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”同調圧力”と”将来への不安”の中でもブレずに生きる指針は「ストロング本能」

コロナ×新春

コロナ×新春ということでめでたい事はよそ者扱いされ、日々不安やストレスと押し問答する日々を過ごしていますでしょうか?

また、新春・新しい環境や場所での新生活に期待が入り混じった不安を抱いている方も多いはずです。そして、コロナがどれだけ脅威を及ぼすのか、ここ2,3年の社会情勢はどうなるかどうしても下を向きがちになってしまうかともいます。

実際に、僕も学業の集大成であった留学計画が飛びそうだし、6月にプロデビューするはずだった興行も自粛になりそうで。。。

そんな感じで大学3年まで土台を作ってきたものを咲かすはずの今年・来年は、計画が一度白紙になりそうですがそこまで落ちてはいません。だって、悩んでも自分で変えられるレベルの話ではないしなって感じです。

だから、自分ができることをまた淡々と今からやるしかないよねって切り替えています。高校までの自分だったらこういう時の不安や、漠然とした将来に対する不安とかと向き合うのが苦手でした。

でも、ある方と出会って、不安や悩みと”正しく向き合う”術を徐々に身に付けることができるようになってから心理的だいぶラクになったので、今日は少しシェアしてみます


わが人生のロールモデル・指針


そのある方とは、青木真也さん。僕の周りのひとは名前くらいは聞いたことはあるはずですが、ほぼほぼの人は知らないことでしょう。

簡単に説明すると、総合格闘技の世界王者に2団体で輝いた実績を持ち、37歳の今でもアジア最高峰の格闘家の一人でありながら、執筆・講演・プロレスなどマルチに活躍されているフリーランス格闘家

そのふり幅は凄まじい。所属するアジア最大の格闘技団体ONE FCでは世界最高レベルの格闘技の攻防を見せる一方、今年の3/11にDDT(Abema放送)というプロレス団体ではブラジャー剥ぎ取りルールで勝利し王者に輝いた。

また幻冬舎の箕輪さんが編集した「空気を読んではいけない」、「ストロング本能」を出版しているほか、電通本社での講演を行ったり、「生き方」や「社会」についてハフポスト、R25、PRESIDENT、東洋経済という格闘技の枠を超えてビジネス系のメディアにも多数取り上げられている。

かと思えば、Twitter上でクソリプに「うんこくっとけ」「うるせえバカ」と言っている。

ハイコンテクストで「分かるやつに分かればいいや」というスタンスで表現をされる方なので、誤解を招かないように紹介するのが難しいが、ここは自分の腕だと思って一つがんばる。

今回はそんな青木真也さんの発言をピックアップし、その言葉の真意を熱烈なファンである自分が咀嚼し紐どいていきたい。そして、青木真也のバックグラウンド・生き様を踏まえて、「自分らしく」「後悔せずに」生きる・「不安と向き合う」術を感じ取ってもらえたら嬉しい。

これはノウハウ本や正論を主張するだけの本以上に、リアルさと価値があると思っている。口であればなんとでもいえるが、実際に時代を生き抜いてきた人だからこそ、リアルさ・現場感の中に正しさがあるはずだ。だからこそ、メンタルトレーナーよりも、自分のロールモデル・信じるものを持つ方が自分はよいのではないかと思う。

まえがき(著書ストロング本能)

経済も会社も信じられなくなったこれまでの常識すら。戦後作り上げられてきた社会のレールにただ乗っかっているだけではもう生きられない時代になった。

この世はもともとジャングルだ弱肉強食の荒野なのだ。どんな世界で僕らは何を信じれば良いのだろう?

信じるべきもの。それは本能だ。
生き延びようとする、生物としての強い本能だ。誰かに縛られることなんてない。

現代人は、動物としての本能が死んでいる。本能が働かなければ、誰かの犠牲となって終わりだけ。

さあ、今こそ本能を呼び覚ませ。運命に飼い慣らされた生き方を見つめ直す時は来た。あなただけにしかできない生き方へ。


「うるせえバカ、うんこくっとけ」人間関係・アイデンティティ問題

サラリーマンやビジネス系のメディアに取材される方の表現にしては、常軌を逸している部分があるかもしれない。でも、この言葉は実は多く人が抱きやすいコミュニケーションや人間関係の悩みを解消するヒントが隠された言葉なのだ。(本人曰く悩みの9割は解消する言葉らしい

一つ目は、「嫌われる=価値観が違う」ことに悩んでも、正解は出てこないということ。価値観が違う中でそれを押し付けてくる人・聖人のフリをして自分の価値観を曲げようとしてくる人に対して、弱みを見せて屈してはいけない。

価値観などはどちらが善悪とか白黒つかないものなのだから、分かりあえないなら仕方ないことだし、そこで無理に「正解」を生み出したり押し付けるとトラブルが起きる。

なので、「バランスよく付き合おう」「よく思われたいから、こうしよう」と考えて行動せずに、分かり合えない前提・嫌われても仕方ないという前提に立つと、摩擦もダメージも少なく済みます。

ある程度たったら、「おまえはそれでいいや」でサッパリ終わらせることが大事。

もしそれでもまだ人間関係が不安な方もいるかと思います。そんな方には、事前に自分の「旗」を立てておくことをお勧めします。

僕も、大学に入ってからサークルには所属せず学外比重高い生活でしたが、早い段階で事前に発信・さらけ出すことで、人間関係に一切にストレスなくやってこれています。

旗を立てる・事前に発信しておくことで、興味を持ってくれる人は自分に共感したり理解しようとしてくれる人なのでスムーズだし、事前に意思表明をしておくと偶発的な衝突が起きないので、ストレスフリーです。

二つ目は、関係性の着地点を「仲良くなること」に設定しないこと。

もちろん理解しあえたり仲良くなれたらそれに越したことはないのは言うまでもないです。でも、チームや仕事のメンバー間における関係性における着地点は「目的を達成する、いい結果を残す」で良いはず。

その着地の仕方をごちゃまぜにすると、組織とか単位が大きくなればなるほどややこしくなっていくもの。だから、どこまで自分が組織に何の機能を求めるのか。

友情なのか、仕事なのか、成長の場所なのか、セカンドプレイスなのか、安定の場所なのか見極めて、割り切れるかが大事。もし自分の意思表明にフォローしてくれる人がいたら、それだけで十分じゃないか。

そうすれば、必然と飲みニケーションや余計なパーソナルな部分に土足で踏みあがられることもないでしょう。ちゃんと、旗を立てておけば大丈夫。ちなみに自分は、気心知れたごく一部以外とは飲まない・奢ってもらわないは徹底してる。

「格闘技業界のためにも、ダメなやつは食えない業界のままでいい」好きを仕事に問題

こちらもだいぶ賛否両論分かれそうな言葉だ。ましてや、その業界のトップに位置する人間が言うとまるで強者の論理に聞こえるが、実はここにも「組織に依存せず自立していくべき」という青木真也の意図がある。

青木真也は早稲田大学の柔道部を退部し3年生時にプロデビューした。若干23歳でPRIDEという当時世界最高峰のリングで、大人気の大晦日中継もしていた団体と年俸800万円で契約する。も2年で運営会社が実質破綻。

後継団体のDREAMでは、団体の看板として年末中継のトリを務め世界王者に輝くも、リーマンショック・震災など厳しい状況で、未払いがつづきこちらも倒産。

身体能力的に脂がのった20代後半に、日本にメジャー格闘技団体が0という状況に陥る。多くの日本人格闘家が苦しむ中、新契約を結んだシンガポールのスタートアップ団体ベルトを獲得し、アジアでもトップクラスのファイトマネーを稼ぎ今に至る。

では、なぜ。こう思うのだろうか?

多くのほかの選手がバイトやサラリーマンをしながらこの時代を生き延びてきたが、そうした選手に欠如しているのは「欲の把握・整理」だという。

遊びに行くお金・時間などのリソースを練習だけに限定できていない時点で、自分が何をしたいのか、何を欲しているのかを把握していないので、欲やエネルギーがバラバラになってしまっているという。

貧しい業界でやっていくならば水も自販機じゃなく持参したり、すきま時間にちょっとしたトレーニングをしたり、時間やお金など限りある資源の矛先を徹底的に絞る気概が必要である。

貧しい業界でも食えないことはない。だから、「好きなことを仕事に」にはとてつもない気概と忍耐が必要になるということになる。なので、「好きを仕事に」は聞こえが良いけれども無責任な煽りでもある。

好きなことは「なりたい」じゃなくて、「なっていた」が正しいと青木さんはよく言う。「なりたい」という時点で、憧れや洗脳が入っている可能性が高いので一度疑うべきだと。

もし止られても制止を振り切って衝動的になってしまう、本能レベルで「いつのまにか、なってた」というのが「リアルに好きを仕事に」の意味だ。

だからこそ、小さな心の衝動とか・本能的な欲求に対してのアンテナ張って、蓋をしないようにしないと、好きな仕事を探してる人は見つからない気がする。(自分もまだクリアに好きと仕事については、とらえ切れていない。)

家庭よりも格闘技を選んで迎えた離婚後初のタイトルマッチで勝利した後の象徴的なマイクパフォーマンスがあるの。「36歳になって、家庭を壊して、好きなことやって。どうだお前ら、うらやましいだろ!」

それが好きなことであれば、家庭とか一般的な幸せよりも幸せを感じられるものだし、世間の評価とか気にせずに誇りを持って”やっちゃう”ぐらいのものが本当に「好き」で「やりたい」ことなんだろう。だから、格闘界を超えて同調圧力や世間体に苦しんでいる人たちの心を揺さぶったに違いない。

矢沢永吉が「いつの時代だってやるやつはやるし、やらないやつはやらない。」と言ってたけれど、実は「やっちゃう奴」が一番正しいのかもしれないと「好き」「やりたい」はあっても殻を今一歩破れてない自分は最近感じてる。


「俺は皇居の園遊会や国民栄誉賞を受け取ったらおしまい」将来のキャリア問題

彼は権威と寝ることを徹底的に避ける。

それは、彼の「大きくは儲けなくても、自分の”自由”な表現・活動は手放さない。」という信念があるからだ。(確かに長嶋茂雄がテレビでうんこくっとけていったら大惨事になる笑)

以下、著書「ストロング本能」より

僕に大義はないし大金持ちになろうと思っていません。このくらいでいいかなと言うラインが明確に自分の中にあるのです。

有名になりたくもありません。時間がなくなるとか、電車が乗れないとか、言いたいことが言えないとか、かけがえのない日常とトレードしてまで有名になりたくないのです。

何よりも自分の人生をかけて表現したいことを最優先したい。だから、ある程度でいいと思っているのです。

なので、どれくらい有名になるのかどれぐらい金持ちになるのかの明確な数値目標を設定しないと辛い状態がずっと続きます。

テレビの地上波に出るときに優等生的なコメントを求められることが多くありました。それが辛かったのです。

「この野郎」と思っていてもそういうのはやめてくださいと言われてしまう。やはり好きなことを言えて好きに揉められる方が生きていて面白い。

聞こえの良い言葉を発言してファンを増やすかそれとも自分の表現をし続けるか迷った時に僕は後者を選んだのです。そこでトレードはしたくない。結果的にその方が自分にとっても幸せなのです。

トレードオフの本質を理解するというのは、自分が欲しいものと失うものとのバランスをわきまえてないといきません。僕はある程度あればいい、これだけあれば良いと思ってやっています。そのラインを変えたらラッキーみたいな感覚です。

地上波のテレビに出ると爆発的に知名度が高まりますが開けられるスピードも早まります。僕はなるべく消費されたくないしカウンターカルチャーみたいに根付いたら強い、そんな存在になりたいと言うクリアな意思があります。

それこそがぶれない自分だけのモノサシでありこのモノサシが不安やストレスに負けないメンタルを作る糧になります。

自分の目標が明確だからぶれようがないんです。僕のルールは決まっている。多くの人はルールが曖昧で目的がはっきりしていないからぶれてしまうのです。

それらが決められない人や自分のモノサシが見えない人は、すべてのフィルターを一回外して自分の欲しいものを素直に書いてみること。そすれば、あとは逆算して組み立てていくだけだ。そして、それに必要のないものをミニマリストのように捨てていく。

もし悩んでいるならば、今がモノサシを見つけるチャンスだ。ぼくは、最低限生きるために食えるお金と格闘技の2つさえあれば他は何もいらない、だからここにいる。」

自分もこのモノサシがクリアになればなるほどゴールに近づくし、ストレスも減ってきた気がする。(もしクリアに出来なかったら、無職でベーシックインカムをいくら貰ったら、何をしていたいかを妄想するとイメージ湧くかも。)

「大丈夫、日本では死なないから。」生きる問題


このマインドあれば最強です、案ずることはなにもなくなる
将来の不安とかキャリアとかすべて忘れて、「なるようになるさ」と今だけを生きられるパンチライン。

まずは、日本ではいくら貧しくても何かしらで生き行ける可能性が転がっています。東南アジア・アフリカのスラム街や、アメリカのホームレス地区に行ったことがあれば、理解してくれるはず。

つまり、日本で殺されたり、明日食べるものが何も得られないとかはほぼないわけです。だから、あとは自分の欲(収入・環境・人間関係・面子などなど)をどうコントロールするかなだけだと。

それをうまくコントロールできれば高い志のエネルギーへと昇華できるし、それが把握しきれずに必要以上に期待・欲求するとしんどくなる。でも、それは自分次第だから、日本では「生存する」だけなら心配はいらないと思うと、自分なんかは割かし軽くなれる。

もうひとつ、青木さんならではの体験談に基づく話。先ほど言ったDREAMのファイトマネー未払い騒動の際に、最初は弱腰だった運営の「払えないものは払えない」という見事な逆ギレを目の当たりにし、「お金は持ってなければ取られない」をいう境地(?)に達したらしい。

だから、だいぶ過激で極論だけど「お金持ってなくても生きてはいけるし、お金を請求されても逃げられる」らしい。。。想像もつかないけど、社会ので生きるとこんな最終奥義があるのかと思ったものだ。しかも、大晦日の番組中継やっていたようなとこでもあるんだからね。

格闘技ってこの社会で普通に暮らしてたら思いつかないような発想を軽々と超えてくるから面白い。だから、格闘技はいつまでもHIPHOPとかの世界観で、お茶の間にウケるメインストリームにはならないし、それはそれでええじゃないか。

番外編「俺は松井珠理奈と寝れない」

これは青木真也が青木の所属するONE Championshipのオフィシャルサポーターである松井珠理奈と一緒に試合解説をした後の発言。
https://www.youtube.com/watch?v=vPyVZ9XB5wg

(可燃性も高くSNSで炎上しそうなワードだが松井珠理奈・48系のファンに叩かれていないということは、それだけ格闘技のパイとかリーチの少なさを物語っているともいえる。)

格闘技解説には地上波放送があった昔から藤原紀香、和香、おのののかなどタレント枠で起用されいる方も多く、サッカーで言ったら松木安太郎のような「歓声」に近い解説の場合が多い。

そして、その枠の松井珠理奈がそうした枠の起用ながらも、一般視聴者以上の目の付け所にや知識から、「リップサービスじゃない」「よく知ってる!」と他の解説していた格闘家や解説者から賛否が起きていた際に放ったのが、さっきの一言である。

なぜ、こう言い放っただろうか?なぜ、普通に「よく知ってますねー」と同調せずに波風が立ちそうな言葉を残したのか?

それは、あくまでも自分の存在価値・スタンスと、その席に呼ばれた理由・意味を分析した上での発言だったからだ。青木真也はファイターの精神状態から次に繰り出される技まで見事に言い当てる、知識・経験豊富で正確な解説で非常に有名である。

もしそうしたポジションに置かれた人間が、「格闘技よく知ってますね」と松井珠理奈への賛否に称賛してしまったら、そこにはリアルがなくなってしまう。また、自分のしたいこと・表現ができなくなることがならないように、そうした小さなことでもNOはNOと言う姿勢を大事にしているのだ。
自分の名前で活動したいのであれば実は一番大事なスタンスかもしれない

「それくらい、お世辞でも言えよ」とか「子供かよ」と思う方もいるかもしれないが、細部に神は宿るだ。小さなところ、無意識なところ、何気ないところでも、自分の声に蓋をしてしまうとそれが癖になる。

そうした「自分への素直さ」を失っていくと、自分の価値判断や善し悪しの基準となる「自分だけのモノサシ」が少しづつ狂ってしまう。自分の発言の自由やスタンスは崩さないぞって考えているのだろう。

ちなみに、もし青木真也が松井珠理奈に格闘技詳しいというと「お墨付き」を与えてしまうので、松井珠理奈も格闘技の技術論で他の解説者と同じ土俵に立たされてしまうことになる。したがって、青木流の一種の配慮でもあるとまで僕は解釈しましたが。


最後に

過去に対戦相手の腕を折り中指を立てた映像のインパクトが強く、過激で・野蛮で・傍若無人な言動をしているイっちゃってる格闘家に見えるかもしれない。

けれど、NOの声が大きい分、YESの声や愛情が深い人でもある。理解できなければそれでいいし、伝わる人には伝わるはずだ。

世界一売れてるラーメンがうまいんだったら、世界一うまいラーメンはカップラーメンだろ。ってのと同じだ。

なんとも有り難いことに、定期的に近況尋ねてもらったり、17も違う一介の大学生に「さん」づけでフラットに接して「助け合おうね、ファミリーだから」と言ってくれる37歳の大人は他にいない。

普通に考えてヘンだけど、ね。

コロナに負けず頑張っていきましょう。あるかわからない6月の試合にむけて、練習”やっちゃう”のでやってます。

*練習場が閉鎖されたので、もし他のジムで練習参加の声をかけていただけると非常に助かります。

共感してもらえてシェアといいねを、貰えると嬉しいです。

[この記事は、GO FIGHT CLUBの課題として書いたものです。]
本記事の発言・表現は、過去のインタビュー・記事・書籍に基づくものです。*指摘がございましたら、ご連絡ください。






















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