kenパパ

今想う事

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風になるには

ーホンダビートー 「え!クラッチが戻らない!」突然のトラブルに、ホンダビートを運転中の主人公は驚きと焦りを感じた。それは午後2時をまわった時、高速道路を降りて最初の信号待ちで、クラッチが戻らず、ギアが1速固定になってしまったのだ。 焦りと共に渋滞に巻き込まれる恐怖が襲ってきた。アクセルを煽りながら、やっとのことで左側の路地に入る事ができた。 ホンダビートという車は、軽自動車でありながらオープンカーで平成3年にデビューした。デビュー当初は、軽自動車なのにバイクに近い変な乗

    • スポーツカーに乗る

      歳も50代後半になると、妻や子供達に邪険にされる事が多くなった?! まして大病を患った身としては、このままダラダラと人生が流れる… 何かやらなくちゃ!と色々考えた挙句、そう言えば、もう一度スポーツカーに乗りたいと、想うように。 今更車の維持費がかかる物や、高価な物は難しいく、悩んだ末、“ホンダビート”と決めた。 ホンダビートは約30年前にホンダ社から発売。 軽自動車でありながら、2シータでエンジンをミッドシップに置くオープンカーで、本田宗一郎さんが最後送り出した自動車とされ

      • 81

        #あの選択をしたから 数字は親父の年齢。 母親が亡くなり、一人暮らしだった親父が3年前から物忘れがひどくなってきた。 お金をもらったのに貰ってない。支払ったのに支払ってない。ワクチンを打ったのに打ってない。 一日に10回近く家族に電話をして同じ事を尋ねた。まだまだある。 それでも一人でなんとか暮らしてたが、 それも叶わない程の出来事があった。 知り合い家に昼夜問わず一日8回訪ねて、警察沙汰になってしまった。本人聞いても一回しか行ってないなどと話しにならず、その後も同様な事

        • エッセイ 先生の真似っこ

          それは新聞で知った。 同級生が死んでしまった。 50も過ぎれば人生の半分も生きたのだから仕方ない事。 同級生は中学生の頃、先生が自習!と言うと、すぐ教壇に立ち、よく先生の真似っこをしてたっけ。ただの真似っこでなく、先生よりもわかりやすく教えた事を思い出す。 あれから成人式で会って以来、こんな形で思い出すこととは、、、。 そっちでも、先生の真似っこをして楽しく過ごしてほしいと願ってやまない。

        風になるには

          愛車②-1

          シルビアとはよくドライブに行ってたっけ。 ドライビングを上手くなりたいと思い雑誌を買い夜中まで読んだり、近くの峠道へ行ったりと当時を思い出す。 彼女を乗せ遠出した時、登りの峠道を駆け上がっていたら、フェアレディZ(Z32)が前を走行しているのが見え彼女にカッコイイ所を見せようと加速し後ろにつきそれほどキツくない登りのカーブに侵入した途端!リアタイヤがグリップを失い、外側に流れ、、、、外側のガードレールに、、、、咄嗟に逆にハンドルなどで立て直し、横目で彼女をみたら顔面蒼白!自

          PS5

          それは突然来た。 50歳を過ぎた頃に大病をした事で、将来何が起きるかわからないと思い趣味を増やそうと5年位前に自分用に中古でPS4を購入! ソフトには飽きていなかったものの動作も遅く、、、元来、新しいもの好きもあり、PS5にロックオン! 買うにしても品薄状態。 買うためにいろんなお店の抽選を申し込みをしたものの全てハズレ。 諦めていたところに当たりの連絡が! いい年して「ゲーム機購入したい」などと家族にも言えず、清水の舞台から飛び降りるつもりで、泣け無しのヘソクリで購入しまし

          愛車2

          90年代は今もトキメク車が次々販売されていた。 トヨタではセリカGT –fourやスープラ、日産ではスカイラインGT–R、三菱ではGTO、ホンダはNSXなど。今思うと車好きには良い時代だった。 そんな折、友人が借り物の日産シルビアを運転してきた。 助手席に乗り、低い車高、タイトな運転席、鋭い加速。一目惚れをしてしまい、遂には買ってしまった。 日産シルビアk's。PS13です。 前の車は3年乗ったところだった。 この車にもエピソードが多々ある。 次の回で紹介する。 今も人気車

          エッセイ愛車①-5

          愛車①のエピソードは続く。 当時は休みになると友人を連れだしドライブによく行ってたっけ。 その日は、1時間かけて、友達と買い物に行くことになった。 友人とたわいもない話しをしてた時、 ちょうど左車線に登板車線がある緩い上り坂の右車線を走っていると、後ろから猛スピードで大型貨物車が迫って来たのをバックミラーで確認。 左車線に方向指示器無しでハンドルを切ったところ、「ガツン!」と鈍い音が左後方から聞こえ、バックミラーで確認するとガードロープに突っ込んで止まってる大型貨物車が

          エッセイ愛車①-5

          エッセイ愛車①-4

          愛車1のエピソードは、、、 平日の仕事中にそれは突然来た。 仕事中に見知らぬ人が、「○○さんいますか?」と尋ねてきた。 自分だったので「ハイ自分です。」と歩み寄り、話しを聴いたところ 「昨日の午後、○○を自家用車走っていませんでしたか?」とあった。 その日は仕事だったので、走っていない事を伝えた。(アリバイもあり、車も見てもらった) よく聞いたら、自分の車と同色・同グレードの車が、人身事故を起こし、逃走したとのこと。 もちろん、職場に訪れたのは私服刑事だった。 これ

          エッセイ愛車①-4

          エッセイ 愛車①-3

          教習所で習ったハイドプレーニング現象。 「エッセイ愛車1」で紹介したこの現象の体験をより詳しく紹介します。 この現象は、濡れた路面を高速で走行した際にタイヤと路面との間に水膜ができることによって浮いた状態になり、ハンドルやブレーキがコントロールできなくなる現象とのこと。  想像してほしい、車を運転してて、ハンドルやブレーキがコントロールできなくなる!それも初心者で!怖かった。 その時は、夕方、土砂降りで4車線の陸橋をハイスピードで駆け上った。 今でも覚えてるいるが、その

          エッセイ 愛車①-3

          エッセイ 走馬灯 愛車①-2

          当時はスキーブームの真っ只中。 初ボーナスでスキー一式を購入して毎週のように友達とスキー三昧。 その頃はスタッドレスタイヤが出始めの頃で、安かった怪しいタイヤで、よくスキー場に行ったっけ。 スキー場は多くの人が押し寄せ、早朝着くよう行っても昼に着いたりと、大変な時期でもあった。 そんな中、スキー場までは緩やかな登り坂が多く、怪しいタイヤと未熟な運転でよくスリップし焦ってしまい、時には、後ろに付いていた車の運転手がやばい!と考え、車から降りて自車と車の間に入り、後ろから押しても

          エッセイ 走馬灯 愛車①-2

          笑顔製造機

          今日は家族とラーメン屋で昼飯を食べた。 早食いなので、家族が終わるまで人間観察をしてしまう。 一点を見て食べてる人、 おしゃべりしながら食べてる人、 選ぶのに時間がかかる人、 いろんな人が集まり、 見ていて飽きない。 ただずっと見ていると、睨まれる事もある。食べてるところ見られるのって、自分も好きじゃないし。 一つ言える事は、ラーメンがくると、みんな笑顔。 午後も笑顔が絶えない日で有りますように。

          笑顔製造機

          エッセイ 走馬灯 愛車①-1

          最初の車にはいろいろな思い出がある。 地元に就職し、友達と遊ぶ日々が続いた。 楽しかったな〜。 遊ぶ時の友達とのルールでは、必ず女友達を連れてくること。 ある時、自分が車を出し友達とドライブに出かけた。2台で、男4名女4名だった。 自分の車には助手席に女友達。後席には男と女が乗ってたっけ。 運転が不慣れなところにカッコいいところ見せようと、峠道をめちゃくちゃな運転で行ったところ、後席の女性が目的地に着き直ぐ嘔吐。 「空気が少ない」と嘔吐した女性が言った一言。 そりゃそうだ

          エッセイ 走馬灯 愛車①-1

          エッセイ 走馬灯 愛車①

          20歳に初めて購入した車は「カローラFX GT」マニュアル車でした。 それほど車には興味が無かったが、車好きの同級生の影響か、車を購入する頃にテールランプを見ただけで車種が分かるくらいの車好きになっていた。 最初から新車で、マニュアル車で当時の車はクラッチが重く、登り坂でよくエンストをしてた。 自損事故も多かった。 例えば自宅で出勤する時、バックで出ようとしてところ、横に有った親の車にぶつけ、遅刻しそうだったので、車体横にキズが付いたまま出勤したり。土砂降りの中、下り坂では調

          エッセイ 走馬灯 愛車①

          今日は子ども通院日。 目に見えないものに怯えつつ病院へ

          今日は子ども通院日。 目に見えないものに怯えつつ病院へ

          暑い日はエアコンの効いた場所で熱いラーメンが一番!

          暑い日はエアコンの効いた場所で熱いラーメンが一番!