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【16限目】教師の感性

2020.7.16

「虫の目 鳥の目」(※15限目参照)で子どもと関わっている中で気づいたことがあります。

関わりの中で、いつも見ていたのは、「子どもに何か変わったことはないか。」という気持ちで見て初めて子どもの変化に気付くということでした。これは教師としては、とても大切なことです。

変化に気付くためには、子どもをよく見るということでした。しかし、その見方として、視点を教師の側だけに置くと、子どもの真の姿が見えないことがあります。

例えば、子どもがすでに話したことを、繰り返し聞きに来ます。この時「先生、言ったよね。聞いていなかったの?」と、言うことがあります。これは教師側に視点のある時です。

 子どもは、わからない、知らなかったから聞きに来たのです。

子供に視点を置けば、「聞き取れなかったんだなあ。」と、理解し、もう一度分かるように説明し、聞きに来た子供も聞いて分かれば、先生に聞きに行って良かったという気持ちになるでしょう。

また、別のよくある事例では、今日中に返してあげなくてはいけないノートやプリントの〇付けを急いでしている時に、「先生。」と、寄ってくる子に「今、忙しいから〇付けが終ってからね。」と、言ってしまうことがあります。

後になって「何を言いたかったのかな?」と、聞いてみると、もっと早く聞いて、その時に解決してあげられることが、遅くなったばっかりに、トラブルになってしまって、その子の気持ちに寄り添うまでにずいぶん時間がかかる時があります。

保護者を巻き込むことになって、ご心配をかけてしまうこともあります。日々、子どもの変化に気づき、早く声かけをしたり、話を聞いたりできる感性をもたなければならないと思っていました。

日常の生活の中でも、人と話をするときも、相手側に視点を置くことで伝えたいことがよくわかり、変化に気づいたりします。

視点を自分以外に置くということで教師に必要な感性を磨くことができます。これは教材研究と同じぐらい大切な事だと思っています。

絵を描く時も、自分から見ている被写体の形をすぐに描くのではなく、じっと見て被写体から伝わってくるものを感じてから描き始めます。

感性は、教師をしているときだけではなく、退職してからも日常の色々な場面でも磨くことが出来ます。これからの生活の中でも、こんなことを心に止めながら日々過ごしたいと思っています。


ともだちのわ 7月(1年生)

新型コロナウイルスの感染が、また広まっている今、下記のような学級通信を書くことはできませんが、一日でも早く日常に戻ってほしいと願っています。

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【編集担当より】

20200717 カーネーションとかご

「カーネーションとかご」


相手の視点に立つ。仕事の中でもよく言われることです。営業職でも相手の視点に立つことを常日頃から意識しますが、なかなかうまくいかないものです。自分の中にある常識やこうあるべきという考えが、相手の視点に立つことを邪魔するように思います。対異性でも常にわかればよいのですが・・・。

おかげさまで、#note編集部お気に入りマガジン、#教育 記事まとめ に取り上げていただき、たくさんの方にお読みいただくことができました。取り上げていただきました方、誠にありがとうございます。母に変わり御礼申し上げます。noteの機能を理解しておらず失礼があれば恐縮です。

コロナウィルスで様々な問題に苦悩する日々ですが、少しでもお役に立てる記事になればと願います。


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