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人生のターニングポイント

この世に生を受けてからまだ26年しか経っていないが、大学卒業後にインドネシアに移住したことが、ぼくの人生における大きなターニングポイントであることは間違いない。

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大学3年生まで、つまりインドネシアで就職しようと考えるまでは、公務員のような手堅い職に就いて、堅実な人生を歩むものだとばっかり思っていた。

しかし、幸か不幸か東南アジアで就職するなどという突飛なことを思いついてしまい、安定からはかけ離れた人生を送る人間になった。
今はインドネシアでの任期を終えて日本に住んでいるが、いつでも海外に出れるように契約社員として細々と暮らしていて、先日ついに来年の夏には海外で働ける見通しがたった(コロナ次第だけど)。

ただ、実はそれ以前にも人生のターニングポイントはあったのではないか?と、最近よく考える。

それは、高校受験である。


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高校受験というと、もう10年以上も前の話だ。


中学3年生だったぼくは、特に入りたい高校があるわけでもなく、当時通っていた塾の先生に言われるまま公立トップのH高校を志望校にしていた。

手前味噌で恐縮だが、ぼくは勉強がよくできた。

秀才というほどではないが、サボらずにちゃんと勉強すれば最難関公立校も狙えるくらいの学力であった。

歯車が狂ったのは、受験も差し迫った晩秋くらいのことだったと思う。

ふとしかきっかけでN高校の存在を知った。N高校はH高校と並んで、御三家と称されるトップクラスの公立高校である。
この2つの高校は、学力のレベルは同等であるが校風はまるで違っている。
H高校がいわゆる官僚型というかきっちりした校風であるのに対して、N高校は自由な校風で知られている。確かN高校には校則がなくて、あくまでも個人的な見解だけれど、「勉強の成果をちゃんと出しておけば、何してもいいよ」的な雰囲気が漂っていた。


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ぼくはその自由な校風に惹かれて、志望校の選択肢にN高校を入れた。
そして、そのことを塾の先生に相談したところ、あろうことか猛反対された。
今考えるとひどい話である。

ぼくの住んでいる地域では旧学区制の影響でH高校の知名度が抜群に高く、実績至上主義の塾としては何としてでもH高校への進学実績を伸ばしたいらしかった。
塾の先生はそういった大人の事情を押し隠し、それっぽい理由をグダグダと述べてぼくの説得に当たった。

ぼく自身、高校受験に対して強い意志がなかったということもあり、最終的に押し切られる形になってN高校の受験を断念した。

しかし何だか釈然としないまま受験勉強に身が入らず、結局公立高校の受験に失敗し、滑り止めの私立S高校に進学した。

最後まで意志を貫き通せなかったのは自分が悪いし、受験勉強に身が入らなかったのも言い訳に過ぎないし、何やかんやS高校も楽しかったし(高い学費を払わせてしまった親には申し訳ないと思う)、受験に失敗したことは後悔はしていない。

後悔はしていないが、たまに「if」を考えてしまうことがある。

もし塾の圧力に屈しないでN高校に進学していたら、もし未練を断ち切って受験勉強に集中してH高校に進学していたら。
もちろん、どちらも最難関高校なのでどう転んでも不合格だった可能性はある。


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滑り止めだったS高校では、校内でトップクラスの成績だった。
鶏口牛後という言葉があるが、まさにそれである。
高校では特待生として一目置かれ、それこそ東大への進学も期待されていたぼくだったが、高校卒業後は無難な地方国立大学に進学した。
これは、小学校の教員免許が欲しかったからというのもあるが、これ以上親に経済的な負担はかけられないから大学受験で大きな冒険をしないという理由もあった。

一方、N高校もしくはH高校に進学していたら、受験した大学も違っていたかもしれない。
周りには優秀な生徒が多く、ぼくもそれに感化されて最難関国立大学に進学し、一流企業に就職して、経済的に豊かになって、結婚して、安定した家庭を築いて…。

人生における成功が何かはわからないけれど、そんな人生もあったのかなとふと考える。
とはいっても、今の生活は全く不幸ではないし、不安定な暮らしを選んでいるのは自分の意志なので、後悔はしていない。



先日、そんな話をしていたら、「たとえ受験に成功していても、多分あなたは周りの人間に感化されることはないから、結局いまと同じ生活をしているよ」と言われた。
まあ、そうかもしれない。

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