が下り、僕はすごく屈辱的な思いをした。要するに若いから「負けた」という感覚だったんです。そこで号泣したんですけど。そうしたらその時の先輩が“あのさ“って。学校現場の中で行政や組合に何とか言って、闘ってもダメだって。お前、本当に平和な世の中にしたいんだったら、学校の中にいるのはやめなって。それは都合良くうるさいこと言うな、ということでは……。

杉本:では、ないですよね。

笹木:「そうだな」と思ったんですよね。僕はそれでメタレベルで考える方向に行けたから。

 僕はこの人生で何にこだわって生きてきたんだろう?って。僕は自分のプロフィール作りを執拗にやったおかげで、気づいたらものすごくいろんなものが見えたし、いろんな人とつながれたし、その代わり病気もしましたけど(笑)。でもそれが財産だなって今は思えるし、やっぱり未だに地位とか関係なく、大学院の修士論文を書く時に書けなくてとても苦しかった。そのツケをね。やっぱり払いたいんですよ。だから論文を書けたら僕にとっては“ああ“と。やっと自分で許しが来るというか。それまで勝手に自分を締め付けてたのかもしれませんけど、そういう所はあるんですね。でも書かなくても違う人生のステージがやってきて、違う風景が見えて「ああ、いいや」と思う時も来るかもしれない。きっとたぶんこれからどんどんお金が娘にかかってくるので、大学の博士課程に在籍するなんてことは当面無理ですから。だから娘がある程度大きくなって僕が70歳とかになった時に。

杉本:もう一度…。

笹木:たぶんまとまるのかもしれないです。そこまで生きられるかどうか。胃の病気のことを考えると難しいから。胃にリンパ腫が見つかったということで。本当は年に1回だった胃カメラ検査が3ヶ月おきに短縮されて今年8月にカメラを飲むんですけど、それで本当に悪性のリンパ腫だって分かったら違う治療が始まり、強い薬を飲み始めたり放射線を当てたりということもありそうなんです。そうなると病気とどう向き合うかが人生の中心になるだろうから。今度は研究なんて言っていられないだろうし、仕事は休めないから、だましだましやっていくのかなぁとか。何というのかな。でもこれも、僕は臨床教育の研究の中で「病の語り」(*イルネス・ナラティヴ)というクラインマンの本と出会って、「そこに真実があるよね」って思うんです。みんなそれぞれに客観的なエビデンスで医者は切るけど、そうじゃない。患者それぞれ自分にとってのかけがえのない悩みや病みと同時にそこに生きていいじゃない、というか。みんな生きてるじゃない?という。それを隠さないで「そうだよね」って差し出し合える世の中にきっとなると思う。だって、それ程みんな頑張って弱み隠しながら生きていけないですもんね。

杉本:同感ですね。

笹木:もう、綻びが見えまくってますもんね。

杉本:本当にそう思います。


多くの人が考え始めている

笹木:だからこそ柔らかさや優しさや、そういうものでしか未来像は描けないんじゃないかというのは、ある意味僕の確信ではなく、多くの人がそういう未来像を語るようになってきてるんじゃないかって思うんです。

杉本:本当、そうですよね。

笹木:震災がひとつのきっかけになって、そういう世界観が共有されて、そういう世の中にシフトしていくのかなあと思って期待もしましたが、歴史はまだそんな風にはね。

杉本:簡単ではないですよねえ。だから今、やっぱり綻びが出てますもんね。奢った自民党の長期政権が、きわめて個人的な国のトップの工夫を忖度して、行政が動くという。そういう所まで来ているというのはみんな分かり始めているわけで。でも同時にそういうものを支えていま、虚ろなリーダーシップの安倍さんを支えてきたのは、われわれ一般大衆ですからね。

笹木:そうです。

杉本:やっぱり不安というものの受け止め方について、柔らかさを分け合う方向には行けなかった。

笹木:行かないんですよ。良くいわれる、*フロムが分析した『自由からの逃走』もそうだし、ファシズムがどういう風に起動するのかというものの典型例みたいなことが実際に起きたわけで。でもあれだけ「許せない!」と思っていた10年前の僕はリベラルというか、けっこう過激な左側の人間でしたけど(苦笑)。いまそういうのがようやく明らかになったと思うんです。でももう茶番にしか見えなくてね。

杉本:茶番ですよね。

笹木:病院に行くと僕が嫌なのは、やっぱり病院は公共性ある空間なのか、国会中継とか流してますよね。あれを見るのが苦痛でね(笑)

杉本:ははははは(笑)。

笹木:ははは(笑)。でもその時くらいしか見ないから。でも震災の時に*川原茂雄さんという「原発出前授業」とかやっている人に出会って、もともと高校教師のかたで、今は札幌学院大の教授ですけど。川原さんなんかが「市民の風」といって、元市長の上田さんと一緒にやってるんですけど。だけど政治にワッと熱くなっていた自分も客観視したいなという意図もあり、2月にはあえて10年前の自分のエッセイを引用したりもしたんです。

杉本:2011年の時って、やっぱりそういう感じはあったんですか?

笹木:あの時は、僕は…。

杉本:ショックのほうが大きかったですか?

笹木:そうですね。ショックが大きかったですよね。僕はなんだかね。本当に底が抜けちゃったんだな、って感覚がありました。

杉本:*「むすびば」さんともつながってたんですよね?その頃。

笹木:そうです。直後にむすびばが立ち上がって。あの時あの人たちと出会ったことは自分はなかったことにはできないので、細々とでも続けてるんですが、それも何というか自分のためなんですよ。結局は客観的には自己中心とか、否定的に言われるのかもしれないけど、でもみんな自分を生きてるわけだから、自分の一身上の都合をちゃんと引き受けて生きると。嘘ついて生きなきゃいけないことも多いけど、嘘も含めてそのストーリーをちゃんと引き受けて生きる。僕はそういう生き方しかできないので、不器用に生きてるんですけれども。

杉本:いやあ、結局人間が100%良心だけで行けるとそれは偉人の話であって、そう偉人のように外面的にも見せたいとなるとどこか無理があって、それは結論からいうとやっぱり権力的な別の形、平和を志向するにせよ、何を目的にしていたのか、どこかで分からなくなって。権力病でない人でさえ、現実政治の話になっちゃうと理想を追求している果てが何らかの犠牲を産んでしまって、ということを考えると。まさしく難しいですね。そういう大きな世界の、国のトップの話とかになると想定つかないですけど。まあ、あちらこちらにリーダーとか権力者とか、言葉が良くないですけど、そういう立ち位置につかざるを得ない人たちの中に持っているものの中には、やっぱり前提として「何のために嘘をついたのか」「何のために自分の中で偽善的なものを引き受けたのか」。きっと紐解けば相応の理由はあると思うんですね。

笹木:いやいや、そうなんです。

杉本:そこでね。その自覚の問題といいますか。苦しいけど、こういう判断をしましたということを事後的に他者に言えるかどうかということが大きいと思うんです。やはりその状況の主体者としては言えないのかもしれないけど、その状況が終わった時に一歩、「あの時の自分の状況では」という説明ですね。まあ枝野さんのようにね。あの原発事故を「爆発的事象」とか言いつのって、原発事故があったって言わなかったじゃないですか?

笹木:そうです。

杉本:あそこをね。徹底的に突いて、「嘘つきめ」って。僕も当時は思いましたよ、正直言って。やっぱり嘘をついていたのか、コイツ、みたいな感じで。その時は思ったけれども、まあそういうことの振り返りは今だ枝野さんの口から出てないけど、何かそのときの行動とか、まあ僕もちょっと甘いのかもしれないけど、いまの行為の中にはそういうかつてのやましい自分も含めて口にしてるんじゃないかなと。願望も含めて思うのですが(笑)。

笹木:僕も立憲民主が立ち上がった時にはそう思わないと立つ瀬がないなと。

杉本:(笑)立つ瀬がね(笑)。そうそう。

笹木:結局、枝野さんがああいう所でそういうことをしてくれなければ、もっとグチャグチャなことになってね。

杉本:そういう側面もありますよね。だからすごくいろんな要素を、年を取ると含めていかないとやっぱりシンプルは難しい。いや、シンプルな良さというのはすごくあって。でもそういう人たちは別に政治に関心があるわけでもないし。でも同時にシンプルシンキングの人の情緒的な良さというものに救われているというのも片一方ではあるんですよね。そういう形での、本当にいいなぁ会っていてホッとするなという人もいるんですよ。そういうシンプルでないと日常をやっていくのが大変だというのが一般の、普通の人たちの世界で。じゃあ僕はどうしてこういうことを考えたりするのかというと、やはり経済的な基盤が何とか確保できていたり、これ以上バイト以上のことはやらない。短時間のバイトと、このインタビューと、母を看取るという三本立てて、これだけでもう日々は基本退屈せずに過ぎていくわけで(笑)。まあそれでいいと思っている。そのおかげでしょう。ただ、このなかでバイトを抜いてね。毎日外出しないで家でインタビューのことだけをやって勉強だけしてますというのも、これは絶対僕のバランス崩れると思うんです。やっぱり習慣として外に出て、何らかの単純作業でも外に出なくちゃいけない、短時間でもやらなくちゃいけないと思っているし、それは自分の中の日常の中のルーティンの中にあることで救われている面はある。でも逆に、それだけでも絶対救われないとも思うんですよ。


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*イルネス・ナラティヴーアーサー・クラインマンが『病の語り』で述べるように、「患者は彼らの病の経験-つまり自分自身や重要な他者にとってそれが持つ意味を一個人的な語り(ナラティブ)として整理するのである。病の語り(イルネス・ナラティブ)は、その患者が語り、重要な他者が語り直す物語(ストーリー)であり、患うことに特徴的な出来事や、その長期にわたる経過を首尾一貫したものにする」。しかし、時として患者の物語は一貫したストーリーではないことが多い。それゆえに医師は「有能な証人」(リタ・シャロン)として患者の声に耳を傾け、一緒に意味のある物語を作り上げていく存在としての役割を要請されている。

*フロムーエーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm、1900年3月23日 - 1980年3月18日)、ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。新フロイト派、フロイト左派とされる。著書に『自由からの逃走」『愛されるということ』など。

*川原茂雄―札幌学院大学人文学部人間科学科教授(教育学)。1957年、北海道長沼町生まれ。1980年日本大学文理学部哲学科卒業後、北海道北部の下川商業高等学校の社会科教員となる。以後、北海道内の各地の高校で社会科(公民科)を教える。1999年、現役の教員を続けながら北海道大学大学院教育学研究科修士課程に入学し、2001年に修了後、酪農学園大学の非常勤講師も兼務し教職課程を担当する。2016年に35年半勤めた高校教員を退職し、札幌学院大学人文学部の教授(教育学担当)となる(。『かわはら先生の教師入門 「教師ブラック時代」を生き抜くために』より)

*「むすびば」―東日本大震災の札幌の市民支援組織。被災者の支援(ボランティア派遣、物資輸送・供給など)1.被災者の受け入れ(北海道への受け入れとケア) 2.チャリティ・募金(以上の活動を支えるための募金や資金調達)3.ネットワークの構築(札幌や道内でのさまざまなNGO・NPO、市民団体、ボランティア、個人のネットワークをつくり)、1-3の活動を効率的に進める手助けをした団体)

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