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私はなぜ介護業界で19年も働いているのか?

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気が付けば19年、どっぷりと介護業界に浸かっている男の物語です。業界の表と裏をわかりやすくお伝えできたらと思います。
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極悪人では無い【7】

極悪人では無い【7】

さて、お局にかなり文字数を費やしてしまった。
最後に、お局の名誉の為に言っておく。あの人は極悪人では無かった。自分の信念の為、利用者の為、信じた道を進んでいく過程で生じた些細なインシデントに過ぎない。おそらくあの人の認識ではそうだったと思う。

結果的に、あの人の背中から学ばせてもらった。「早く」「正確に」「丁寧に」...あの人の仕事への姿勢から学ぶ事は多かった。

ただ言うまでも無く、反面教師と

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お局のプロフィール【6】

お局のプロフィール【6】

お局のプロフィールについて記す事を忘れていた。年齢は40歳代。女性。既婚者で子供もいる。性格は真面目。普段は比較的陽気な人。仕事に関してはストイックが過ぎる。もはや異常。表情はずっと憤怒。物事を自分の物差しでしか測る事が出来ない。自分の仕事レベルを他人にも押し付ける...etc

例えば、何床もリネン交換を実施した後に、シーツにシワがあると言う理由で全て剥がされる。百歩譲って、利用者に指摘される様

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お局と泉前明石市長の共通点【5】

お局と泉前明石市長の共通点【5】

面接なんてものは落ちてなんぼだと思っていた。それが1発で合格。これは私の人生で無かった事。これはただ事ではない。運命の職場なのか?大袈裟ではなくそう思った。

が、その考えはすぐに打ちひしがれた。私の思い描いていた特養ではなかった。いや、特養という環境は思っていた通りの所だった。

つまり、働いている職員に難があった。特に、お局がヤバかった。もう激ヤバ。逆に言うと、その人以外は良い人が多かったまで

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施設長と面接【4】

施設長と面接【4】

特養の面接で通されたのは施設長室だった。毎度の事ながら面接は緊張する。

特に、面接の合格率が低い事を自覚していた私は、事前に、軽く面接の脳内シミュレーションをやってみた。その時、意外にも比較的スムーズに合格する姿が見えた。何の根拠も無かったが少し安心した。

とにかく、何とかこの面接1回で受かりたいと思っていた。ようやく念願のヘルパー資格を取得し「さあ働くぞ」とやる気スイッチが押されている状況の

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就職希望は特別養護老人ホーム【3】

就職希望は特別養護老人ホーム【3】

就職希望先は特別養護老人ホームと決めていた。養成校では「若い人はまず特養で勉強するべき」という風潮があった。若い時に、体力的にキツイと言われている特養で技術を学び、実務経験を積む事が正解だと刷り込まれていた。

※特別養護老人ホーム(略して特養)、介護保険的には介護老人福祉施設と言う。簡単に言えば、要介護者の終の住処。基本的に要介護3以上の方が入所の対象で、それ故に食事、入浴、排泄の3大介護が重介

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私は養成所何期生?【2】

私は養成所何期生?【2】

ヘルパー養成校の課程が全て終わった時点で、ヘルパー2級を取得する事が出来た。

文章で書くと余りにもあっけないが、半年間介護について一生懸命学んだつもりにはなっていた。

とにかく早く資格を取得して働きたかった。早く働きたいが故に、養成校で勉強中に「無資格でもOK」と謳われたガイドヘルパーの募集に応募してみたが、あえなく面接で落とされた。

思えばあれは今でも納得がいかない面接だった。「無資格でも

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私はなぜ介護業界で19年も働いているのか?【1】

短大を卒業し、フリーターを経てめでたく特別養護老人ホームに入職したのが今から約19年前。

根を上げずに1年働けるかどうかすら、自分でも全く予測出来なかったが、まさか19年も継続してこの業界に腰を据えているとは、その時夢にも思わなかった。

当時、2000年に介護保険が制定され手探りで新しい介護時代が始まった。私はその4年後の2004年からこの業界に足を踏み入れた。

今はもう存在しないが、その頃

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