「死ぬこと」について考えてみた
30歳を過ぎて、改めて人生について考えてみた時。
「私は死ぬことを怖いと思っていないのかも」ということに気がついた。
「死」というものに対してどう接してきたのか、今はどう思っているのか、言語化して残しておきたいと思う。
”死”とは?
辞書ではこのように定義されている。
本来的な意味では何かの命がなくなることを意味するが、最近では「電池が死んだ」みたいに”使えなくなった””能力がなくなった”ことに対しても死という概念を使うことがあるように思える。
初めて”死”に触れた幼少期
記憶に残る中で初めて身内の死に接したのが、小学3年生の時、母方の祖父の死だった。
当時のことはとてもよく覚えていて、ちょうど運動会の日に外で救急車の音が鳴ったな〜なんて思っていたらそれが祖父を運んだ救急車だと後から知ったり。運動会ではリレーの選手だったから、なんとかリレーまでは走り切ってそのまま病院へ向かったことも。病室で眠っている祖父の、痩けた頬に衝撃を受けたのも。鮮明に思い出せる。
その数週間後、祖父は亡くなって葬儀をあげた。
よく遊んでくれた祖父だったが、その頃はまだ「死」というものについてあまりにも実感がわかなくて、泣いたり寂しくなったりすることはなかったし、「大人の人たちが黒い服を着て集まって祖父を送る会をしている」という認識だった。
同級生の親が亡くなった衝撃
高校生の時、クラスメイトのお母様が病気で亡くなった。
まだ17歳だった私は「親が死ぬ」という概念を知らずに生きていたから、そんなことがあるのかと衝撃だったし、自分の親が死んだらと想像するだけで心が苦しくなった。
そのクラスメイトは翌週から学校に来ていたけれど、悲しみを見せず気丈に振舞っていつも通り過ごしているように見えた。
私だったら、そんな風に振る舞えるだろうか。
当時の私には到底無理なことのように思えた。
大好きな祖母の死
2018年頃、祖母が癌に侵され入院と手術を余儀なくされた。
後から母に聞いたのだが、祖母は「首にメスを入れてしゃべるのにも支障が出るなんて絶対に嫌だ」と手術を拒否していたらしい。それでもと、母と伯父は祖母を説得して手術を受けさせたそうなのだが、おかげで死に至る状況は回避でき、予後も良かった。
しかし、コロナ禍に入り人と会うことができない状況が続いたことと、手術によって口元をうまく使えず喋りづらくなってしまったことが影響したのか、祖母はどんどん元気を無くし、癌が再発してしまった。
原因は今となっては定かではないが、LINEをしても元気のない様子が伝わってくるほどだったので、一因ではあったのかもしれない。
再手術は難しく、自宅で緩和ケアを行う日々が続いたが、2020年9月に祖母は亡くなった。
亡くなる前日、「まだ意識があるうちに」と急いで祖母の見舞いに行って、その数日の間では珍しく意識がしっかりしているタイミングだったこともあって目を合わせて手を握ってくれた。「元気でね」と掠れてほとんど出ない声で私に何度も呼びかけてくれた。
葬儀では実感がやっぱり湧かなくて、悲しい気持ちはあれどぼんやりしていたのだが、火葬場について祖母の「体」がこの世からなくなることを実感すると本当に辛くて悲しくて、耐えられずにその場から逃げ出してしまったほどだった。
3年半が経とうとしている今は、祖母との思い出を思い出しても泣くことは無くなったし、つらさよりも懐かしさが込み上げてくるくらいには受け入れられたんだなと思う。
自分の死について考える
怖い・死にたくない といった感情は不思議と湧き起こらなかった。
今死んだら寿命が32歳だった、ってだけだな〜
パソコンの中身は見られたくないし、部屋の中のものも親にあんまり探られたくないな〜
とまあこんな感じだ。
社会人になって、過労で少し心を壊してしまった時期を経て、コロナ禍で「自分を大切にして生きよう」と心に決めて、そして今。
人間は簡単に死ぬ。
うっかりするとすぐ死んでしまうんだな、と思う。
いくら自分を大切にしていたって、ある日突然車に撥ねられるかもしれない。
健康的な生活をしていると思っていても、病気になるかもしれない。
人間は、生きることを、想像以上にコントロールできない生き物なんだなと最近になって実感した。
だから、生きることに必要以上に執着しても意味ないのかもしれないな〜なんて。
死んじゃったらもうしょうがない。
生きれる間は、程々に頑張って、自分を大切に生きよう。
貯金もほどほどに、今使いたいと思ったら許容範囲内でなるべく使おう。
やりたいと思ったことは、なるべく早いうちにやろう。
死を受け入れることを発端として議論すると、むしろ生に執着しているように見える、なんとも逆説的な話。
どうせなら、いつ死んでもいいように生きていたいな。
それが私の死生観だ。
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