見出し画像

【037】ブッダの生涯-【13】(仏教哲学の世界観第2シリーズ)

悟りの境地を一体誰に説明するか?

前回は仏伝に伝わる梵天勧請の意味を解説されました。
梵天勧請により、お釈迦さまが人々に教えを広めるつもりのなかった普通の人間であった点や、神ブラフマンこと梵天がお釈迦さまに頭を下げて「お願い」することから、仏陀こそが神よりも立場が上であるという事を示唆していました。
一方で後の仏伝においては過去生においてお釈迦さまが人々のために仏陀になることを誓っているエピソードがあり、矛盾が生じる点もあります。

今回は梵天勧請の後、仏陀となったお釈迦さまが誰に教えを説くかというエピソードについて解説されています。


このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
主な教材は仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座の内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはX(Twitter)などでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


ブッダの生涯13

https://youtu.be/xr-5AxNdq-I?si=zGkNgLux22OnnFkj

AIによる要約

このスクリプトは、仏教の創始者お釈迦様が初めて説法し、仏教が生まれる過程を紹介しています。お釈迦様は、梵天様の願いを思い出し、人々を導くための説法の相手として、かつての知り合いや修行者を思い浮かべます。その中でも特に印象に残った5人の修行者と再会し、共同で修行した過去を訊かれる。しかし、彼らは異なる道を進んでおり、お釈迦様が説法を始めた時、彼らは自分たちの修行を続けています。お釈迦様は、この5人を説法の対象として選び、仏教の歴史に重要な場面を迎えます。

学習した事

悟りの道を誰に教え広めるべきか

梵天からの要請によって人々に法を説く事を決心したお釈迦さまだったが、自分の悟りの道を誰に最初に教えるべきか考えていた。
何も知らない人に話しても聞いてくれるはずもないので、少なくとも自分と同じように修行をした人達に対してであればお釈迦さまの教えも聞いてくれるであろうと考えた。

そこで、お釈迦さまは自身の修行時代に出会った人、すなわち沙門たちのことを思い出す。
まずは
自身が瞑想の修行を始めた時に師事した
アーラーラ・カーラーマ(アーラーダ・カーラーマ=サンスクリット語)
ウッダカ・ラーマプッタ(ウドラカ・ラーマプトラ=サンスクリット語)
の二人だった。

アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタは瞑想こそ優れた技術を持ってはいたが、目指す方向がお釈迦さまの考える「自分の心の苦しみを消す」という物とは異なり、悟りを目的とはしていなかった。

彼らはこの世の様々な実利的な幸福を手に入れるためであったため、お釈迦さまは袂を分ち独自の道を進む事を選んでいた。

とはいえ、彼らは瞑想、つまり精神集中を極めた人であり、道が違えども優れた出家修行者である彼らであれば悟りの道が理解できるであろうと考えた。

かつての修行仲間たち

ところが、お釈迦さまの周りにいる神がこの二人がすでに亡くなってしまった事を報告する。(アーラーラ・カーラーマは7日前、ウッダカ・ラーマプッタは昨日の死去)

お釈迦さまは残念に思い、第二候補を考えた結果、5人の比丘を思い出す。
この5人の比丘は、お釈迦さまがアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタの元を去った後に出会った比丘であった。
一説によると元々は無断で出家したお釈迦さまのために父親が身の回りの世話役として送った家来だった。

当初はこの5人とお釈迦さまを含めた6人で共同で修行をしていた。

この当時の修行は体を痛めつける苦行であった。
断食や息を止めるなどすることによって心が清らかになり、悟りが開けるものと考えていたが、お釈迦さまは何年も続けている間にそれが無意味だとわかり、苦行を捨てて去っていった。

その後は瞑想し、心の中を見つめることによって最終的に悟りを開くことになるのだが、残された5人の比丘は体を痛めつける苦行が正しいと信じ込んでいたために、お釈迦さまが苦行を辞める決断をした際には堕落してしまったと見做していた。

結局お釈迦さまが去った後もこの5人は苦行を続けていた。

鹿野苑への旅の途中、別宗教の修行者と出会う

お釈迦さまはこの5人の比丘のことを思い出し、彼らのいるバーラーナシーの鹿野苑に向かった。

その途中で、お釈迦さまは別の沙門とも出会っている。
ウパカという人物でアージーヴィカ教のメンバーであった。
アージーヴィカ教は現在ではよくわかっていない宗教であるが、運命論を主張すると言われる宗教でお釈迦さまの立場からするといわばライバル的な存在であった。

お釈迦さまはそのウパカと問答する。
結局意見は噛み合わず、物別れとなり別れる。
このエピソードは当時のインドにおける宗教派閥同士の相入れない関係性が表されている。
しかしながら仏伝に挿入される意図が不明であるため、
このエピソードは実際にあった出来事で、お釈迦さまが語ったためにここに加わったのではないかと推理することもできる。

感想

アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに関してはどうだっただろうか。
実際のところは知る由もないのだが、仏伝の成立に制作者の意図が乗っかっていると考えるのであれば、神様が報告してくれて、しかもつい先日に亡くなったという都合の良い話があるだろうか。
大した意味はないのかもしれないが、優れた技術を持った人たちに教えが間に合わなかったという口惜しさを表現したかったのだろうか。

それよりもアージーヴィカ教のウパカとのやりとりの方がリアルに感じて面白い。実際少し調べてみると「六師外道」のうちの一つで当時のインドにおける仏教のライバルだ。
他の思想も簡単に見る限り唯物論など現代的な考え方もあって面白い。

いつか仏教との対決シーンなどがみられることを期待したいと思う。


次回は「ブッダの生涯14」 (仏教哲学の世界観 第2シリーズ)
梵天勧請を経て、教えを説くために5人の比丘と再会します。
舞台は仏教の4大聖地の一つであるサールナート(鹿野苑)です。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?