不協和音の居場所
不協和音が好きだ。
不協和音とは、聴いていて不安になるような響きを孕み、あまりポップスなどでは使われない和音のこと。クラスターともいう。
しかし、私は「音」ひとつひとつにもし人格があるとすれば、「なんでアイツ(協和音)らばっかり贔屓されてんだ!?俺たちだって、音だぜ!!」と言ってるように思える。
だから私は、ライブ演奏で、よくこの不協和音をピアノで弾く。 意識的に、わざと。
私は、ピアノにおける不協和音とは、ボーカルにおける「デス声」に似ていると思っている。
ただただデス声だけ出していてもポップではないが、メロディとメロディの合間に、絶妙に盛り込むと、ものすごくおしゃれになったりする。
そういう意味で、諸刃の剣というか、私にとって彼らは魅力的な「危うさ」があるのだ。化ける可能性のある不良というのか。
どんな音も、その音自体が良いとか悪いとかではなくて、要は使い方次第である。
不協和音を使いこなしたい。
不協和音たちに、居場所を作ってやりたい。
いままでの音楽家で、彼らに居場所を作ったのは、ドビュッシー↓
(ラヴェルもそうだが、ドビュッシーの方が、音選びがイカれている)、
セロニアス・モンク↓
セシル・テイラー↓
が代表的だろう。
それぞれアプローチは違えど、彼らは不協和音を使いこなす天才だ。不協和音をうまく取り込むことで、他の誰にもできない音作りに成功している。
それまでの理論では、
「この音の隣にこの音を配置してはいけない、配置しても美しくない」
とか言われていたものをぶち壊し、
「いや、配置しちゃいますよ。ってか、あなたたちが気づいてないだけで、美しいですよ」って感じで余裕で使う。
そして結果は、掟を破った上で、「この音の隣にはこの音じゃなきゃいけないし、これこそ美しい」という音楽になっているのだ。
まるで、魔法のようである。
私は上の3人をリスペクトしている。
私も私なりのアプローチで、不協和音と仲良くなっていきたい。
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