戦国時代のマネジメントチームを作ったリーダー
6月11日(火)に『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)を出版いたしますが、出版までに本書で取り上げている歴史上の人物について、なぜこの人物を取り上げたのかを簡単にご紹介していきます。
第2回目は、毛利元就(1497年~1571年)です。安芸国(現在の広島県西部)の小領主から中国地方を支配する大大名となった武将として知られています。私は広島出身のため、小学校の時には元就が居城としていた吉田郡山城の跡で林間学校をした記憶もあるところです。
この元就については、2つのストーリーを紹介しています。
1つ目は、後継者に事業承継するにあたり、マネジメントチームをつくったことです。
ここでいうマネジメントチームとは、前任者の役割を全て後継者が担うのではなく、後継者をリーダーとしつつ、経営幹部が役割分担し、チームとして経営を担うことを言います。
毛利元就は、長男として期待していた隆元が早くに亡くなったこともあり、孫の輝元に毛利家を承継させることとなりました。しかし、若年であった輝元では不安だったこともあり、叔父である吉川元春、小早川隆景が支える体制をつくったのです。これは「毛利両川(りょうせん)体制」と言います。この体制により、織田、豊臣政権の時代においても毛利家を大大名として存続させることができました。
この「毛利両川体制」は単に叔父が甥を支えたことだけではなく、領国支配のためにどのような役割が必要で、その役割を担う強みは何か、が明確であったからこそ効果を発揮したのだと考えます。
そして、そこから読み取れる、現代の事業承継におけるヒントも本書ではご紹介しています。
2つ目は、毛利元就が生涯にわたり禁酒をつらぬいたことで、長生きできたことについてです。
実は、元就の祖父、父、兄と、親族の多くが酒の飲みすぎで体調を崩し、早死にしています。
現代医学ではお酒に対する強弱は体質により違うことが分かっていますが、戦国時代では分かりません。恐らく、元就の親族も、酒が弱いにも関わらず、戦国の世によるストレスから酒におぼれ、早死にしたのだと考えられます。
しかし、元就はそのような自分の体質を知っていたのか、また親族と同じ過ちを踏みたくなかったのか、生涯にわたり禁酒をつらぬきました。
そのことにより、元就は75歳という、当時としては大変な長寿を全うしています。そして、この長寿により、元就は大きな成果をあげることができたのです。
そこから読み取れる、現代にも通じるお酒の付き合い方についても本書でご紹介しています。
マネジメントチームにしても、禁酒にしても、自分に与えられた試練に対して、どのように取り組むべきなのか元就は深く考え、そしてそれを実践していました。そのような生き方が、元就に中国地方統一という、大きな成果をもたらしたと考えられます。
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