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笹木陽一さん(中学校教諭・こどもの姿を語る会事務局)インタビュー・6

臨床教育学とは?

杉本:そうなんですね。ところで、臨床教育学というのはどういう学問なのですか?

笹木:臨床教育学というのが日本で初めて出たのは、京都大学に河合隼雄さんが臨床教育学部を立ち上げる。要するに臨床心理学の心理士資格をとれる大学院を作るというそういう動きができた時期に作られ始めたんですね。そのあたりの経過が小林先生という方の「日本の臨床教育学はいかに形成されたか」という論文にあります。

杉本:雑駁(ざっぱく)に整理すると、どういう学問なのですか?

笹木:河合隼雄さんは単なる臨床心理学と教育学の合体ではないと言っていましたが。当時は臨床心理学そのものもまだ広く認知されていたわけではなくて。いわゆる机上の学問としての教育学ではなく、現実の臨床。クリニカルなものというか。

杉本:事例的な研究を……。

笹木:そうですね。そういうものにシフトしていこうというのが河合さんの意図だったと思います。またそういう思いを重ねるように庄井先生の初期の仕事で『学びのファンタジア』という本があるんですけど。それも1995年ですし。いくつか並行していろいろな研究が、事例に基づく教育学を再構築するような動きがあった。もともとは「日本教育学会」の一つのプロジェクトとして臨床教育学の研究というのが始まっているようなんですけれども。で、北海道大学にいた*田中孝彦さんという方が2003年かな。僕が依拠している臨床教育学会としての最初の設立趣意説明書を書いた中心人物なんです。田中先生はざっくり言うと3つのカテゴリーを提言しました。ひとつは「セルフ・フォーカス」。それから「ナラティブ・ベースト」。語りに照準する。そして「コミュニティ・ベースト」。地域ですね。この、「自己」「語り」「地域」ということを新たなキーワードにしながら、人が育つことを教育とかに限らず、いろいろな対人援助職や発達援助の仕事とつなぎながらそこにある原理みたいなものを語り合って、立ち上げていこうという学問なんですね。

杉本:なるほど。

笹木:だから僕にとっては、自分がもっている“痛み“みたいなものをそのまま研究対象として語れる学問的フィールドとして、バッとフイットしたんですね。それで、庄井さんの講演を2008年に、札幌自由が丘学園の亀貝先生の紹介で聴く機会があって、その時庄井先生の語りを聴いて語りの後にワァ~とフロアで喋っていた自分がいたんですね。そうしたら庄井先生が何となく記憶に僕のことを留めてくださって、で、学会が立ち上がる2011年に北海道で第一回の大会が7月にあったんですけど、そこに参加したいと。当時教育大学に教職大学院というのができまして、そちらの初代院長になった*福井雅英さんという方に直接メールをして参加させてくれないかと言ったら、「どうぞどうぞ。喜んで」と。その福井さんは札幌でまた違う学習会で喋るということが2008年の5月にあったんですね。

 そこで初めて僕は当時教育大学でナラティヴ的な探究を日本に紹介した田中昌弥さんという、今都留文科大学に移ったかたや、福井さんとか、あとは間宮正幸先生とかと、同じ場所に初めて立つんですけど。で、福井先生がひと通り自分の歩みを語り、「臨床教育学とは」という話をした。福井先生は50歳まで現場で普通の社会科教師をやり、50歳を機に滋賀大学で学習指導のカンファレンスという、授業の中でどんな風に子どもたちが学んだのかというのを事後的に語り合うようなカンファレンスを大学院で学んで、そのあとは神戸大学で今度は大田堯(たかし)さんの初期の仕事を紐解く博士論文を書いて、そのまま研究者になるんですけど。で、福井先生が50歳になるまでは本当に「切った張った」しながら子供たちと闘いの日々でそれは一体何だったのか。その意味を見つけるために彼らはなぜそういう風に荒れるのか、なぜそういう風にお互いを傷つけるのか。その暴力の背景にあるものは何なんだ?というのをひたすら彼らと対話しながら、それをひたすらノートに記録を取り、それを読み返しながら、それをもう一回明らかにしていくような研究をしていた。それを田中孝彦さんが福井さんの仕事を「子ども理解のカンファレンス」だね、っていう風に名付けて。それからだんだんと「子ども理解」ということばが教育現場でも使われるようになりました。

 今ようやく臨床教育学でない人たちも子ども理解ということを言うようになり、行政の文章にも3年くらい前から、やはり「子ども理解」が最優先されるべきだみたいなことが書かれるようになり、そういう意味ではあの80年代の本当に荒れた時代から見ると、隔世の感があるような教育観に基づく教育行政になりつつあるんですけれども、そういう積極的な側面は僕も引き受けているのですが、意外と現場の先生方は「また新しいことを言っている。面倒くさい」と言って、受け止めていない。もっと根っこでは「子ども理解?子どもなんか理解するのは面倒くさい」というのが残念ながら未だにマジョリティだと思います。そういう中で「いや、そうじゃないんだ」って。もうそういう先生たちと闘っても仕様がないので、若い先生と一緒に。「今のあの子どう?傷つけてないかい?」って。そういう所で一緒に考えて子ども理解のまなざしのある若い人を育てて行くしかもう未来を作る道はない、っていう所はあるんですよね。

 もちろんそれは簡単には行かないんですよ。さっき話したみたいに、「そんなこと言ったってちゃんと教えてください。子どもなんて…」みたいなことを保健室でバンバン言ってた後輩もいたんですから。2年で転勤した女の先生ですけど。なぜ彼女がそういうことを言い続けたか。それはそういう育ちを中学校の時にしているからなんですよね。でもそういう構えを解かない限りいつまでたっても子供には反発されるし、子どもを支えることは出来ない。だからやっぱり自分が傷ついたから、単純に言うとそういう傷つかないような学校にしたい。

杉本:いわば「子ども理解」をベースにするのが臨床教育学の哲学の根本にあるということですね。本当に隔世の感ありですね。僕らの頃はパターナリズムが当たり前、逆にいま親は先生の、ある意味親がモンスター化しちゃっているという別の問題がありますけど、子どもが先生にモノ申すなんて論外だ、なんていう時代でしたからね(苦笑)。僕らの頃は。

笹木:でもパターナリズムは、全く未だに支配的なストーリーなんです。

杉本:あ、先生たちがですか?

笹木:僕の最初の論文は創刊号に載せていただいたものですけど、結論は生徒がね、「ゆとり教育なんて嘘だ。縛られ教育だと何度も思った」と。論文に引用しましたけれども。

杉本:生徒の声なんですね。

笹木:そうですね。軽々には言えないけど、「これが私の義務教育のすべてです」と書かれていたんです。こういうことを生徒に言わせてしまう学校というのは、いったい何なんだ?という問い返しが必要です。

杉本:これは嘘ではない、と思わざるを得ない所でしょうか。

笹木:そうですね。だからそこをどうしたらいいだろうか。最初の論文の時は音楽科から離れるつもりはなかったので、ありのままの声、ナラティブを音楽科だからできることとして臨床教育学という分野で音楽科教師として紡いでいこうとこの時点では思っていましたけど、そのあといろんな葛藤があって、いま全然違う仕事をしていますが。


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*庄井良信ー(1960年6月30日 - )、日本の教育学者。専門は臨床教育学。北海道教育大学大学院教授を経て、藤女子大学子ども教育学科教授。日本臨床教育学会会長。日本教育方法学会理事。北海道生まれ。

*田中孝彦ー日本臨床教育学会会長、地域民主教育全国交流研究会代表、「教育子育て九条の会」呼びかけ人。専門 教育思想、臨床教育学

*福井雅英ー立命館大学法学部卒業後、地方公務員を経て、中学校社会科教諭31年。「教育困難校」などと呼ばれる学校に長く勤務し、荒れた生徒たちと向きあいながら学校再建に取り組む。その後、武庫川女子大学大学院、北海道教育大学教職大学院勤務を経て、現在は北海道文教大学外国学部国際言語学科教授。

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