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俺が二十歳になった時に初めて存在を知った妹の話

知らなかった妹との再会

俺には9歳下の妹がいる。この事実を知ったのは、俺が二十歳になった時のことだった。人生の大半を、妹の存在すら知らずに過ごしてきたことを考えると、なんとも不思議な気分になる。どうしてこんなことになったのか。それは俺の両親が、俺が6歳の時に離婚したことに始まる。

離婚。その言葉は、幼い俺の世界を根底から覆した。それまで当たり前だと思っていた家族の形が、一瞬にして崩れ去ったのだ。俺は父親側に引き取られ、それ以来、母親とは音信不通となった。そして、知らぬ間に母は再婚し、新しい家族を持った。その家族の中で生まれたのが、俺の妹だったのだ。

俺と妹。同じ母から生まれた兄妹でありながら、父親が違う。なんとも複雑な関係だ。そして、俺はその妹の存在を二十年もの間、知らずにいた。考えてみれば、母との別れは俺にとって大きなトラウマだったのかもしれない。母のことを考えるたびに胸が痛くなり、そのうち考えないようにしていった。そうすることで、母の存在を自分の中から消し去ろうとしていたのかもしれない。

母が再婚し、妹を授かったのは、俺との別れがあまりにもショックだったからだと後に聞いた。俺と引き離されたことで、母は深い悲しみに沈んでいたという。その悲しみを埋めるために、再婚相手にお願いをして子供を授かることを決めたのだそうだ。妹は、ある意味で俺の代わりだったのかもしれない。そう考えると、妹の存在に複雑な感情が湧いてくる。

では、なぜ俺は二十歳になってようやく妹の存在を知ることになったのか。それは、俺が二十歳になった時に母親と再会することになった理由と深く関わっている。その再会のきっかけとなったのは、皮肉にも俺の失恋だった。高校入学直後からトータル4年半、付き合っていた彼女との別れ話がすべての始まりだったのだ。

今から二十数年前(まさか、もうそんなに経つのか...時の流れの速さに愕然とする)、俺は高校に入学したばかりだった。若さゆえの傲慢さからか、入学早々にこんなことを考えていた。「この学校で一番可愛い女の子を探そう」と。今思えば本当に恥ずかしい考えだが、当時の俺にとっては至って真剣な問題だったのだ。

その"ミッション"を遂行するため、俺は最初の三日間で学内の全クラスの女子を見て回った。今考えると本当に馬鹿げた行動だが、当時の俺は何の違和感も覚えずに、ごく自然に全学年全クラスの教室や部活動、課外授業などを見て回っていた。後で聞いた話だが、この行動が学校中の話題になっていたらしい。「1年生なのに、なぜか3年生の教室の前をうろちょろしている奴がいる」と。

当時の俺は、自分の行動がどれほど異様に映っていたかを全く理解していなかった。むしろ、自分の行動に何の問題もないと本気で思っていたのだから恐ろしい。しかも、この話は先生経由で聞いたのだから、生徒だけでなく教師陣の間でも話題になっていたということだ。今思えば恥ずかしさで顔から火が出そうだが、当時の俺は本当に何も気づいていなかった。ある意味、純粋だったのかもしれない。

そんな奇妙な行動の末、俺は自分にとって「一番可愛い」と思える女の子を見つけた。そして驚くべきことに、入学してわずか2週間で彼女と付き合うことになったのだ。今考えると、あまりにも性急だったと反省せざるを得ない。しかし、当時の俺たちにとっては、それが自然な流れだったのだ。

ただ、問題はそこから始まった。俺たちの高校は、校則がとても厳しいことで有名だった。そんな学校で、入学早々に恋人ができたというのは、かなり目立つ存在だったに違いない。当然のことながら、先生たちの目が厳しくなった。

もちろん、俺たちは校内でいちゃついたりすることはなかった。しかし、それでも二人で歩いているだけで、先生たちの視線を感じた。まるで「何かしでかすんじゃないか」と言わんばかりのまなざしだった。食堂で二人で昼食を食べていても、「別の場所で食べなさい」と言われることもあった。今思えば、先生たちも生徒たちへの影響を考えて、そう言ったのだろう。しかし、当時の俺たちには、それが過剰な干渉にしか思えなかった。

若さゆえか、そうした警告を受ければ受けるほど、俺たちは反発心を強めていった。「俺たちはただ普通の交際をしているだけなのに、これによって悪い影響を受けるなんて言っている周りの連中の方がおかしいんじゃないか」そんな風に考えるようになっていった。その結果、クラスメイトからも少しずつ孤立していったのだ。

とはいえ、全く友達がいなかったわけではない。むしろ、今思えば男子よりも女子の方が友達は多かったかもしれない。女の子の方が早熟で、恋愛に関しては男子よりも寛容だったのかもしれない。一方で、先生たちの反応は予想以上に敏感だった。今になって思えば、彼らは自分たちの学生時代の経験や、教師としての責任感から、そのような態度を取っていたのかもしれない。しかし当時の俺には、彼らが十分な恋愛経験を積んでいないような人たちにしか見えなかった。

そんな状況の中、俺の高校生活はほとんどの時間を彼女と過ごすことになった。今振り返ると、高校時代の思い出といえば彼女との思い出しかない。きっと他にも色々な出来事があったはずなのに、ほとんど記憶に残っていない。それほど彼女との時間が、俺の高校生活のすべてだったのだ。

そして16歳の時、俺はアメリカに渡ることになった。これにより、俺たちの関係は否応なしに遠距離恋愛となった。当時はインターネットもメールもない時代。国際電話は高額で、気軽にかけられるものではなかった。日本に一時帰国しても、滞在期間は1週間もない。そして3ヶ月に1回程度しか帰国できなかった。

そんな状況で、彼女と家族以外の人間と連絡を取る余裕などなかった。友人たちとの関係は自然と疎遠になっていった。今思えば、もう少し友人関係を大切にすべきだったのかもしれない。しかし当時の俺には、彼女との関係を維持することで精一杯だったのだ。

そして、運命の日がやってきた。彼女が高校を卒業して就職し、1年が経った夏のことだった。いつものように1週間に1回、日本への国際電話をかけた。まず家族と10分ほど話し、次に彼女への電話をかけた。これが日課だった。

普段なら、まず俺からこの1週間であった出来事を話し、次に彼女が近況を話すという順番だった。しかし、この日は様子が違った。彼女の声に、どこか歯切れの悪さを感じた。近況を話そうとしない。何か隠していることは明らかだった。

「バーベキューに行った」と彼女は言った。

「誰と?」俺は聞いた。

「友達と」

「友達って誰?会社の人たち?」

「まあ会社の人たちもいた」

「会社の人達以外もいたってこと?」

「うん、まあいたよ」

こんな感じで会話が続いた。普段なら場所も一緒にいた人たちの名前も詳細に話してくれるのに、この日は違った。何かがおかしかった。そして、彼女は唐突にこう言った。

「気になる人がいる」

この一言で、俺の世界は一瞬にして崩れ去った。今まで、俺以外の男はみんな気持ち悪いとまで言っていた彼女が、突然こんなことを言い出したのだ。動揺を隠せなかった。

「それは好きだということか?」声が震えていた。

「分からない」彼女の答えは曖昧だった。

本能的に、これはまずいと感じた。受話器を持つ手が震えていた。自分の声も震えているのが分かった。当時のルームメイトは、俺の様子を見て明らかに異変に気づいたと後で言っていた。それほど、俺の動揺は激しかったのだ。

「ちょっと待って、それはもう何か関係が始まっているということ?」必死の思いで聞いた。

「うん..」彼女の答えは、俺の最悪の予感を現実のものとした。

その瞬間、まるで瞼の上のおでこにレンガが落ちてきたかのような衝撃を感じた。これが本当のショックというものなのか。頭を殴られたような強烈な痛みを感じた。初めて経験する感情だった。

頭の中は真っ白になり、何も考えられなくなった。ただ、今すぐ日本に帰らなければならないという思いだけが強くなっていった。しかし、現実はそう簡単ではない。当時の俺はL.A.近郊、カリフォルニア州ノースハリウッドのスタジオシティに住んでいた。仕事のスケジュールはびっしりと埋まっている。どうすればいいのか。何をすればいいのか。完全に混乱していた。

体は力が入らず、わなわなと震えていた。強い不安と焦りで、まともに立っていられないほどだった。それでも、なんとか言葉を絞り出した。

「とりあえず今から日本に帰るから、俺が着くまでそいつとはもう会うな」

しかし、彼女の反応は予想外だった。

「だめだよ、帰ってきちゃだめ」

「いや帰るから、だからそれまで絶対に会うなよ」

「ダメだって!本当に大丈夫だから」

彼女の言葉に、さらに混乱が深まった。なぜ帰ってくるなと言うのか。その時の俺は、きっとその男は俺がアメリカにいて、ちょっとやそっとでは日本に帰ってこないと思って、つけあがっているに違いないと考えていた。だから、いざという時には日本に帰ることも厭わないという姿勢を見せることで、想いでは勝っているということを示せると思っていた。今思えば、なんと幼稚で甘い考えだったことか。

電話を切った後、俺は急に立ち上がり、身の回りのものを整理し始めた。トランクやバッグに荷物を詰め始める俺を見て、チームのメンバーが状況を察したのか声をかけてきた。

「荷物は全部持って帰るんじゃない。必要なものだけ持って帰れ。そして気持ちの整理がついたらまたすぐに戻って来い」

「...分かった」と俺は答えたが、本当に分かっていたかどうかは怪しい。

「そして絶対に殴るんじゃないぞ。お前はまだ殴り方をよく分かっていない。そんな状態でもし殴りでもしたら、怪我をしてお前の手は使い物にならなくなってしまうぞ。」

チームメンバーの忠告は今思うとありがたかったが、当時の俺にはその意味が十分に理解できていなかった。もしかするともう二度とここには帰ってこないかもと思い、荷物をすべてまとめて持って帰ることにした。

そして親父に電話をした。急遽日本に帰ってもいいか確認するためだ。当時、日本行きのチケットは今とは比べものにならないほど高かった。手持ちの現金では到底まかなえない。だから親父に頼るしかなかった。

「ごめん、ちょっと頼みがある」震える声で言った。

「どうした」親父の声は冷静だった。

「急遽日本に帰りたいんだ。フライトチケットを取りたいんだけど買ってくれないかな」

「分かった、どの便だ」

親父は何の理由も聞かなかった。普段、俺が親父に何かをお願いすることなどなかったから、よほどの理由があるのだろうと察したのだと、後に親父は語ってくれた。そして購入できるフライトチケットの中で最も早く帰れるものを手配してくれた。ロサンゼルス空港から日本への直行便だった。

親父が取ってくれたフライトは大韓航空だった。当時の大韓航空は、今とは比べものにならないほど揺れが激しかった。まるで遊園地のアトラクションのような揺れと落下を繰り返す。しかし、これは単なるアトラクションではない。リアリティがある。間違えば本当に死んでしまう。ガタガタガタガタと揺れ、そして3秒ほど落下する。この3秒という時間が、異常に長く感じられた。

機内のあらゆる場所から女性の悲鳴が聞こえた。しかし不思議なことに、俺は恐怖を感じなかった。むしろ、このまま墜落してニュースにでもなれば、彼女やあの男が後悔に苛まれるのではないか、などと考えていた。今思えば、なんて自己中心的で幼稚な考えだったことか。

9時間のフライトの間、ずっと同じ曲をリピートして聞いていた。今はもう絶版になってしまって手に入らない曲だ。この10年以上、その曲を聞くことはなかった。当時はCDプレーヤーで、途中で乾電池を交換した記憶がある。

フライト中、頭の中はぐるぐると同じことを考え続けていた。その男の顔を見たら何を言ってやろうか。そもそも一体どういう男なのか。何の仕事をしているのか。どうやって知り合ったのか。どうしてそういう関係になったのか。疑問は尽きなかったが、機内のあの状況では何の答えも見つからなかった。

エコノミークラスの狭い座席の中で、ただただ小さくなって日本に到着するのを待った。普段なら座席に座った瞬間に眠りについてしまう俺だったが、この時ばかりは一睡もできなかった。

日本に着いてすぐに自宅に戻り、家の電話から彼女のPHSに電話をかけた。留守番電話に「今から会えないか」というメッセージを残した。すぐに折り返しの電話がかかってきて、仕事が終わった後なら大丈夫だと言ってきた。

とりあえずまず二人で話そうと伝えた。会う場所は近くのスーパーの駐車場を指定してきた。彼女が車で通勤しているからだという。なぜ俺の家じゃないんだ?と思ったが、その疑問はすぐに解けることになる。

待ち合わせの時間になり、彼女は車でやってきた。スーパーの広い駐車場の隅っこに車を停めた。周りには何もない空間ができた。そして、俺は少しずつ事情を確認するために質問を始めた。

まず相手の男の年齢を聞いた。29歳だという。俺と同級生だった彼女と比べると9歳も年上だ。仕事はPCの販売員だと言う。知り合ったきっかけは、職場の新年会の2次会に、先輩社員の友達として合流してきたのがきっかけだったそうだ。

彼女の話によると、第一印象は俺と似ている雰囲気があったという。しかし、話していくうちにその印象はかなり変わったらしい。そして色々な話をする中で、向こうが彼氏である俺のことを色々聞いてきたという。それに答えているうちに、いつの間にか相談をするようになっていったそうだ。

この辺りまで聞いた時点で、俺の中では怒りが沸々と湧いてきていた。しかし、ぐっと堪えてさらに質問を続けた。

そこから複数人で会うようになり、そして次第に二人きりで会うようになったという。そして、ついには車で泊まりのデートに行くまでになったらしい。最初は車中泊だったという。そしてそれから何度も泊まりがけでデートに行ったと言う。

俺との関係では、高校生だったこともあり、彼女の親が反対するからという理由で泊まりのデートは禁止されていた。それでも嘘をついてまで行ったのは、たった2回だけだった。それを思うと、またしても腹が立った。

当時の俺は、自分が食っていくのがやっとの状態で、彼女とのデートにもお金をかけられなかった。一方で、相手の男は29歳の独身。少なくとも当時の俺よりは稼ぎがあったはずだ。その時に悔しいというより、卑怯だと思った。恋人が夢を追ってアメリカに行った、遠距離で近くにいない状態を狙ったハイエナのようなやつだと思った。なんてダサいんだと。そして当時貧乏だった二十歳の俺にはできない戦法で攻めていたんだなと。

そして二人きりで話しているうちに、罪悪感からか徐々に彼女の瞳は涙で潤んできた。それは本当に罪悪感からなのか、それとも別の感情からなのか、今となっては分からない。もしかすると、この時点で彼女の気持ちは固まっていたのかもしれない。

こればかりは今となっては確かめようがないが、もうこれ以上質問するのはやめようと思い、「もういいよ」と一旦話を終わらせた。

「でも、帰ってきてくれて嬉しかった」彼女はそう言った。

「いやこの状況なら帰ってくるだろ」俺は冷たく返した。

「仕事は大丈夫なの?」

「いや全く大丈夫じゃないと思う。分からない。でももうそんなことはどっちでもいい」

久しぶりに会ったというのに、どうでもいい雑談さえ思い浮かばなかった。質問を終えた後はかなり長い沈黙が続いたと思う。もしかすると、実際にはそれほど長くなかったのかもしれない。気分が滅入っている時は、短い時間でも長く感じるし、何も考えられない時は、長い時間でも短く感じる。あの時は気分が滅入っている上に何も考えられなかった。だからどっちなのか分からない。

その沈黙を破ったのは、一台の白いワゴン車だった。彼女の車のすぐ隣に止まり、そこから降りてきた男を見た瞬間、俺は直感的に分かった。色黒で細めの面長の男。29歳のその男だ。俺から彼女を奪おうとしているその男である。

男は車から降りるなり、いきなり彼女の方を向いた。そして、下の名前で呼び捨てで「大丈夫だったか」と声をかけた。その態度は、もうすでに彼氏然としていた。その瞬間、俺の中で何かが切れた。

「だめだ、こいつは殴らなきゃ」そう思い、殴りかかろうとした瞬間、彼女が「手だけは絶対に出さないで!」と大声で叫んだ。その声に、わずかに理性が戻った。

じりじりと歩み寄り、手が届くギリギリの距離まで近づいた。すると男が口を開いた。

「殴りたいのか?殴ればいいよ。きっと力じゃ負けるだろうな俺は」

その言葉に、さらに頭に血が上った。しかし、何とか自制心を保ち、ただ黙って男を睨みつけた。そして、やっとの思いで言葉を絞り出した。

「あんた恥ずかしくないのか?遠距離で彼氏が不在中の女に手を出すなんて姑息な手を使って、あんたはよっぽど臆病なんだな」

すると男は、意外にも冷静に返してきた。

「お前の話は聞いている。お前の方こそ彼女を悲しませてるじゃないか。お前が不在の間、寂しがっている彼女を支えていたのは俺だ」

その言葉に、さらに怒りが込み上げてきた。「いやだからそれが姑息なんだよ、寂しい心の隙間を狙った姑息な戦法なんだよ」そう心の中で叫んでいた。「てめえ自分が姑息だってことに気づいてないの?29にもなってそんなこと気づかないなんてことはないよね?」

しかし、その言葉を口に出すことはできなかった。なぜだろうか。別に口にしてもよかったはずだ。しかし、なぜかその時は言えなかった。言ってしまったら自分もかっこ悪い奴になり下がってしまうと思ったのかもしれない。

そして、俺は男に向かって言った。

「ちょっと外してくれ。彼女と二人にさせてくれ」

男は少し躊躇したが、最終的には離れていった。

俺は彼女と話し合いをつけようとした。しかし、その瞬間、予想外の展開が起こった。彼女が急に男の方に擦り寄っていったのだ。男が縁石の上にへたり込んでしまったのを見て、彼女は男の元へ駆け寄った。

男は座り込んで泣き出してしまった。「めちゃくちゃダサくないか?」「やっぱりやめとけよあんなやつ」「男のくせに人前で泣いちゃうようなやつだぜ」心の中でそう叫んでいた。しかし、彼女の行動は俺の予想を完全に裏切るものだった。

「泣かないで、大丈夫だから」

彼女は男の肩を抱き寄せ、優しく声をかけた。

その瞬間、俺の中で何かが崩れ落ちた。その光景を目の当たりにして、俺は悟った。もうここに俺の居場所はないのだと。もうすでにここに俺が入る余地はないのだと。彼女の中にはすでにあの男がいて、あの男との未来がすでに始まっているのだと。

この瞬間、俺たちの関係は終わったのだと、俺は心の中で静かに認めた。

その場を立ち去ろうとした時、偶然にも地元の同級生に出くわした。後で聞いた話だが、その同級生は駐車場での一部始終を見ていたらしい。

「どうした?大丈夫か?」と声をかけてきてくれた。

俺は、まるで堰を切ったかのように、一部始終を話し始めた。愚痴るような、そんな調子だった。その同級生は、俺の話を聞きながら一緒になってその男のことを悪く言ってくれた。しかし、それ以上に俺のことを心配してくれていた。

そして、その同級生が不思議そうな顔で聞いてきた。「なぜ今日本にいるんだ?」と。

その質問に、俺は答えられなかった。なぜなら、自分でもよく分からなかったからだ。

その友人と別れた後、一人で家に帰る途中、様々な考えが頭の中を駆け巡った。

俺が16歳でアメリカに行ったのは、彼氏として自慢できるような、そんな存在になりたかったからだ。彼女を幸せにさせるための方法として選んだ道だった。しかし、今こうして別れてしまったら、何のためにアメリカに行ったのか分からなくなってしまう。

もうアメリカに行く理由など、どこにもないんじゃないか。彼女のためと思ってアメリカに行ったことが、結果的に別れる原因になってしまった。これじゃあ本末転倒だ。

あの男は、ごく普通の男だ。何の取り柄もなさそうな、ありふれたサラリーマンじゃないか。結局のところ、そばにいて寂しさを紛らわせてくれる人間がいいのか。

俺は、あの男のような普通のサラリーマンが結婚相手になるなんて、彼女は自慢できないだろうなと思っていた。人と違う人生を歩む人間が結婚相手なら、彼女も誇らしく思えるだろうと考えていた。そんな思いでアメリカに行ったはずだった。

もういい、アメリカに戻ったってしょうがない。もうやめよう。もう全てを投げ出したい。そんな思いが、どんどん強くなっていった。

迷いや後悔ばかりが頭の中を巡り、答えの出ない自問自答を繰り返す帰り道。外は真っ暗で、その暗さが余計に、自分の頭の中で巡り続ける考えを強めているようだった。

家に着くと、遅い時間にも関わらず、親父が起きてダイニングでテレビを見ていた。そして、まるで何事もなかったかのように、「アメリカはどうだ?」と話しかけてきた。

親父の問いかけに、俺はとりあえず一通りたわいもない話をした。しかし、あまりにも親父が俺の帰国の理由を聞かないので、俺の方が痺れを切らして自分から説明し始めた。

ところが、その説明をしている最中に、突然自分が情けなくなってきた。なぜなら、俺の親父は、俺が6歳の時に離婚をしているのだ。そして、その離婚の形が、他に男を作って逃げられた、というものだったことを思い出したからだ。

そんな過去を持つ親父の前で、自分の恋愛の失敗を話していることが、急に恥ずかしくなった。なんてくだらない理由で自分の夢をアメリカに置いてきて、日本にのこのこと帰ってきているんだ、と自分を責めずにはいられなかった。

「今の俺の気分に比べたら、当時の親父はもっとつらかっただろうな」思わずそう口にした。

親父は少し間を置いて、「まあわしも未だに女の気持ちは分からんからな」と言った。その言葉に、親父の中にもまだ癒えない傷があることを感じた。

「母親はどんな気持ちだったんだろうな」俺は、ほとんど無意識のうちにそう呟いた。

すると、予想外の言葉が返ってきた。「そう思うなら直接本人に聞いてみるか?」

親父がこんな風に母親のことを口にするなんて、俺は思ってもみなかった。驚きのあまり、一瞬言葉を失った。

両親が離婚してから、母親に関することは完全なタブーになっていた。俺は父親に引き取られたため、父親側の親族は母親のことを酷く悪く言っていた。当時の俺はまだ子供だったため、大人の言うことをそのまま鵜呑みにし、母親が悪い存在なんだと思い込まされていた。

家にあった母親の写真は全て姿を消し、母親のことを口にすることすらなくなった。離婚してから1年ほど経った頃だったと思う。家に電話がかかってきて、受話器から聞こえた「...わかる?」という女性の声が、すぐに母親だとわかった。しかし、なぜか急に怖くなって電話を切ってしまった。そばにいた家族に「誰からだ?」と聞かれ、間違い電話だったと嘘をついた。

それ以来、母親に関しては自分の中で触れてはいけない領域となり、その存在すらも忘れようとしていた。両親が離婚してからというもの、父親は俺と弟を親戚や友人の家に預けるようになり、俺たちはいろんなところを転々と、たらい回しにされる生活を強いられた。

行く先々で、大抵同年代の子供がいる家に預けられた。その家の子供たちは、何の遠慮もなく「何々が食べたい」「飲みたい」などと言って冷蔵庫を開けたり、わがままを言ったりしていた。しかし、俺たちにはそんなことはできなかった。

小学生だった俺たちは、大人よりも早く寝かしつけられることが多かった。しかし、本当に寝ていたわけではなく、大人たちが話している会話を聞いてしまうことがよくあった。

「いつになったら兄貴は子供をちゃんと引き取って育てるんだ」

「いくら仕事が忙しいと言っても公務員なんだからこんな夜遅くまで働くなんてことないだろう」

「どうせ飲み歩いてるんじゃないの」

「上の子は聞き分けがいいけど、下の子はちょっと手がかかるから預かるのは嫌だな」

そんな会話を聞くたびに、居場所のなさを痛感した。どこに預けられても肩身が狭く、弟がまだ小さかったため状況を理解できず、言うことを聞かない時も多かった。その度に「言うことを聞かないと俺とお前は離れ離れになるぞ」と、弟を叱りつけたこともある。しかし、そんなことを言ったところで、すぐに聞き分けが良くなるわけもない。

聞き分けの良くならない弟に対して「何で言うこと聞かないんだ」と、悔しさを感じることも多かった。小学校3年生になると、さすがに我慢の限界を感じた俺は、親父に「家に帰ってこなくてもいいから、家で勝手に過ごすようにする」と話をした。それで、ようやく親戚中をたらい回しにされる生活から解放された。

こういう境遇になってしまったのは母親のせいなんだと思うこともあった。しかし、親戚中があれほどまでに悪く言うほどには、母親は悪くはないんじじゃないかとも思っていた。あの優しかった母親が、俺たちを置いて出て行くという心変わりをするということに、人の気持ちというのは簡単に変わってしまうんだな、と感じた。それは、人間の心の不安定さに対する一種の免疫を与えてくれたのかもしれない。

そんな俺の中の大きなタブーであった母親に関して、まさか父親の方からそのきっかけを渡してくるとは思ってもみなかった。

「お前ももう二十歳だ。自らの意思で母親に会う権利がある。もし会いたいなら会わせてやろう」

その言葉に、俺は言葉を失った。長い沈黙の後、やっとの思いで「会いたい」と答えた。

そして翌日の昼過ぎ、俺は母親と会うことになった。待ち合わせ場所に向かう途中、様々な感情が入り混じっていた。不安、期待、怒り、そして何よりも、強い好奇心。母親は今どんな顔をしているのだろうか。俺のことを覚えているだろうか。

待ち合わせ場所に着いてみると、意外なことに母親は近くに住んでいたようだった。俺はてっきり、とんでもなく遠くに行ってしまったか、あるいはもう生きていないのではないかとさえ思っていた。だから、ずっと近くに住んでいたということに驚いた。

そして、さらに驚くべき事実を知ることになる。実は離婚してから現在までの間、節目節目で撮る記念写真や、新聞や雑誌に載った記事、テレビに出た録画のテープなど、親父の方から俺の近況を母親に伝えていたらしい。だから、大体は俺が何をしているか知っているという。俺がアメリカに行ったことも知っていたし、直前に掲載されたニューヨークの新聞も渡してあったそうだ。

俺の知らないところで、母親は俺のことをずっと見守り、応援してくれていたのだ。このことを知った時、胸の中に複雑な感情が湧き上がってきた。

待ち合わせ場所は、カントリー風のステーキハウスのようなレストランだった。母親は先に座って待っていた。遠目から俺を見た瞬間、母親の目から涙がボロボロとこぼれ落ちた。

「もう二度と会えないと思っていたの」母親は涙ながらに言った。「二度と会えない辛さを味わって生きていくんだと思っていた」

そして、俺から会いたいと言ってくれたことに対して、嬉しさと申し訳なさが入り混じった表情を見せた。そして、俺の人生に大きな影響を与える事実を告げた。

「あなたには妹がいるのよ」

この言葉に、俺は言葉を失った。妹?俺に妹がいるだって?頭の中が真っ白になった。

母親の説明によると、その妹は生まれた時から母親から俺の存在を聞かされていたという。一生会うことはないかもしれない兄の存在を知って、妹はどんな気持ちだったのだろうか。俺には想像もつかなかった。

そして、母親は正直に語った。妹を産んだのは、俺と離れ離れになった寂しさを埋めるためだったと。その言葉を聞いた時、俺は複雑な感情に襲われた。一方で、「彼女のためにアメリカに行った」などと言っていた自分が、ますます恥ずかしく思えてきた。

この時、俺は大きな決心をした。もう誰かのためにと夢を語って生きていくのはやめようと。自分のために夢を持って生きていこうと。俺が何かを目指し行動することによって、誰かの勇気になったり心の支えになったりするのはいいが、誰かのために夢を追いかけてしまったら、その誰かがいなくなった時に、俺はその夢を諦めることをその誰かのせいにしてしまうだろう。

今回は彼女のせいにしてしまうところだった。だからもう誰かのせいにするのはやめようと決めた。

その日の夜、俺は親父に告げた。

「アメリカに戻るよ」

親父は淡々と答えた。「じゃあチケットは探しとく」

そして4日後のチケットが取れた。それまでの間、親父や地元の友人が交代で俺のそばにいてくれた。俺の気分を紛らわすために、様々な話をしてくれた。

フライトの前日、俺は彼女に電話をした。

「俺のことはいいから、好きな人の所に行けばいい」

「ありがとう。頑張ってね。応援してる」

彼女は俺からのその言葉を待っていたかのようだった。やっぱりそうだったんだ。これで良かったんだ。そう思いながらも、胸の奥で何かが痛んだ。

しかし、同時に不安も襲ってきた。仕事をほっぽりだして日本に帰ってきたこと。これからどうなるのだろうか。

アメリカに戻ると、チームメンバーは俺が不在で穴を開けてしまっていた分を、必死にカバーしてくれていた。本来なら怒られるべきは俺のはずなのに、現場にいたチームのメンバー達がこっぴどく怒られる羽目になってしまっていた。それでも、俺が帰ってきた時は、無事に帰ってきたことを心から喜んでくれた。

初めて妹の存在を知った時、妹はまだ小学校3年生だった。小さく、可愛らしい存在だったに違いない。そんな妹も今は1児の母となっている。今でもその事実に慣れない。こないだも久しぶりに再会したが、もうすっかりママの顔つきになっていた。

しかし、妹は今も変わらず「お兄ちゃんはかっこいいから」と言ってくる。妹の旦那さんの前でそんなことを言われると、少し気まずい感じになる。旦那さんは俺とは全く違うタイプで、世の中にはいろんな人がいるものだなと思う。

そして別れ際に言った妹の一言。


「お兄ちゃんも幸せにね」


きっと幸せそうに見えなかったのかな。

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