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自殺は悪くない

全ての死にたい人へ

「自殺なんて無責任だ」
「残された人の苦労を考えろ」
「家族を悲しませるつもりか」

なんて言葉、一回は聞いたことありませんか。

『自殺をしたい』『もうこの世を去りたい』と考えたことありますか?私はあります。そしてこれからも『死にたい』と何回も思いながら生きていくと思います。いつ実行するか、それともしないのか今の時点では分かりません。しかし『死にたい』という気持ちはずっと心の中にありましたし、その気持ちを忘れる瞬間はあっても無くなることはないでしょう。

こんな記事を書こうと思い至ったのは、少し前にあった竹内結子さんが自殺してしまった時のことを思い出したからです。竹内さんの自殺報道があった時、私の母は『子供が居るのになんで死んじゃったんだろう。置いてかれた子供がかわいそう』と言っていました。世間一般の、しかも母親からしたら当然の反応かもしてれません。しかし私はそうは全く思いませんでした。むしろ『なぜ死んだんだ』という母の言葉に少しの怒りさえ覚えてしまいました。その怒りは自分勝手で未熟者の発想かもしれません。いえ、きっとそうなのでしょう。

しかし少なくとも私は、自ら命を絶ってしまった人に『なぜ死ぬんだ』なんて言葉は絶対に言えません。なぜなら、生前どんな責任があろうと自殺者の苦しみはその人にしか分からないからです。どんな人にもそれぞれ苦しみや悲しみがあります。どんな苦しみかは分からなくても良いし、みんなが自殺者に同情するべきだなんて思っていません。けど、その人が悲しみを抱えて生きていたという事実だけは分かって欲しいのです。そしてその悲しみを否定しないで欲しいのです。死んでしまった人は、もう悲しむことも苦しむこともできないんですから。だったら、私たちが出来るのは、どんな苦悩や葛藤を経てその人が死を選んだのか、口をつぐんで考えてあげることだけです。それがせめてもの弔いだと私は考えます。

そして話は戻り、私が竹内結子さんの自殺に関連して私が思ったのは、彼女の自殺報道に反応した周囲の『自殺はいけない』という謳い文句が欺瞞であるということです。SMAPの香取慎吾さんはTwitterで『弱くてもいい。テキトーでもいいから生きてみよう。大丈夫』という趣旨のコメントをされていました。まさに救われる言葉です。しかし『生きてるだけでいい』なんてのは嘘です。みんな分かっているはずなんです。生きてるだけじゃダメなんです。勉強をしなくちゃいけない。お金を稼がなくちゃいけない。家族に優しくしなきゃいけない。周囲の期待に応えなくちゃいけない。見栄を張らなくちゃいけない。気遣いを忘れてちゃいけない。友達を作らなきゃいけない。恋人を作って結婚しなきゃいけない。何より、社会で競争に勝たなくちゃいけない。

人生はそういったモノの繰り返しで、絶対に避けられません。テキトーじゃ無理です。努力しなきゃ無理です。苦しんで、後悔して、やっとの思いで世間が言う”普通”の基準で生きられるんです。ただ生きてるだけだったら、みんなに嫌われます。テキトーに生きていれば、無能だと罵られ、存在を否定され、無視をされ、忘れ去られます。そして死んだ時にやっと『ああ、かわいそうに』と気づいてもらえるんです。そんな人生に絶望して、『死ねば楽になれる』と自殺する人を誰が責めることができるでしょう。誰もこの世に生まれることを選んでいません。この残酷な世界に生まれて来ないという選択肢を与えられなかった私たちが、自分の存在を消す選択肢を持ってはいけない道理など無い筈です。

自殺をしてはいけない究極で正当な理由なんてのは世界中どこを探しても有りません。宗教、伝統、法律、慣習、そんなものは全てどこぞ知らない人たちが作り上げたモノです。そんな名前の知らない人たちの基準にアナタの生殺与奪を委ねることはないんです。アナタの命です。アナタだけのモノです。誰にもアナタの命の行き先を決定したり指図する権利はありません。アナタの気持ちも同じです。アナタがもし自殺をしたい理由を他人に話せば、本当に理解してくれる可能性もあるし、その逆もあります。そもそも相手にはアナタの気持ちを分かってやる義理もないのです。結局のところ、その苦しみや悲しみはアナタだけのモノです。『甘ったれたことを言うな』『俺だって、私だって』なんて言われても気にすることはありません。なぜならアナタの命、想い、行いは全てアナタだけのモノだからです。

もうこの世界が自分にとって生きるに値しないと思ったなら、いつでも旅立って良いんです。『最後は自己責任』なんて言いますけど、その通りです。全部”アナタ”なんです。アナタにとって心地良いモノでなければ宇宙だって意味がないんです。『自分が死んだら周りの人はどう思うだろう』なんて気に病む必要はありません。好きなようにアナタ自身の命を扱って良いんです。だって死んだら周りの人がどう思うかなんて考えも出来ないんですから。アナタの死に彼らが責任を感じることがあったら、それは彼らが解決すべき課題です。

死にたい気持ちを恥じる必要はないと私は思います。死にたいその気持ちに良し悪しなんて無いと思います。アナタの気持ちが真実じゃないなんて誰が言えましょう?『一回きりの人生』なんて言いますけど、それこそ一回きりだからこそ人生は誰のものでもなくアナタだけのモノです。アナタが決めて良いと思います。生きるのも勇気、ならば死ぬのも勇気ではないでしょうか。どっちの方が勇気があるなんて神にでも言われなければ勝手に評価される筋合いなど無いでしょう。生き抜いた人の命の方が自殺した人の命より尊いなんて言う人が居たら『自分の命の価値は自分で値踏みする』と言ってやりましょう。

しかし自殺する前に、少し考えてみてください。いえ、他人のことではありませんよ。家族のことでも、友達のことでもありません。アナタのことです。そう、アナタがやり残したことはありませんか?アナタを苦しめた人に『くたばれ!』と言ってやりましたか?子供の頃に好きだったモノをお腹一杯食べてみましたか?試聴しかけのドラマ、見切らずに放置していませんか?読んでた漫画、連載終わっていないのに続きを読み忘れていませんか?来年完結予定のアニメのこと忘れていませんか?Pixivで推しカプのイラスト更新されてないか気になりませんか?買って満足していた本がたくさん棚に眠っていませんか?昔好きだったアイドル、今どんな生活してるか気になりませんか?食べログでチェックリストに入れておいたレストラン、行き損ねていませんか?

まあ、なんだって良いんです。けど、自分を惨めな目に合わせた奴が自分が死んだ後のうのうと生きているのを想像したり、死ぬ直前に『あ、あれやっとけばよかった。けど今更なぁ』って思うのは嫌ですよね。だから死ぬ前に、スマホでもメモ帳でも良いから”やり残したこと”のリストを作ってみてください。どんなに小さなことでも良いんです。どんなに馬鹿げたことでも、悪辣なことでも、変なことでも、なんでもアリです。実際に私のリストにも『嫌なアパートの隣人宅のドアノブに鼻くそを密かにつける』なんてアホみたいなこと書いてます(実際にやるかどうかは検討中)。

ともかく、できるだけ多く”やり残したこと”をリストに書いて、ひとつひとつ消化してみてください。やりたいことをやり切った後、アナタは幸せになれるはずなんて無責任なことは言いません。やり残したことを全て終えた後も、アナタの気持ちは変わってないかもしれないし、もしかしたら少しだけ変わってるかもしれません。それはアナタにしか分かりません。だから、自分に問いかけてみてください。少し前の気持ちと今の気持ちに変化はあるのか、変わっていると感じるならどう変わっているのか。何も変わっていないと思ったなら、なんで変わらなかったのか、その原因がなんなのか。そして考え疲れたら、眠ってみてください。そしてまた目を覚ましてご飯を食べた後、また考え直す気力があるのか無いのか感じてみて下さい。その後、アナタがどう思い、どう行動するのか、私には分かりません。今のアナタにでさえも分からないでしょう。しかし、悔いは残さないでください。それだけです。

もう一度、アナタの死にたい気持ちは間違ってません。むしろ、死にたい弱さを大切にして下さい。どうしようもない気持ち、孤独な気持ち、けど諦めたくない気持ち、アナタの全ての気持ちが正しいんです。だから、生きても良いんです。死んでも良いんです。アナタ自身の決断である限り。誰にも、アナタを殺させないで下さい。それは、アナタの命なんですから。



最後に一つ、この前読んだ本の中にあった詩の一部をおいておきます。

みんな孤独で。
みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
うつらうつらの日をすごすことは幸福である。- 草野心平「蛙のうた」より

なんか、良いですよね。





※本記事は完全に個人的偏見・意見を赤裸々に記したものであり、他の人間を特定の行動に扇動または誘導することを意図されたモノではありません。

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