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ひとり親パパと娘のふたりきりな日常の話 その10

こんちわ。
東京で映像クリエイターをしている
1児のシングルファーザーのKENと申します。
前回の更新からだいぶ時間が経ってしまって申し訳ないです。
家事育児仕事やらを続けながらブログ書いてる人ってどうやって時間を捻出してるんでしょうね?


シングルファーザーになるまでのお話はこちらからどうぞ

幼稚園が始まり、仕事もピークが過ぎて落ち着きはじめていた。
養育費の件で相変わらずイライラしていたがそれでも日常は待っててくれない。
一人でヤケ酒に溺れるわけにもいかず、毎日娘のお世話をしなければならないのだ。


毎日お弁当

娘が通う幼稚園には給食がない。
延長保育の時に3時のおやつがあったりするが、基本的に毎日お弁当を持参させている。
慣れないことではあるけれど、食事が作れないわけではないので別に難しい事でもない。
ただ、やはり前日からお米を炊くタイマーをセットしたり、おかずを準備しておく手間はかかる。
なのでできる限り忙しい朝の時間に、素早く・楽にできるように、お弁当メニューはある程度定番化していった。

主にご飯はふりかけ的なものをかけて混ぜご飯にする。
アニメのキャラクターふりかけを入れて持たせたことがあったが、幼稚園ではそのような他の子の興味を引くキャラものはダメらしい。
と言っても5歳の娘が食べるような量の使い捨てふりかけって子供の向けのキャラものばかりだ。
なのでおにぎり用のもので混ぜご飯にした。要するに「おむすび山」だ。
これもバリエーションとして

  • わかめご飯

  • おかか

  • 青菜

  • シャケ

  • ゆかり

などをローテーションして使っていた。
たまに白米だけの日もあったが、その場合は塩昆布や梅干しをサイドアーム的に用意していた。

問題はオカズで、
だし巻き玉子がメインで、他にブロッコリーとニンジンの茹で野菜、ウインナー、他に冷凍食品のお弁当用惣菜を一品足すパターンが多かった。
冷凍野菜はとてもお世話になった。
栄養価に関しても普通に生野菜を使うのと遜色ないようなので安心だった。
何より取り出してすぐにウインナーと一緒に茹でるだけなので簡単だ。
お弁当用の冷凍食品は便利だけど少し割高に感じたしゴミも出やすいから徐々に使わなくなっていった。

こういったお弁当生活も慣れればどうって事はない。
そんなことより他の事で悩んでいた。

食べてくれない

まだ5歳の娘なので偏食があるのは仕方がない。
とはいえ、野菜はしっかり食べてくれる。最近の野菜は昔より美味しいし、子供としては珍しく野菜の好き嫌いが少ない。
ただ、全然食べてくれない事が多かった。
特に主食のお米は完食してくれる日が少なかった。

本人に訊いてみると、他の子が先に食べ終えてしまうから。らしい。
食べ終えたお友達はすぐにどこかに遊びに行ってしまうので、それに追いつくためにお弁当を最後まで食べることができないのだそうな。

家での食事でも娘は極端に食べるのが遅い。
集中力が無いというか、食べることに飽きてしまい、ダラダラと食べてしまうのだ。
僕としては洗い物とかもあるのでさっさと食べてもらいたく、何度か注意はしてるが、これは現在でも改善しない。
(唯一カレーを食べる時はやたらと早い)

他にもワガママ的にご飯はおにぎりにしないとダメだとか、サンドイッチにしないとダメだとか、焼きおにぎりだけにしろ・・・など、色々な要求があった。

僕はその都度手練手管に工夫しながら色々作っていたが、やはり完食はあまりしてくれなかった。
そうなってくると他の子よりも体の小さい娘の栄養状態が気になってしまう。

栄養学的な話

以前スポーツ栄養学の先生の講義を受けた時には以下の事を教えてもらっていた。
子供の必要栄養素の優先順位は以下の通りらしい

  1. 炭水化物

  2. タンパク質

  3. 脂質

  4. ビタミン

実はビタミンはクルマに例えるとエンジンオイル的な立ち位置らしく、それよりは燃料である炭水化物や、クルマのボディになるタンパク質や脂質と比べると優先順位は低いらしい。
10代でそれでも野菜嫌いだったら最悪サプリでもカバーできるそうで、とにかく炭水化物が重要とのこと。
また、他から得た情報だと、タンパク質に関してもオートファジーの活性が高く、体内のタンパク質が再利用されるのでそれほど意識しなくても良いみたい。

産まれたばかりの赤ちゃんは、飲んでいるミルクの量よりはるかに巨大に育つのはオートファジーのせいだろうか?

そのような話を聞いてからあまり気にしないようになったが、
とはいえ残したお弁当の残飯を毎日ごっそり捨てるのはなかなか慣れなかった。
貧乏性なのだと思う。

延長保育と「帰りたくない」

昼間は仕事をしているので娘には幼稚園の延長保育に行ってもらっていた。
延長保育は最大で夕方の5時半まで預かってくれるのだが、ある日娘が家に帰りたがらない事があった。

僕は4時ごろにはお迎えに園に来ていたのだが、そこから娘は僕を避けるように遊び続けていた。
何度も帰るように促すが、全く話を聞いてくれない。
とうとう周りのお友達もみんな帰ってしまい、辺りはすっかり暗くなってしまった。

幼稚園の職員さんたちも仕事が終わりほとんど帰ってしまい、僕はずっと娘を説得していたが、娘はそれを嫌がりながらついに泣き出してしまった。
見かねた担任の先生が説得に加わったがテコでも動かない様子だった。
理由を聞いてもよくわからない。とにかく帰りたくないらしい。

仕方なく僕は娘を担いで連れ帰ろうとしたが、泣き喚くわ暴れるわ引っ掻くわで大変な目にあった。

こんな感じで突発的に情緒不安定な場面があった。
母親が唐突にいなくなり、父親との二人の生活が嫌になってしまったのだろうか。
僕は娘の様子を見て、いたたまれない気持ちになってしまった。
この頃は僕にとっても苦しい時期だった。

そしてやはり宗教に走り幼い娘を置いて去っていった元嫁に対するやりきれない怒りが湧いてくるのだ。


ママ友の輪

このような状況において子ども家庭センターなどに相談しても、役に立たなかった。現実的に娘を一時的にも預かってくれるような人はいないからだ。
誰に相談しても「周りの人に助けを求めて」と簡単に言うが、僕にはこれが無責任に感じてしまう。
まあ実際責任はないのだけど。
そんなわけで幼稚園で開催している親の相談会に参加し、僕の現状を訴えたが、基本的に話を聞くだけだ。
参加者は全員ママさん達だけなのだが、この人たちは一体この会で何をしたいのだろうか。
ただ自分の抱えている問題を一方的に話しているだけで、何の解決もない。
単に愚痴を言い合っているだけの会だったので、以後は参加することは無くなった。

僕はこのママ友の輪に入るのがどうも苦手で、やたらと気を使ってしまう。
挨拶くらいはもちろんできるのだけど、妙な壁を感じてしまうし、相手も遠慮しがちに見えた。

このことは今後の課題になると思う。
幼稚園や小学校での保護者のコンタクトは基本的にママ達がメインになるだろうから、僕は何とかしてママ友の輪に加われるように努力する必要があると思う。


文集を作る

娘が通う幼稚園では保護者が何らかの幼稚園での活動に協力しなければならない。
たとえば運動会の設営だったり、遠足の随伴だとか、各種イベントの飾り付けの制作だったり。僕はそのうちの「文集制作」の一員になった。
幼稚園では毎年二冊の文集を発行していたが、その内容は園児が書くものではなく、親が書く。手書きやワープロソフトで作ったものを集めて文集にするのだ。
僕の役回りは手書き→ワープロでの打ち直しを希望している親御さんの為にタイピングする事だった。
手書きでの入稿を希望する親もいれば、自分で最初からワープロソフトで書いて提出する親もいたので、僕はこの作業をほとんどする必要がなく楽だった。

肝心の内容は僕も書いた。
最初は「なぜ保護者が?」と疑問に思っていたが、幼稚園としては保護者には園児との接点を持ってもらいたいというのと、十年、二十年後に読み返す為だということ。
実際文集はまだ娘には読めないし、読むことも無さそうだ。
ならば、ということで僕は僕のために書くことにした。
いつか娘が独立して家を出たり結婚したりで荷物を整理する時にこの文集を見つける日が来るだろう。

書いたことは今の現状、娘の様子、今の自分の気持ちなどだ。
何に悩み、苦労しているか。
過去の日記のように未来の自分が今日のことを思い出せるために。

保護者によるお芝居

幼稚園では文化祭的なイベントがあり、園児によるお芝居があるのだが、それとは別になぜか保護者は保護者で独立したお芝居も行う。

これも最初疑問に思っていたが、まあ保護者の思い出?のためなのかと思い、こちらも参加した。
舞台美術や衣装も用意する必要があって、役割が割り振られていたが、僕はそれに参加できるほど暇でもないので当日の「ナレーター」(と幕開け)という形で参加した。

お題は「十二支のはじまり」のお話だった。
神様からの提案で動物達が一番乗りを競うあの話だ。

僕は仕事の関係上、ナレーションを読む事もあって、特別不安はなく、子供達が面白がれるような読み方をした。
僕がいつも一人であまり誰とも喋らないからか、そのギャップに保護者のママさん達や子供達も驚いていた。

結果はとても好評で「本職の方ですか?」と聞かれたりよく褒められたが、そういうのじゃないです。僕は純粋に楽しめる事を考えただけだった。

お弁当と映像サークル

先にも書いた通り幼稚園に通う娘のために毎日お弁当を作っていたのだけど、僕はそれを記録に残す事にした。
といっても作ったお弁当を毎日写真に撮るというだけだど。

その当時は僕はすっかりストレスと怒りでイカれていて、何かしないと気が狂いそうになっていた。
自分の中に溜まったものを吐き出さずに鬱屈してしまう。
だからこのnoteも認知行動療法の一環として書いていた。


僕はもともと映像が好きだから、映画なりアニメなりを見るし、それを作る職業にも就いた。自主制作の作品もいっぱい作った。

それも結婚、出産してからは家庭と仕事にかまけて自分で映像を作るなんて事全然できていなかった。

だからふと原点に戻ってみようと思った。
本来やりたかったことができる環境を取り戻そうと考えた。

とはいっても、もうすでに自主制作で映像を作っていたチームは解散しているし、資金も時間もない。当然ひとり親になってしまったのだから、離婚前よりもよっぽど難易度が高い。

そこで僕はとある映像サークルに入会することにした。


久しぶりのnoteでちょっとノリを思い出すのに苦労してしまった。
やっぱり継続って大事なんだなーと思います。
次回は最後に書いた映像サークルについて。
参加した経緯とそこで作った映像についても書こうと思います。


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