聖地巡礼記-西安 キングダム秦の始皇帝
西安を見ずして中国を見たとは言えない!
かつて世界の中心だった都
長安。現在の名は西安Xian
歴史的に見どころの非常に多い場所
中国に来たなら
1度は必ず行かなければいけない場所
上海から西安まで電車で11時間-14時間
中国国内の旅は電車の旅が醍醐味
飛行機で大陸を移動するには勿体ない
この距離感を感じ内陸に行くドキドキ
大陸ってデカイ!を感じれる
西安は中国大陸のほぼ中心に位置して
海からほど遠い
潮の気配を感じる事はない
昔の人にとっては
海は遠い遠い遥か彼方の伝説のようなもの
数々の中国史が作られた土地
古くは有名な
キングダムこと秦の始皇帝
三国志よりも前、この地に君臨した男
時は紀元前221年 中国初の統一に成功し
自ら皇帝を名乗り始皇帝と呼ばれた男
全てを手にした皇帝は
最後に不老不死を求めた
徐福という方士に
不老不死の秘薬を探させる
徐福は莫大な捜索費用を得て
不老不死の秘薬を求めて日本へ渡ったとされている
日本にも徐福にまつわる伝説があり
和歌山県新宮市には
徐福の墓が伝わり徐福公園までもある
そんな始皇帝は不老不死執着し
防腐効果のある水銀入り薬を多用し命を落とす
水銀中毒や毒殺とも
死因に関しては噂されている
始皇帝が成した偉業は
初の天下統一だけじゃない
彼の残した業績は
今でも多く引き継がれている
■貨幣の統一
■法による統治
■漢字の統一
■万里の長城の原型を建設
■始皇帝陵の建設(お墓)
■運河の建設(霊渠)
■阿房宮の建設
秦の31代君主についた
紀元前247年〜紀元前210年の間に
これだけの偉業をなしている
亡くなったのは50歳。
しかも、どれも規模が半端ない
思ったより短い間に
大規模な事をなしえている
長く伝説の人物と思われていた
彼を知る手掛かりは
主には司馬遷が残した
「史記」
しかも死後100年以上たってから
書かれた歴史書である
伝説の人物が現実味を帯びたのが
1974年に発見された兵馬俑(へいばよう)である。
2000年の時を超え21世紀の大発見とされる出来事。
ある時、井戸を掘る為に穴を掘ってると
何かに当たり、壺や人の形の青銅が出る
鑑定したところ
2000年前のものと判明し調査を進めると
次から次へとドンドン発見されていく
その数ざっと8千体以上
今もなお 発掘中
原寸大の大きさの兵士を中心に
軍隊としての隊列を組み
一人一人の顔や装飾も違う
兵士の顔も豊かで全国から兵士が集められ
顔立ちが違うから歴史的資料としても
注目されている
秦の始皇帝陵の噂が真実味を帯びていく。
司馬遷の残した「史記」に記載された墓の伝説
墓は始皇帝が描いた世界の縮図
天体を再現し川や海に大量の水銀が使われ
宮殿を模した空間に埋葬
侵入者には石弓が向けられる仕掛け
という伝説話
だれも信じていなかった話
兵馬俑の大発見が始皇帝陵は伝説ではなく
史実ではないだろかと秦の始皇帝に注目される
墓はまだ開けられていない
発掘、保管、修復技術など
まだまだ対応できないとなり調査禁止
しかし始皇帝陵のある驪山の
土濃度を計測したら100倍以上の
水銀濃度を検出
伝説を裏付けるデーターを合致
都市伝説好きな僕は興奮!
伝説じゃなく史実だった。と早くも
勝手に決めつけてる(笑)
何とも壮大なロマンの塊!
キングダム事 秦の始皇帝の物語
農民のオジサン達が
井戸掘りで偶然にも兵馬俑を発見していなければ
未だに秦の始皇帝は
信じられていないかもしれない
キングダムの漫画も誕生してないかもね
僕らが生きている時代に墓を開ける事はないと思うけど
莫大な財宝と伝説にロマンを感じる
始皇帝陵の丘の上で息をするのは時を超える気分
兵馬俑はまだまだ、
この周りに埋もれているのだろうか?
東を向き整列された兵馬俑の隊列
兵馬俑抗 1号抗のファーストインパクトは凄い!
巨大な体育館のような屋根を持ち
正面の入り口から多くの人をかき分け
真正面から全貌を見降ろす
誰もが、そのスケールに息をのみ
圧倒的迫力に悲鳴をあげ
スゲーェーーーーーーーーーーー!
と息をのむ
死後の世界へ連れて行く霊魂達
その数ざっと8千体以上
そして馬鹿な僕は思う。
この中に王騎将軍いるの??(笑)
いる訳ないけど一応探したくなる
カラフルな色を持ち
馬車の細工は芸術品
空気に触れ色はみるみる剥がれ
今では土の色になってしまったが
恐らく作られた当時は
綺麗だったと想像できる
一番驚くのは、八千体程ある人型に
同じものは一つもない
金型で製作され
量産されたのではないという事
始皇帝陵の頂きに立って 目を閉じて大きく息を吸う
2000年の時を超えて想像してみる!
キングダムの世界を!
中国の歴史は面白い!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓西安巡礼記はこちらをどうぞ!
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