臨終と死 を考える
今回テーマにする話は いくつかの記事を読み
何か書き残したいと思い記事を投稿しています
いずれ その時は やってきます
その日の前に・・・
magenta-hikariさんの記事
たなかともこさんの記事
死ぬことを考えるなんて縁起のいい話ではない
生きていく事を考えよう!として
話す事をさけてきた
後ろ向きな事は考えないようにと・・・
死ぬことは周りに迷惑をかける事
だから歓迎されるものではないから
自然の流れで
臨終を迎えることが理想に思えてしまう
元気なうちに自分の死を考える事は実は大事な事
自分の為にも 残された人の為にも
死に向き合い考える事は古代から続いている
エジプトのファラオも秦の始皇帝も・・・
近年、
終活やタレントの田村淳さんが展開する
ITAKOTO(イタコト)など
死に対してのサービスも増えてきました
日本人の死因別死亡数の割合は3割が癌
不慮の事故や自殺と老衰を除けば期間は別としても
闘病生活を最後は経験し臨終を迎える事になる
(参考データーJILIより)
その為、
事前に臨終を考える時間は高い確率でやってくる
しかし その時はすでに健康とは
言いにくく冷静ではない
病気が発見され治療に専念している中で
生きる望みをつないでるなかで死を考える事は
簡単ではない
いつ自分の体が動かなくなるのか
いつ自分の声が出なくなるのか
いつ自分の意志を伝えられなくなるのか
そんな事はわからない
だから元気なうちに考える事が
残された人に対しての
自分が出来る最後の
お礼
なのかもしれない
と思う
自分の人生の整理の為でもあり
死を受け入れる為でもある
明日死ぬのか
数十年後に死ぬのか誰もわからない
インドのマハトマ・ガンジーの言葉で
「明日死ぬかのように生きよ
永遠に生きるかのように学べ」
という言葉を思い出す
偉人の言う事は違う(笑)
とは言っても中々
自分の死について語る相手もいなく
一人で少し考えては途中でやめる日々
数年前に妻に
(上海人の妻で国際結婚し
現在僕は上海に住んでいる)
僕が中国で死んだら
中国で簡単に葬儀をしてくれるだけでいいよ
墓もいらないし遺灰も日本に送る必要はないよ
と伝えたけど
縁起の悪い話しないで!となった
※中には遺体を冷凍し日本に輸送する人もいる
妻は僕よりも7つ若い
年齢からみると僕の方が先に亡くなる
出来ればそうなってほしいけど
変な意味ではなく
僕は妻の臨終を
見守ってあげたい気持ちもあり
人の心は複雑だ
愛した人に見守られながら命尽きるのは
幸せだと思う反面
僕が妻の最後を
彼女の素晴らしい人生の最後を
この目で見届けてあげたい
安心して眠って欲しい
とも思う
そしてその後 ひっそり僕は死ねたらと
そんな事を妄想してしまう
現実にはまだまだ先
僕ら夫婦は40代で人生も先は長い
しかし明らかに人生の折り返し点を超えた
40歳を迎えた頃から僕は
人生のカウントダウンを意識するようになっている
今まで考えもしなかった事だけど
人生80年だとして
生まれてから40年経ち
また今から同じだけの時間を過ごすという
永遠のような時間にも思えるけど
これから先は
残り何年と引き算で考えるようになっていた
これからの人生は
健康との戦いになっていく
もう若くない
全力疾走なんてもう出来ない
変な態勢で寝たらすぐに体を傷める
ちょっとした段差も気になる
瞬発力も落ちた
視力も落ちた
確実に体は退化へと向かっている
何より大病はいつ起きてもおかしくない
そんな年齢になっている
具体的に何かをしてはないけれど
頭の中で死を人生の長さを考えるようになった
僕は中国で生活を始めるようになってから
チベット仏教に興味を持ちだした
その影響で色々旅をして仏教を知る事ができた
釈迦の説いた原始仏教から派生し
大乗仏教が生まれ
唐の時代に中国で花開き
衰退したインドから
チベットに流れ引き継がれる仏の教え
初めて強烈に信仰を目の当たりにしたヨーロツパ
僕の宗教観が変わった
日本の宗教観とは全く違う
24歳の時
僕はヨーロツパを旅していた
観光シーズンの終わった9月にノルウェーのオスロで
日本人僧に出会った
僕はキリスト教や宗教に対する信仰について
色々聞いて教えてもらっていた
短い時間で仲良くなり名も知らない
僧に最後にこんな質問をした
仏教は何の為にあるんですか?
君がその答えに興味があるなら
チベットへゆけ!と勧められた
そして時は流れ
僕はチベット拉薩に行く機会を得て
行く予定のなかった幻の寺に迷いこんだ
奇跡的なタイミングでその寺に訪れ
寺の座主へ長年僕が疑問に思っていた問いを
最後にしていた
高僧はその答えを一言で僕に教えてくれた
その時の記事はこちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓
色んな人生の出来事があり
少しずつ僕も歳と共に
死を考えるようになっていく
noteの中で見かける記事にも
濃厚で考えさせられる記事も多いし
尊厳死の記事も考えさせられた
シリーズ「チベットへゆく」は
信仰、死、輪廻転生を大きなテーマとして
記事にしてる
興味があれば 読んでほしい
何かきっかけになれば幸いです
助からない病気になった時や
死んだ後の事を話そうとすると
縁起の悪い話をしないで!と妻に言われるけど
僕もそう思いつつも
何かに書き残した訳じゃないけど
今まで何度か冗談交えで伝えている事がある
延命治療は必要ない事と
痛みは少ない方がいいので楽に死にたい事と
最後は手を握り意識がなくても
耳元で声を聴かせてほしい
と
チベット仏教では
肉体が最後を迎えて四十九日後に転生する
その間 魂は肉体に宿る
聴覚だけは魂とつながり
声は魂に聞こえているという
チベットでは人が亡くなれば
高僧にお願いし転生するまでの期間
耳元でチベット死者の書を説く
という習慣が全てではないが残っている
そして魂は新しい肉体へと旅立つ
そして火葬する
インドのヒンドゥー教でも肉体は箱で
魂の抜けた肉体には価値はなく無造作に
ガンガーに流される
科学的にとかではなく
その神秘的な習慣を信じてみたい
意識がない中
最後に愛した人の声を聴きながら
魂は肉体を離れる
その時は もう意思を伝える事ができないから
元気に意思を伝えれる今
笑いながら妻と娘に僕は伝えている
縁起が悪いと嫌がり
話を聞こうとはしないけど
もし君が先に逝くのなら
僕は必ず手を握り
耳元で声を聴かせてあげる
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