寺田の「人生ってなんだ?」その3:「最悪な人生」ってなんだ?
どーも!寺田です。
いやあ、本格的に寒くなってきました。我が家ではこたつを出し、そして僕は夜に焼酎を飲んで暖を取っています。…というか、今年があと1ヶ月ちょっとなんて…いやはや…仰天しております。
さて、第3回のテーマは「最悪な人生ってなんだ?」です。
僕は、最悪な人生とは何かを具体的にイメージした時にこそ、逆説的に、最高の人生が浮かび上がってくるのではないかという仮説を立てたのです。そして、今回はそれを証明していく回になりそうです(!)
僕は人生の幸福や不幸について考える時はよく、学生時代に読んだヴィクトール・フランクルの『夜と霧』のことを思い出します。
『夜と霧』とは、簡単に言えば、アウシュビッツ収容所での日常が、実際に当時の被収容者であったフランクルの視点から書かれた本です。歴史的名著なので、読んでない人は読むことを強くお勧めします。(これは決して〝教養の強要〟ではなく、僕が実際に読んで力を貰えたから申しておりますので悪しからず!)
栄養不足でガリガリになり、ずっと寒さに凍え続け、いつ処刑されるかも分からないという、誇張ではなく死ぬほど絶望的な状況下でも、人間はその想像力で、神に祈ることもできるし、好きな人を想うこともできるし、そうしてそこから、小さな自由や幸福を感じることができる。
僕は『夜と霧』は、人間の想像力の究極的な部分が語られている本だと思っています。
特に、アウシュビッツ収容所で苦しんでいた人々は、最悪な人生だったのか?と考えた時にーー我々からすると、客観的に見て、どう考えても最悪な人生に思えます。しかし『夜と霧』の読了後に、そうとは言い切れるなくなってくるところがポイントなのです。
現代に目を向けてみましょう。暖かい屋根の下で、そこそこ美味しいご飯を食べることができても、死にそうなほど辛い人生を送る人間もいます。
現代はモノはあっても物語が無い時代だと言われて久しいですが、僕は余計なモノ(や情報)ばかり溢れているわりに、肝心なところが掴めなくて人々は苦しんでいると思うのです。
なぜ平和な現代でも、「最悪な人生」は生まれてしまうのか?それは、幸福や不幸は、人間の想像力(イマジネーション)の問題だからです。
世界そのものは希望も絶望も抱いてもおらず、無意味に、ただそこにあります。宇宙も山も海も絶望しません。それらには意味はありません。
一方で、人間はそのような世界に意味を見い出し、勝手に希望を抱いたり、勝手に絶望したりを繰り返します。
そうしてある種、自分で自分の首を絞め続けるのが、人間の本質なんじゃないかと僕は思っています。(なんだか諦めたような言い方になりすいません)
では再び話を本筋に戻し、「最悪な人生」とは何かについて考えてみましょう。
僕が思う最悪な人生とは、自分がやっていることを、これは意味ないんじゃないかとか、あるいは自分を、生きててもしょうがないんじゃないかとか、そういう風に否定しながら生きる人生だと思います。つまり、自己否定的な人生です。
そもそも根本的に考えれば、人間が今やっていることが正しいのか、間違っているのかは、後になってみなければ分かりませんし、場合によっては後になっても分からず、評価が二転三転することだってあります。だって、基本的に戦争中なんかは誰もが自分たちは正義の戦争をやっていると思っているわけでしょう。
神に比べればどこまでも不完全な人間が、人間を正しく裁けるわけがありません。自分のことを否定することも、ある意味では自分を裁いていることになります。人間のくせに、おこがましいことをしてるのです。
だから極論、人間がやるべきことは、自分を否定することではなく、肯定することだと思うのです。
しかし、じゃあなんでもアリか?人を殺しても良いのか?というわけではありません。これも難しい問題ですが、とにかく僕が言いたいのは、ある種、そう簡単には白黒つけずに、グレーゾーンで考え続ける必要があるんじゃないかということです。
自分はスゴい人間だ、とか、自分はサイテーな人間だ、とか、そうやって自分を全人格的に評価してしまうのでは無く、自分はスゴイところもあるし、サイテーなところもある。じゃあ自分ってどっちなんやろか?くらいのところでエポケー(フッサール的な意味です。ざっくり言えば、判断を保留、といったところ)しつつ、そのことについてよく考え続ける。
そして、その、「よく考え続ける自分」という姿勢を、肯定の対象にするのが良いと思うのです。
そう。そこでようやく、理性的に、自己を肯定するのです。
自分はダメだー!とか、自分ってスゲー!とか、そのような条件反射、感情的な自己評価に一喜一憂するのではなく、ある種の、継続した態度を肯定する。自己観察している自分、生きた考える葦である自分というものを肯定する。そんな感じのニュアンスでしょうか。
もしかしたら、そうやって生きていけば、最悪な人生から逃れられるかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?